三章:水は……いい。身を委ねられる。

「ルカちゃんのプロデューサーのフウコです。」


ちょっとイントネーションに特徴のある、伴藤さんのプロデューサーがそこに居た。


「ごめんなさいねえ、ルカちゃんはちーとデリケートでよ。」


「は、はあ……。」


「大丈夫、あーしがちゃんと話しておくんで……。」


「それは助かるよ……。」


「あ!ごめんなさい、あーしの言葉、聞きづらいですか!?はは、島さでほとんど生きてきたから、まだ少しさのこてってよ。」


「島……。」


「あ、あと、さっき水に落ちたみたいだけど、ルカちゃんの水はちゃんと外に出たら乾くから安心してください!」


服を確認すると、たしかに水の跡が一滴もなかった。さすがiD空間と言うべきか……。


「で、はい!これ!」


渡されたのは水族館のチケットだった。


「ルカちゃんから何か言われませんでしたか?」


「本物見てこいって……あ、なるほど!」


「あーしも、ルカちゃんも、ついていくかんね!土曜!あけといてください!」


「え?」


。°゜〇————————————-〇゜°。


そんなこんなで、水族館!

朝早くに起こされて、めちゃくちゃ移動して、ついたと思えば今度は整理券取るって走らされて……今はショー待機のためにがらがらの座席の会場を眺めている。


「あの……お魚、見ないんですか、伴藤さん……。」


「シャチ見に来た。」


「シャチ…あっ!!シャチだ!!」


視界に白と黒のあの大きな生き物が見えた瞬間、意識よりも先に声が出ていた。


「うるさ……。」


「でっかいな~!」


本番のプールとは別に奥にある練習用プールのようなところに、シャチが二頭顔をのぞかせている。

伴藤さんを僕と挟んで左に座るフウコさんも、目を輝かせてシャチを見ていた。


「本当にでかいな、かっこいいな……。」


「カオル先輩は、本物を見たのは、初めてですか?」


「いや、小さい頃に見に来たことがあるんだ。」


「……。」


そう、あれは小学校に入ったばかりだっけ、いや、幼稚園の頃だった気もするな。

薄暗い水族館がちょっと怖くて、親を手をつないで館内を歩いていたはずなんだけど、トイレに行ったあと親と合流するのに失敗して、迷子になっちゃったんだよね。

夏休みだったから人も多くて、でも薄暗くて、館内も小さい自分にとってはあまりにも広くて。迷いに迷って、少し明るい水槽のところにたどりついた。

そこで不安になって泣きそうになった時、僕のそばにやって来てくれたのがシャチだった。そう、迷い込んだ先がシャチの水槽だったんだ。

親が見つけてくれるまでずっと相手してくれてさ。親が来た時にちょうど僕から離れていったんだ……。

偶然かもしれないけど、その思い出が強くてさ~。


「で?シャチになってそのシャチたちにお礼が言いたいとでも?」


「できたらしたいぐらいだよ!」


「それは無理です。たとえiD空間でシャチになれても、現実ではなれないし、トレーナーになってシャチを愛したほうがいいんじゃないですか?」


「別に会えなくたっていいさ。シャチが何を考えているか、数ミリでもわかったらいいなって感じだからね。」


「そうなんですか……。」


「でもね、もし現実でもシャチになれたら……シャチだけじゃなくて、色々な生き物と一緒に海を泳ぎたいな、なんて思ったりもするよ。」


「……。」


「……伴藤さんは、現実でもしイルカになれたら……。」


「……ちょっと食べ物買ってくる。」


「あっ……。」


伴藤さんは席を立って、売店のほうへ向かって行ってしまった。


「僕、また変なこと言っちゃったのかな……。」


「ルカちゃんはね、イルカとか、海の生き物のことになるとかな~り厳しくなるからね。言葉を選ばないといけないかもしれませんね……。」


「僕も大体何も考えないで言っちゃうことあるから、よくないよな。」


「ルカちゃんのこと、教えてあげようか。」


「いいんですか……また怒られちゃいそうだけど。」


「ルカちゃんと仲良くなりたいんでしょう?それに、カオル先輩なら話してもいい気がして。」


「仲良く……ねえ……。」


仲良くなるには僕の残りの高校生活だけじゃ到底足りなさそうだけどなあ……。


「ルカちゃんは、都会っ子だったけど、あーしの島に引っ越して来たことがあって……都会の人間が物珍しいってのもあって、あーしはとにかく話かけましたね。んで、すぐお友達になったんです。」


フウコさんは、姿勢を正すように座りなおして、語り出した。はじめはニコニコしながら話していたけど、その表情はすぐに失われる。


「……ルカちゃんは楽しくなさそうだったんですけど。ことあるごとに、港に行っては、お家に帰りたいって言ってて。」


だからね、あーしのお気に入りの場所、教えてあげたんです……。

そこはイルカが泳いでるのが見える場所で……ルカちゃんも気に入ってくれたみたいで、教えた日のあと、ルカちゃんを探しているときはいつもそこで見つかりました。

ルカちゃんは島の人間とはあまりなじめなかった。というのも、両親に無理矢理に島に連れてこられたのが嫌だったみたいで。

いつも不機嫌で……島に来る前はどうだったかわからないんですけど、島に来た頃からバッサリ言っちゃうタイプだったから、周りの子たちからも避けられてましたね。あーしももしかしたら、鬱陶しいって当時は思われてたでしょうね。

で、ある日そんなに都会に帰りたいなら帰れ!って嫌がらせ受け始めて。海に落とされちゃったらしいんですよ。あーしもあわてて探しに行ったんですけど、いつもの場所にも居なくて。あきらめて帰ろうとした時ルカちゃんが倒れてるのを見かけて、見よう見まねでできること色々して、息を取り戻させました。

その時、「イルカが助けてくれた……」って言ってて。あーしはびっくりしたね。


「イルカが、命の恩人だった……。」


「そ。話が長くてごめんね。ルカちゃんも、イルカの気持ちが知りたかっただろうし、なんなら現実でも変身して一緒に泳ぎたかったんでしょうね。」


「は……」


僕は気づいた。今まで伴藤さんが僕に向けた言葉。


『……なったって、わかりゃしないですよ。』

『それは無理です。たとえiD空間でシャチになれても、現実ではなれないし、トレーナーになってシャチを愛したほうがいいんじゃないですか?』


「ひょっとしたら、僕に向けた言葉は伴藤さんが悩んでいることだったのかもしれない……。」


「カオル先輩、鋭いですね!たぶん、自分じゃなかったらどうしたんだろう、みたいな迷いがあったのかもしれません。」


「僕は……なんてなめた真似をしてしまったんだ……。」


「まあ、仕方ないですよ!さ、ルカちゃんがもうすぐ戻ってくると思うので、別のお話ししましょう!ルカちゃんの昔話してたなんてバレたら、それこそ怒らせちゃうから。」


少しして、伴藤さんが戻ってきた。

それから他愛ない話をするうちに待機の時間もあっという間に過ぎ、ショーが始まった。

シャチはさすがの巨体を生かして大量の水しぶきを広範囲の観客に飛ばしたりしていた。トレーナーと息を合わせたパフォーマンスや、大迫力のジャンプに、とても興奮した。


そのあと、シャチに触れる体験をして、イルカのショーも観た。ショーを見るよりもやっぱり近くで見るのは全然感動が違うもので、触ってみるとほんのり温かくて、生命の温度を感じた。


館内をあちこち一息つく間もなく二人に振り回され、最後にはシャチの水槽にやって来た。


「お手洗い行ってくる!ごめんね~!」


フウコさんは申し訳なさそうにその場を離れた。

伴藤さんと、二人きりだ……さて、どうしよう。


「シャチとイルカずくしの一日だった……な。はは~。」


「フウコから、聞いちゃったんでしょう。」


「え?」


「私がフウコと同じ島に住んでた話。」


「ああ……聞いたよ。ごめん……。」


「あの子のことだから、たぶんあの子から勝手に話しちゃったんでしょ……。」


「ごめん、僕、自分の目標ばかり考えてて、伴藤さんのことを考えられていなかったよ。」


「ねえ、ショーの時に見たシャチと、今のこの水槽に居るシャチ、どっちが好きですか?」


「そうだな。ショーのシャチはかっこいいけど、僕は水槽に居るシャチが好きだな。」


「どうして……?」


「ショーは、トレーナーが指示したパフォーマンスだろう?こっちだと、素直なシャチが見れるからね。どっちにしても、狭い水槽で生きるシャチだけど、僕が見つめてきたのはそこにいるシャチだからね。」


シャチを見つめていると、僕たちに興味を持ったかのように、近づいてきた。


「イルカも全く違うってことはないだろう?」


「わかったような口利かないでください。」


「ま、どっちにしろシャチ大好き野郎だから、正直どっちのシャチも好きだけどな!」


「そうですか。」


アレ?ちょっと今笑った?

瞬きする頃には、いつもの顔になっていたから気のせいかもしれない。


「水は……いい。身を委ねられる。」


一呼吸おいて、伴藤さんがぽつりとつぶやいた。


「イルカでいるときだけ、素直になれる……。」


「じゃあ僕シャチになって君の気持ちも知りたい!」


「……それ、本気で言ってるんですか?」


「そうだよ!」


「私のこと、やっぱりバカにしてるんですか?」


「ええっ!?なんでそうなるの!?」


「まあいいです。月曜、練習スタジオに来てください。」


「もしかして、修行させてくれるのか!」


「させて『いただく』でしょう?」


伴藤さんは得意げな顔をしてiDパスをちらつかせてきた。


「く……」


「予約?おっけーやっとくね!」


「わ!」


フウコさんが突然伴藤さんの後ろから出てきた。


「どこから聞いてたの?」


「フフン~。内緒!」


。°゜〇————————————-〇゜°。


「伴藤さんは、はじめてイルカになった時、どんなことを考えてたの?」


月曜の放課後。練習スタジオにやって来た。担任からちょうど練習着を渡されたため、少し浮かれた気持ちで修行に挑んだ。


「……この空間には、イルカがもう一匹居た。」


「他にも誰か居たの!?」


「闇雲に水の中に潜っている時、そのイルカを見て……交信しようとしたら、イルカになってました。」


「そのイルカって誰だったの?」


「私以外でイルカになる子は……居るのかもしれないけど、私は聞いたことないですし、私が作り出した幻覚だったかもしれません。」


「幻覚……」


「そのイルカがきっかけなのかはわかりません。どうであれ、この空間で現れるものは幻覚でできていますから、空間に身を委ねて、水に身を委ねて、心を開くことが必要です。」


伴藤さんが心を開いた空間。この空間は、この水は伴藤さんの気持ちを知っているんだ……。

そして僕も、この空間に僕を委ねる。


「ライブと違って、一人で想いを募らせないといけないから、本当に大変だと思いますけど……やってみるだけ、やってみたらどうです?」


「やるよ。」


「……。」


「伴藤さんの姿を追いかけてもいいかな?」


「追いつけるとでも?」


「追いつくつもりでやるよ!やれば、できる!」


「じゃ、まず精神統一。なりたい、って強く思うのも大事だけど、それがあたりまえと思うくらい、空間と一つになる気持ちで……。」


「なるほど。」


「人の気持ちを思い出すと、変身できなくなるから。」


「……。」


「……。」


数十分後、伴藤さんは突然立ち上がり、水の中に落ちていった。

そしてすぐ、イルカが飛び上がった。


「イルカ……!」


再び水面に戻るのを見た瞬間、それを追いかけるように、僕も水面に飛び込んだ。

気泡が体をくすぐる。とにかく、奥に潜れば伴藤さんが居るはず。……一回呼吸をして………。


……アレ?


水の中で呼吸ってどうやるんだ!?

いや、呼吸って空気の中でするんだよね!?

いやいや、ここはiD空間だし、やろうと思えば……


………


………


………無理!


やばい!上ってどっち!?とりあえず光のあるほうに…………

方向転換をしようとした時、ふと視界に何かが見えた。

イルカじゃない……あれは人………伴藤さん!?なんで変身が解除してるんだ!?

ただ、水を感じているのかと思ったけど、僕は嫌な予感がして、気がついたら夢中で伴藤さんのもとに向かっていた。

自分が思ってるよりも、ずっとずっと速く、伴藤さんのもとへ。

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いるしゃちっぴ おとう @kadai010

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