大人の事情(もしくはパラレルワールド)

「ただいま……何だこれ?」

 小学生のヒロユキは玄関に見慣れない靴があるのを身つけた。自分のものより一回り大きなスニーカーだ。父親が履くには小さすぎるし、母親も選びそうにないタイプの靴。となると明らかに家族以外のものだった。

 誰か、遊びに来ているのだろうか? 彼は思った。


 彼が部屋へ上がると、父がリビングでテレビゲームをしていた。今日は日曜日だった。そしてゲーム機のコントローラーを持ったままこちらを向くと「おかえり」と言った。その隣には、父と一緒にゲームに熱中している少年がいた。中学生ぐらいだろうか? どうやら手が離せないらしくヒロユキには目もくれなかった。彼はその少年が誰なのか思い出せなかったが、あの靴の持ち主だろうな、と直感した。

 もう何年も会っていない親戚なのだろうか。少年はあっという間に成長して、大人っぽくなるものだ。そうなると見ただけでは案外わからない。だがそれならば親と一緒に来ているはずだ。その親はきっと近くへ出かけていて、もうしばらくしたら、帰って来るのだろう。


「おかえり……あらどうしたの、変な顔して?」台所から出てきた母が、きょとんとした顔でたたずむヒロユキのことを、心配そうに見た。

「ううん、何でもない」そんなことはないのだが、彼はそうとしか言えなかった。そして何かがおかしいことに気づいた。いつもの母であれば、きっとこんな風に言うだろう。『ほら、ぼうっとしてないで、いとこの誰それちゃんに挨拶しなさい』と。何故そう言わないのだろう? それに『いとこの誰それちゃん』だとしたら、誰だかわからないぐらい、長い間会っていないことになる。それならこの少年も『久しぶり! 大きくなったね!』などと言ってくれてもいいのに。


「ゲーム、替わろうか?」父はヒロユキにコントローラーを差し出した。

「えっ? あ……うん」彼は成り行きでそれを受け取り、見知らぬ少年と一緒にテレビゲームをすることになってしまった。

「ヒロユキには負けないぞ」その少年は、なんと驚いたことに彼の名前を知っていた。もっと驚いたのが、彼もその少年の名前が『タカフミ』だということを『知って』いた。だが顔と名前が全く一致しない。いったい誰なんだろう?


 ヒロユキはまるで狐につままれたようにしていた。まるで、突然家族を演じてくれと頼まれた役者みたいな気分だった。だが自分が子役俳優だったとしよう。それなら『はじめまして、誰それと言います、今日はよろしくおねがいします』とか自己紹介をして、台本を読み、自分はここの家の子だ、という風に自分に言い聞かせてから、撮影がスタートするんじゃないの? この現場は無茶振りがひどすぎる!

 ともかく、家族があまりにも普通にしているので、彼は何事もなかったように、テレビゲームで遊ぶことにした。子供だって案外、空気ぐらい読めるのだ。どうだ参ったか!? それに、テレビゲームで遊んでみたら、普通に楽しかった。


 二人でテレビゲームをしていると、両親が台所で話しているのが聞こえた。少し離れていたし、ゲームの派手な効果音のせいで、あまりよく聞こえなかったのだが、重要なポイントは聞き取れた。どうやらこの『タカフミ』という少年、いとこでも親戚でもなくて、彼の兄のようだ。

 嘘だ! そんなはずはない! ヒロユキは思った。彼には兄弟はいないはずだ。だがその時は怖くて何も言えず、ポーカーフェイスを保ったままだった。

 どうすれば、ある日突然兄ができるのか、彼は色々考えてみた。だがどれも『大人の事情』といった、あまり知りたくないものばかり想像してしまう。だが、もしそうだとしても、説明ぐらいはしてほしい。

 もっと怖いのは、何かの拍子に、見た目はそっくりだが別の世界、つまり『パラレルワールド』に迷い込んでしまったのかもしれない、ということ。彼は何かの本で読んだことがある。科学的にはあり得ないことかもしれないが、自分だけが浮いているこの感じからしても、こっちのほうがしっくり来る。

 だがもしそうだったら大変だ。さっき遊んでいた公園まで戻れば、元の世界へ帰れるのだろうか?


 * * *


 夕食の時間になったので、家族四人でダイニングテーブルについた。最初は緊張していたヒロユキも、その頃には、かなり慣れてきた。大人の事情もパラレルワールドも、どちらも考えないことにした。食事をしながらタカフミと話しているうち、けっこういい人なのがわかった。物知りで色々とおもしろい話を聞かせてくれるし、こんな兄がいてもいいかな、と思うようになった。

 会話は次々と脱線し、去年、家族でドライブ旅行へ行ったときの話題になった。カーブのきつい山道で、おまけに凄い霧だった。車の運転が得意なはずの父だったが、視界が悪いため道に迷い、同じところを何度もぐるぐる回るはめになってしまった。そうこうしているうち、ヒロユキは車に酔って気分が悪くなってしまい、大変だったのを覚えている。

 だがそのあと空が晴れると、ものすごくいい景色で、ちょっと前まで気持ち悪かったのをすっかり忘れてしまったんだっけ。


 だが彼は思った。お兄ちゃんか誰か知らないが、何でその話を知ってるんだよ、その場にいなかったくせに。そう思うと、だんだん腹が立ってきた。さっきまでいい人だと思っていたけど、何か思い出を横取りされたような気分になってきた。そしてとうとう我慢ができなくなり、こう叫んでしまったのだ。

「ぼく、こんな人知らないよ! ぼくに、お兄ちゃんなんか、いないもん!」


 その瞬間、空気が凍りついた。


「何言ってるの……大丈夫? 転んで頭でも打ったの?」少し間を置いて、母は心配そうに言った。

「ううん、転んでないよ」ヒロユキは首を横に振った。

「心配だ、明日、病院に行こう」父も不安な表情を浮かべていた。

 ヒロユキは少し怖くなってタカフミのほうを見た。彼は何も言わず、心配そうにヒロユキ見ていた。彼は後悔した。兄のことを「こんな人知らないよ」と言ってしまったのだ。確かに、本当に知らないからそう言ったのだが、もし自分が同じことを言われたら、きっと、激怒するか、泣いてしまうだろう。きっと、その両方だ。

 だがタカフミは、黙ってヒロユキを見ている。非難するでもなく、ただただ心配そうに。彼はふと思った。この人、ひょっとして……。


 * * *


 夕食後、ヒロユキは家族みんなでテレビを見ていた。といっても、隣のタカフミが気になって、内容は頭に入らなかったのだが。しばらくすると母は、洗い物の続きをしにキッチンへ立った。すると今度は父のスマートフォンが鳴った。父はそれを持って部屋から出て行ってしまった。『あ、どうも、お疲れさまです』などと言っていたから、きっと会社の人からなのだろう。

 そして彼はとうとうタカフミと二人きりになってしまった。ますますテレビの内容が頭に入らない。だが彼は、テレビ番組とはまた別の声を聞いたような気がした。もしかしたら気のせいかもしれない。彼は気になって横目でチラチラとタカフミのほうを見た。タカフミはテレビを見ていて、口元は動いていなかった。だがその声はだんだんはっきり聞こえるようになった。それは確かにタカフミのほうから聞こえる。


「驚かないでね……」

 今度ははっきり聞こえた。その声がタカフミから聞こえて来るのは間違いがなかった。そして口は閉じたままだ……これは、いわゆる『テレパシー』なのだろうか?

「驚かないでね……わたしは地球人の変装をしているが実は宇宙人なんだ」タカフミが心の声でそう言った。見た目は少し年上の少年だったが、その心の声はまるで大人だった。

「え、本当なの!?」ヒロユキも心の声で答えた。「はじめまして」

「いや、こちらこそ、初めまして。会えて嬉しいよ。でももう帰らないといけないんだ」タカフミ……いや、宇宙人は悲しそうに答えた。

 そして、しばしの間、二人は心の声で会話を続けることになる。


「どうして? せっかく会えたのに」ヒロユキは食い下がった。

「ごめん、そういう決まりなんだ。理由は今から説明するよ」宇宙人は申し訳無さそうに言った。

 彼は地球について、特に地球人の子供について詳しく調べるため、ここへやってきた。そして宇宙人であることをひた隠し、子供になりすまして一般家庭に潜り込んでいたのだそうだ。

「へえ、すごいね! でも何で秘密にしてたの?」ヒロユキは興味津々でたずねた。

「わたしは遠い星からやってきた」タカフミ改め宇宙人が答えた。「ここまでやって来るためには、君たちには想像もつかないほどの高度な技術が必要だ」

「確かに、そうだね。凄いことだと思うよ」ヒロユキはそう言ったものの、果たしてそれが、どれほどとてつもないことなのか、理解できていたのだろうか。

「もし誰か悪い人たちがそのことを知ってしまったら、それをきっかけに戦争になってしまうかもしれない」宇宙人は悲しそうな顔をした。

「悪い人たちって誰のこと? 戦争って、どうして?」ヒロユキは矢継ぎ早に質問を畳みかけた。


 すると宇宙人は、こんな話をしてくれた。今まで地球人は、よその土地やそこで取れる資源を独り占めにしようとして、戦争やその他の悪いことを沢山してきた。もしそんな『悪い人たち』が宇宙人の高い技術を知ったとしたら、喉から手が出るほど欲しがるだろう。そうなれば「我々は宇宙人と交渉し、技術を分けてもらう。お前らは一歩も近づくな」などと言い出し、戦争が起きるかもしれない。

「もちろん、そんな悪い人たちに技術を渡すようなことはしないんだけどね」宇宙人は付け加えた。

 そんな訳で彼は、自分が宇宙人であることを秘密にしていた。そして地球人の少年になりすますため、家族全員を催眠術にかけて本物の家族だと思わせていたらしい。だがヒロユキには、その催眠術があまり効かなかったようだ。兄だと言われても、それを信じることができなかった。つまり作戦は失敗。宇宙人はそれ以上の事態の悪化を避けるため帰還することになったのだ。


「でも君は、少しでもわたしのことに気づいてしまった。だから帰る前に、きちんと事情を説明しておきたかったんだ。申し訳なかった」宇宙人は紳士的に謝罪した。

 でもヒロユキには催眠術とか、そんなことはどうでもよかった。それよりもっと知りたいことがあったのだ。

「お兄ちゃん……いえ……宇宙人さんの星ってどんなところ?」

「とても遠いところだ。でも詳しくは言えないんだ。とにかく、とても遠いところだ……」

 その声を聴いたとたん、彼は何だかとても眠くなってきた。どうやら今度の催眠術は良く効いたようだ。


 * * *


 翌朝。ヒロユキはいつものように、盛大に寝癖をつけたまま、寝ぼけまなこでテーブルについた。食卓にはダイニングチェアが三つ。自分と、母と、父のぶん。えっと……椅子の数は、四つじゃなくて、三つだっけ?

 うーん……。

 やっぱ三つだったかなぁ。

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広い宇宙に地球人しか見当たらないN個の理由 姶良守兎 @cozy-plasoto

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