いわゆる普通の会社員
俺はいわゆる普通の会社員だ。しかしそれは表向きのハナシ。じつは会社員の姿を隠れみのにし、ひそかに諜報活動を行なっているのだ。活動の妨げになっては困るので、目立たぬようひっそりと暮らしているのがほんとうのところだ。
勤め先の会社は、大きくも小さくもない、いたって平凡な会社だ。業績は可もなく不可もなし、といったところ。知名度も低く、同業者でもないかぎり我が社の名前を知っている人は少ないだろう。
俺はこの地味な会社のなかでも、さらに一段と目立たない存在だ。なぜなら、言葉は悪いが、あってもなくてもいいような部署に所属しているからだ。仕事柄、社内の他の人と関わることも少なく、当然のことながら、社外とのやり取りはもっと少ない。それどころか社内でも、ここの部署の存在すら知らない人が多いようだ。
俺自身も正直、その存在意義を感じていないくらいだ。それはそれで、会社組織としてどうかと思うが、俺にとっては好都合。これでいいのだ。
そんな地味な会社で、そこそこの働きぶりをこなす、それが俺の日常だ。
そんな俺は、独身で一人暮らしをしている。恋人はおらず、これといって友人もいない。家族や恋人、友人がいると、それはそれで楽しいかもしれないが、そのぶん、自由が減る。わびしい人生のように聞こえるかもしれないが、同情は不要だ。俺はあえて目立たないようにしているのだ。人知れず極秘情報を集めるのだから、そのほうがいいに決まっている。むしろ隠密行動の日々に、わくわくしている、といったほうが良いかもしれない。
たとえば俺は居酒屋が好きだ。安くて美味いし、一人でも気兼ねなく入れる。そうやって楽しむフリをしながら、人間観察をするのが趣味でもあるし、ここだけの話、これ自体が諜報活動の一貫でもあるのだ。結婚していたら、毎日のように居酒屋へ通うこともできないだろう。
そんな風にして、俺は常々、身元を明かさないよう万全の体制を敷き、リスクを排除してきた。『石橋を叩いて渡る』という言葉が、まさに俺の座右の銘にふさわしい。
だがちょっとめんどうなことが起きた。いや、正確に言えば、起きた可能性がある、といったところだ。どうやら情報が漏れた可能性があるらしい。直接的にはわからないのだが、俺のことをこっそり調べている人物がいるらしい、という情報が、ある筋を通じて飛び込んできたのだ。こんなに地味な人物を誰が調べたいと思うのだ? きっとなにか理由があって怪しまれているに違いない。
もしこれがほんとうだとしたら、大変なことだ。特にやっかいなのは、万が一情報が漏れていたとして、その情報を誰が握っているのか、まったく見当がつかないことだ。
しかし、ここで慌てふためくわけにもいかない。情報が漏れたかどうかは、今のところ定かではない。いや、むしろ漏れていない可能性もあるのだ。下手に動いてかえって裏目に出るリスクを考えると、現時点では、今まで以上に緊張感をもって、しかし普段どおりに過ごすのが正解だ。
というわけで、今日も俺はいつものように、目立たない会社の目立たない部署で、目立たないように仕事をしていた。いや、正確に言えば仕事のフリをしていた。ほんとうのところ、仕事どころの気分ではなかった。いつもそうだろうと言われればそうかもしれないが、特に、今日の俺は仕事が手につかなかった。
そういうわけで、パソコンの画面を睨んで難しそうな顔をしながら、いろんなファイルを意味もなく開いたり、ちょっと修正しては保存して、またすぐ閉じたりした。また何かを思いついたそぶりを見せ、インターネットで何か調べ物をしてみたり……なんだ、結局いつもと変わらんな。良かった。
……いや、良かったのか?
そんなこんなで、周囲には神経を払いつつ、しかし平静を装いながら、いつもと違うことを悟られないようにつとめた。
そしてついに、終業時刻が近づいてきた。いつものように五分前から時計をちらちらと気にし始め、定時を一分ほど過ぎたころ、どうせ誰も見てないのに『なんだもうこんな時間か』という顔をしておいてから、パソコンのシャットダウンメニューをクリックした。
インジケーターがくるくる周り、OSがシャットダウンしている間にそそくさと身支度。モニタが消えた瞬間に席を立ち、いつも通り、誰にも聞こえないぐらいの小声で「お先です」と言って事務所を出た。
我が社の事務所は複数の企業が入居するオフィスビルにある。エレベーターホールで下向きのボタンを押して待っていると、すぐに上の階からエレベーターが降りてきた。扉が開くと先客が一人乗っていた。顔は見たことがあるような気がするが、同じビルの別の会社で働いているのだろうか? なにしろ俺と同じように冴えない感じの男だ。中肉中背でこれといった特徴がなく、いてもいなくても気づかない感じだ。
俺がエレベーターに乗り込むと、男と目があった。無視するのも感じが悪いので、軽く会釈をした。波風を立てぬよう、周囲とはなるべく友好的に、それでいて距離を保ちながら、いかなることも穏便に済ませるのが俺流だ。
彼がどの会社で働いているのか知らないが、きっと同じように地味な仕事をしているんだろうな、と思った。きっと、やってもやらなくてもどうでもいいような仕事だろう。ただ俺が違うのは、それを装いつつ重要なミッションをこなしているところなんだが。
そう、俺がこんな地味な会社員を装っていてなお、自尊心を失わない理由の一つには、重要な任務に就いているという使命感がある。だがやはり一番感じるのは、折に触れてこういった優越感を覚えるからだ、と思う。わかりやすく言うと『君たちとは違うのだよ』という感覚だ。わかるかなあ。わかんねえだろうなあ。
だが、ここで事態は急変する。
エレベーターの扉が閉まったとたん、例の『俺と同じように冴えない感じの男』が突然、目の前をふさぐように立ちはだかった。それだけでも驚いたのだが、さらに次の言葉を聞いて俺は凍りついた。
「あなたバレてないと思ってませんか? わかってますよ、宇宙人でしょう?」
俺は全身の毛が逆立つのを感じた。心臓は相手に聞こえるのではないかと思えるほど、激しく高鳴った。なんでバレたんだろう? いっぽう、相手は俺の動揺ぶりをあざ笑うかのように、余裕しゃくしゃく、しかもノーテンキな顔をしてやがる。この余裕、なんなんだ……?
そして俺の頭脳はいつになくフル回転した。世を偲ぶ仮の姿としての俺はそうは見えないかもしれないが、こう見えて、普段から正体を明かさないため、常に四方八方へ気を配り、怪しまれないように努めているのだ。普段の俺が観光用のヘリコプターだとすれば、今の俺は警報を受けてスクランブル発進するジェット戦闘機だ。だがその戦闘機も敵機を見つけられず、フルパワーで上空を行ったり来たりするばかりだった。
一瞬の沈黙のあと、俺はあることに気づいた。そうだ、なぜ今まで気づかなかったのだろう? 俺と同じぐらい地味な男……地味すぎてむしろ不自然なくらいだ。俺は、パズルのピースがパチっとハマったのにも似た、心地よさを感じていた。ああ、そうだったのか。もっと早く気づいてもよかったのに。
そして満面の笑みで俺はこう言ったのだ。もしかするとその笑顔は幾らか引きつっていたかもしれないが。「いや驚いた、『ウォズィ・ムグヘーツ』星系の『ブズンキピジッド・ウォッシュズム・フゥー』さんじゃないですか!? 見事な変身ぶりで、気づきませんでしたよ。あなたも調査員をされてたんですね」
「いえいえ『アイクムグパールズ・ムキュ・ブフュム』さんこそ、どう見ても地球人じゃないですか」ブズンキピジッド氏も爽やかな笑顔で答えた。「しかし奇遇ですな。こんなところで同郷の人に会えるとは思ってなかった」
エレベーターが一階に到着すると、二人は世間話をしながらビルの通用口へ向かった。警備員に会釈をしながら外へ出たところでブズンキピジッド氏はこう言った。「あ、そうだ、もしよかったら、折角なのでこれから飲みに行きませんか? じつは最近、そこのガード下に安くて美味い居酒屋ができたんだ」
「へえ、そうなんですか!? いいですね! 行きましょう!」俺は二つ返事だった。ブズンキピジッド氏は俺の正体がわかったうえで、俺を驚かそうと、わざとあんな言い方をしたのだろうな。そう思うとちょっと悔しかったが、居酒屋と聞いて、誘いを断るはずもなかった。
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