第7話

***


 芙海は葬儀も火葬も嫌いだった。もっとも好き好む人間も少ないだろうが。

 火葬場では安らかに眠っている一輝の姿があった。話しかければ目を覚ましそうな気がした。

 しかし実際に動く事はもう二度と無い。芙海の心と同じように。

 親族が最後の別れを惜しむ中で、芙海は一輝の星のヘアピンを外して、自らの髪に挿した。


「ずっと一緒だよ」 


 一輝だった骨がそこにはあった。親族が骨壺に入れていく中で、芙海は一輝の骨を食べた。


 特別珍しい事では無いらしい。


「美月姉さんの事は私が愛してみせるから」


***


 デートが終わり部屋に帰った芙海はスマホの録音機能で自分の日常を聞いていた。

 特におかしい所は無かった。


 精神科では解離性障害と診断された。


 何かがおかしい。それとも自分がおかしいのか。芙海は・・・


 芙海と美月の声がスマホから流れていた。どうやら芙海がスマホで録音していたらしいと一輝は気付いた。ノックの音。返答する間もなく美月が入ってきた。


「やぁみーちゃん。デートにいけなくて残念だったよ。私もみーちゃんが運転する車に乗りたかったなぁ」 

「何聞いてるの?」

「芙海が私の存在に気付き始めてるみたいって証拠だよ。デートを録音してたみたいだ。精神科の――」

「ねぇ一輝は芙海を苦しめてまで何がしたいの? どうして平気でいられるの? 芙海と話したいって思わないの?」


 心を押し殺しながらもそこからあふれ出す感情は言葉となって流れてくる。

 最初美月は一輝との会合の奇跡に歓喜した。


 今の美月は一輝が理解できなくなっていた。


 一輝なのに一輝ではない。それこそ芙海がからかい半分でずっと一輝のマネをしていたと言われる方が良かっただろう。


「ねぇどうして・・・一輝はここにいるの?」


 聞きたくなかった質問。

 一輝が幽霊としてこの世界にいるのならば未練があると言う事だろう。

 その未練を解決することは自らの手で一輝を殺すような物だった。


「言えない」


 衝動だった。美月は右手を振り上げた。


 ・・・右手を振り上げてしまったが、結局その手が誰かを傷つける事は無く、そのままたち崩れてしまった。


「・・・だから言えないんだ。みーちゃん優しすぎる。許してはいけないことも許してしまう。きっと今の私は殴られるべきだったんだ。でもみーちゃんは結局できなかった。きっと私のしたい事を話してもみーちゃんは許してしまう。そんなみーちゃんが好き。でもこれは私だけの事だからみーちゃんの優しさには頼らない」


 そう言いながら一輝は美月を抱きしめた。


***


 芙海に言われたとおりに一輝は服を脱ぎ始めた。その手つきは手慣れた物で恥ずかしさを感じられなかった。  

「裸婦画ねぇ、面白そうだからいいけどさ」

「うん。姉さんの美しさを残しておきたいから」

「写真でいいんじゃない?」

「写真と絵は違う。写真も嘘をつけるけど、絵はもっと深く暗く世界そのものを作りあげれるから」

「まぁよくわかんないけどこれでいい?」


 一輝は芙海に指定されたポーズを取った。と言ってもベッドに寝そべっているだけだが。


「うん」


 芙海はペンをタブレットに走らせた。

「絵はもっと連続性のあるものを一瞬にまとめてるんだよ。キュビズム知ってる?」

「知ってる。理解はできないけど」

「あれは写真と違う方向性。理想の寄せ集めみたいな物。


 今は写真も絵画も同じ道具使ってる親戚みたいになったけど。・・・とにかく私は理想の姉さんを描きたいの」


「毎日見てるんだから理想も何もないと思うけどな」

「あるよ。なだらかに変わっていく姉さんを写真で撮って、理想の姉さんを描く」

「理想の私か・・・・・・何が理想と違うんだろうな」 

「姉さんが理想と違うと言うより世界が理想と違う。姉さんを完全に切り取る事にこの世界は失敗してる。だから絵の世界で姉さんを再構築する」

「芙海、難しい事を言うな」


「うん。だから絵で魅せるよ」


***


「今の私はどうして美月を抱きしめてるのかも解らない」


 芙海に入れ替わったのだろう。しかし美月はその確信が持てなくなっていた。変化と言えるような変化が無かった。


「どうして私は抱きしめてるの?」


 芙海の疑問。美月は芙海が今どんな表情をしているのか解らない。


「このまま抱きしめ続けたい」


 お互いに言葉は無かった。それが答えだった。

 芙海が少しだけ力を込めた時、静寂が解けた。


「今だけ姉さんだと思っていい?」

 美月は芙海の頭を撫でた。

「大好き」


 自分には向けられていない愛情。


「ううん、愛してた、愛し合ってた。愛してると思ってた。付き合ってると思ってた。姉さんも同じ気持ちだと、思ってた」


 一瞬だけ美月の手が止まった。頭が理解を拒絶する。しかし芙海の独白は美月の思いを壊すように続いていく。


「美月と付き合ってようやく解ったよ。愛する事の気持ち、姉さんとは結局愛し合っても付き合ってもいなかったんだね」


 美月は知らない。芙海と一輝が付き合っていた事実など。すぐにでもその言葉を問いただしたかった。それでも美月は一輝の代わりであり続けようと思った。


 偽っているのはお互い様だ。


「解ったのは全部美月のおかげ。だから今の惨状は罰。姉さんを殺した罪への罰。本当に死ぬべきだったのは私」


 この独白は真実なのか? 真実だとしたら一輝は知っているのだろうか?

 美月は一輝の代わりであることも捨てて芙海を抱きしめた。

 

***


 天気予報に無い雨だった。生徒会の手伝いなどしなければ良かったと一輝は後悔した。


 芙海と顔を合わせる時間を減らすには忙しさが必要だった。何もかも忘れるぐらいに忙しくあって欲しかった。


 美月に告白されたこと。それを了承してしまったこと。


 芙海には未だに喋ってはいない。


 どちらにしても何時かは終わらせなければいけない関係だ。間違っている。間違っているのならば正さなければならない。


「姉さん」


 歩道橋を登る途中で後ろから芙海に声をかけられた。

 一輝が返事をする間もなく芙海は一輝の一歩後ろに駆け寄った。


「最近、忙しそう」

「頼まれごとが多いからな」

「姉さんは特別だから」


 いつもと同じような会話。

 歩道橋の真ん中を少しすぎた時、一輝は足を止めた。

「美月に付き合って欲しいって告白された」


 芙海の顔を見るのが怖くて一輝はまた歩きはじめた。雨脚が強くなっているように一輝は感じた。


 雨の音が全てを消し去ってしまえば良いのにと考えてしまった。


「そうなんだ」


 芙海の返事から何かを読み取る事は出来なかった。


 そして芙海は背中を押した。


***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死んだ元カノ(幼なじみ)が今カノ(その妹)に憑依しています 落果 聖(しの) @shinonono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ