最終話:チョコアンドココナッツ【後編】
「じゃあ、必要な食材は……ちっと面倒をかけるけど、頼むよ」
プレッツが食材を伝えると、フェリーは食材を次々と自宅から運び出した。
その間にプレッツはリュックから炭や必要な調理器具を用意する。
「深めのフライパン、フライ返しに、銀のボウル……と」
「わあ~、色々準備が必要なんだね。あ、それと聞きたいんだけど、火魔石はどれくらい必要なのー? 」
「それは必要ないよ。あまり慣れてないけど炭を使ってやってみるつもりだからね」
「す、炭って。火魔石のほうがゴォーって一気に燃やせるよ」
「それじゃドーナツが黒焦げになっちゃうからさ。まあ俺もうる覚えの知識だから、どのみち失敗するかもだけど……」
そうは言いつつ、料理する以上は彼女に美味しいドーナツを食べさせてあげたいと願い、調理に取り掛かる。だが、まだまだ下準備が必要だ。
まずリュックから取り出した炭をグリルの下部に敷き詰め、ジェル状の着火剤を擦り、マッチで火を起こす。点火を確認したら、適当な紙状のうちわを用いて軽く扇ぎ、炭を真っ赤に燃え上がらせる。火力は非常に強く、離れた位置を飛んでいたフェリーにも「熱い」と言わせるほどの熱を帯びた。
「ね、ねえねえ。わたし結構離れてるのに、かなり熱が上がってくるんだけど! 」
「たしか赤くなっている間は千度くらいになってるはずだからね。そりゃあ熱いさ」
「千度!? それって
「……そうなのかい。ハハ、俺には基準がよく分からないな」
魔界のネタはよく分からないが、
「千度に匹敵する魔族が存在するなら、出会いたくないものだな」
と、冗談混じりに笑って答えたりする。
そして、変わった雑談を楽しそうに交えながら、いつの間にかプレッツは扇いでいた手を止めており、炭の熱も気づけば落ち着いていた。炭の周囲に手を近づけるようになったあたりで、用意していた深めのフライパンをグリル台に置き、油をたっぷりと注ぐ。直後、細長い棒を油に沈ませて、その先端を真剣な眼差しで注視した。
「えっ、その棒も食材なの? 」
フェリーは棒に近づいて言った。
「違うよ。これは温度を計っているんだ。棒から気泡がゆっくり上がれば百五十度から六十度で維持されている合図なんだ」
……そんな技術があったのか。
調理に乏しいフェリーは「へぇー!」と面白そうに声を上げた。
「温度管理はヨシ。何とか調理は進められそうだ」
正直一番の問題だと思っていた炭火の扱いがこうも上手くとは。温度の維持管理は手間だが、それでも残りは消化試合のようなものだ。
(火の扱いがこれほど余裕なら先に生地作りに着手するべきだった。ま、大した問題じゃない)
ここから先の作業は、もはや考えることなく進めることが出来るからだ。
砂糖を煮詰めるシロップ作り、薄力粉やパウダー類を混ぜて生地作り、片手間でアカノミは砕くように叩き切った。
(アカノミは乾燥ココナッツと違って、若干だけど茹で足りないパスタのような芯がある。ココナッツドーナツを再現するなら、もう少し硬くて溶けるような歯ごたえにしたい。油で揚げたり、焼いたりしてみよう)
初めて扱う食材でも、出来る限りココナッツと鏡写りするように試行錯誤する。結果、乾いたフライパンで熱を通すくらい
(よし、あとは百六十度の油で片面ずつ揚げる。焦げないことを意識して、ふんわりと揚がったら、砂糖を煮詰めたシロップにくぐらせて……)
仕上げに砕いたアカノミをぱらぱら塗せば、ついに完成だ―――。
"アカノミのココナッツ風チョコレートドーナツ"
名前がややこしいので、チョコアンドココナッツと名付けよう、とプレッツは言った。
「……シンプルなお名前」
「い、いいんだよ。分かり易いほうが味も伝わりやすいから。とにかく味見しよう! 」
作業台のスペースをつくり、揚げたてのドーナツをストン、と切り分ける。いつの間にかフェリーは自宅から自分用の小皿を両手に持って待機しており、プレッツは笑いながら彼女の皿にドーナツを盛り付けた。
「じゃあ、食べてみようか。いただきます」
「うん。いただきまーす♪ 」
二人は声を揃えてドーナツを頬張る。
その瞬間、しっとりとしたチョコレート生地からカカオの香りがいっぱいにひろがるよう、甘い味が口の中にこぼれ渡った。ココナッツ代わりだったアカノミも、カリカリとした食感とフルーティな香ばしさを演出し、噛む度にプレッツが「うん」と頷くほどの完成度だった。
「これがココナッツチョコレート? すっごく美味しい。こんなの食べたことない! 」
「考えていたよりココナッツに近いね。ココナッツチョコレートと言って差し支えないないと思う」
果実とチョコレートが互いに尊重し合う甘さは舌でとろけ合う。まさに想像通りの味だ。
「えへへ。最初は変な人間だなって思ってたけど、こんな美味しいドーナツが作れるなんて凄いんだね」
フェリーは口の周りにチョコレートを付けながら笑った。
「ハハハ、変な人間とはひどいな。否定が出来ないのが悔しいけど」
「誰だってそう思うでしょ。だって普通は他人の庭先で倒れていたりしな……あれっ? 」
会話の途中、フェリーはドーナツを小皿に置いて近くの林を覗く。どうしたのだろうとプレッツも振り返ると、そこに、木の陰からのっそりと巨大な魔族が姿を現した。
漆黒の鋭いツノを生やした赤茶色の頭部は『 雄牛 』そのもので、シャツに浮き立つ浅黒い厚い胸板に筋骨は隆々としており、身長はプレッツが影に飲まれるほど高く威圧的である。また、右手には彼自身の背丈ほどの鉄斧を構えているあたり、どう見ても平和的ではない。
「な、なな、なんだい、あのデッカイの!? 」
突然の来訪にプレッツも慄いて叫んだ。
しかし、フェリーは「違うの」と呟いて彼の傍に近いて雄牛の耳元で叫んだ。
「サーロさん! もしかして、私のことを心配して来てくれたの? 」
フェリーが訊くと、サーロと呼ばれた雄牛は意外にも透き通った声で彼女に答えた。
「ああ。見慣れない人間をみかけたから、お前が襲われていると思ってね」
「やっぱり……。大丈夫だよ、彼はプレッツっていってね。別に私を襲ってきたわけじゃないの」
「分からんぞ。油断して襲うつもりかもしれん。先の戦争じゃあ人間は恐ろしく狡猾だったからな」
「ううん、私も最初そうかと思ったけど、全然そんなことなくて――って、ちょっとォ!? 」
「やられる前にやっておいたほうがイイだろう」
サーロはフェリーの抑止に聞く耳は持たず、のそのそプレッツに近寄る。斧を握る右腕にほど走る血管はドクドクと浮き立ち今にも脳天から叩き割りそうな雰囲気だ。
……こ、これは不味い。洒落になっていないんじゃないか。
プレッツは苦笑いしながら一歩二歩と退くが、その際、フェリーが勢いよく叫んだ。
「待ってよサーロさん。プレッツは魔界を旅している料理人なんだって!! 」
「……なに? 」
その言葉にサーロは足を止める。そして、鼻をクンと鳴らすと、目を細めて呟いた。
「料理人だと。……そういえば、甘い匂いがするな」
「甘い香りの正体は、それだよ。プレッツがとっても美味しいドーナツをつくってくれたの! 」
そう言ってフェリーは鉄板に飛び寄り、揚げたてのドーナツを指差した。サーロは鼻を動かしながら鉄板を見つめ、興味深そうに指先でドーナツを摘まむ。
「それ、とっても美味しいから。食べてみて。それで悪い人間じゃないって分かると思う」
「……毒かもしれない」
「毒だったらとっくに私は死んでるでしょ。とにかく食べてみて! 」
フェリーの"圧し"にサーロは渋々ドーナツを口に運ぶ。すると、その途端に彼の目が大きく見開き、鼻息を鳴らして一言。
「ねっ。だから言ったでしょ。プレッツのお菓子ってば、すごく美味しいんだから」
「……驚いたな。人間ってのは、こんなウメェ菓子がつくれるってのか」
「そういうこと。だから、プレッツを殺そうとするのはもう止め……て、ちょっとぉ! 」
それでもサーロはプレッツを赤く光らせた目で見下ろした。尋常ならざる雰囲気は死を覚悟することも厭わず、プレッツの脳内に走馬燈が駆け巡る。しかし、サーロはプレッツの左肩をばんっ、と叩いて、笑いながら言った。
「ハッハッハ、気に入ったぜ人間。オメェのつくったお菓子はたいそうにウメェもんだった」
「え。あ……そ、そうですか。お気に召していただいて何よりです」
「なあ、これ以外にも色々と作れるのか。さぞかしウメェもん作れるんだろう、オメェは」
「ど、どうでしょうか。材料さえあれば色々と作れないことはないですが……」
「―――そうか! 」
プレッツの言葉に、サーロはもう一度プレッツの肩を叩く。加えて、半ば強要的に、とんでもない台詞を言い放つ。
「折角だから町の知り合いも呼んで、プレッツとやらにウメェ料理を作って貰いてェな。フェリーの庭は広いし、パーティが出来るよなァ」
彼の言葉を聞いたフェリーは「冗談でしょ! 」と悲鳴気味に叫ぶ。
しかし、
「お前はプレッツのウメェ料理を食いたくないのか」
と言われて返事を詰まらせ、お腹をグウと鳴らしたところで沈黙した。
「ガハハ、決まりだな。というわけだぞ、プレッツとやら。お前も料理を作ってくれるってコトでイイな? 」
「フェリーさんの庭ですから、彼女が了承すれば問題はありませんが……」
「なら決定だ。何だか楽しくなってきたぜ。そうだ、俺が狩りした魔獣の肉も持ってきてやるよォ! 」
喜々としたサーロは、森に響き渡る大声で喜々として叫んだのであった。
……ひいては、サーロの声で集まった町民たちだが。
最初はフェリーやサーロと同じく見知らぬ人間に不信感を頂いていた様子だったが、プレッツが料理を始めた途端、その手際の良さに惚れ込む者が多数現れた。更に料理が完成してからは、その場に居合わせた全員がその味に陶酔してしまったのである。
結果としてプレッツの料理で町民たちの心は鷲掴みにされ、褒め称える声にプレッツ自身も嬉しくなったのか、しばらくの間、町に留まることを選ぶ。
やがて、寝泊まりに貸したフェリーの倉庫には、プレッツの料理の評判を聞いた町民の"行列"が出来るようになってしまい―――。
「ねえ、プレッツ。折角だから、もうお店を開いたら良いんじゃない」
「俺がお店って、いやいや。俺は料理が趣味なだけで……」
「もう趣味の領域じゃないって。倉庫は材料倉庫にして、自宅を改良して使っちゃえば? 」
「……そこまで言うかねえ。本当にやれると思うのかい? 」
「思うよ。そうじゃなかったら、私もここまで言わないモン」
三か月目にフェリーが言い放った言葉をきっかけに、ついにプレッツは発起。
フェリーと共々、ドーナツ屋さんが開店することになったのである。
―――そして、時間は
気づけば時は過ぎた一年という時間。
楽しかったことや苦しかったこと、苦楽をともにして充実した毎日だった。
鏡写りに思い出した記憶の片鱗に、ひとりでフェリーはニヤけていた。
「全く、プレッツと出会ってから毎日が大変で……って、ボーっとし過ぎた!? 」
思い出に浸っている間に時計の針は十三時を過ぎていた。
フェリーは慌てて着替えてエプロンを身に着けると、急いで一階の調理場に飛び込んだ。
すると、そこには何か調理に勤しむプレッツの姿を見つけて。
「あっ、プレッツ! ご、ごめんね、寝坊しちゃった。でも、起こしてくれれば良かったのに! 」
フェリーが叫ぶと、プレッツはこちらを振り返り、笑顔で口を開いた。
「やあ、おはよう。別に慌てる必要は無いって。お店は休みでしょうに」
「……えっ」
プレッツに言われて、フェリーは頬をヒクつかせた。そういえば今日は店休日だったことをすっかり忘れていた。
「そ、そういえば。でも、いま何か作ってるじゃない。明日の仕込みするなら、手伝うよ! 」
フェリーは言うが、プレッツは「違うんだよ」と笑いながら返事した。
「お店の為じゃなくて……はい。丁度出来たところだから、これを食べてくれないかい」
そう言ってプレッツが差し出した小さなお皿。そこには、いつの日か見た"チョコアンドココナッツ・リング"が盛り付けてあった。揚げたてのドーナツからは、甘いチョコレートの香りがふわりとのぼる。
「これって出会った時の……? 」
「その通り。確か、今日で出会って一年目だっただろ。その記念にね」
「……覚えていたの」
「忘れるわけがないでしょ。ほら、食べてみて」
どうぞ、とプレッツは促す。
フェリーは皿からドーナツを受け取ると、ゆっくり口に運んだ。瞬間、流れ込んだ甘さは一年前に食べた味そのままで、懐かしいね、と言葉が出た。
「ああ、懐かしいね。美味しいかい。バーベキューグリルじゃないから、当時と味は少し違うと思うけどね」
「ううん。変わらないよ。それにプレッツの料理は何でも美味しいから」
「そこまで言ってくれると嬉しいね」
「当たり前だよ。でも、作るなら一緒に作りたかったナ……」
少し寂しそうに言う。プレッツは「しまった」と頭を抱えた。
「そうだ一緒に作った方が良かったかあ。折角だからサプライズで驚かせようとしたんだけど」
「……もっと気遣いしてっ。でもね、充分に驚いたし美味しかったから許してあげるっ」
「それはそれは有難う。それとさ、一言だけ挨拶。これからも宜しく頼むよ」
プレッツは右手を差し伸べる。フェリーは有無を言わず彼の指先を右手で握り締めて、言った。
「……当然。私のほうこそ、よろしくねっ」
………
…
――――魔法のドーナツ屋。
それは魔界に在る小さな田舎町ゼーゲンヴォール、その森の入口にひっそりと建つヴィレッジショップ。
時計の銀針が十時を指した瞬間、扉はゆっくりと開かれる。
開いたお店を覗いてみれば、きらめくガラスのショー・ケース。悠々と陳列される商品は、光包まれるドーナツたち。
カウンターには手のひらサイズの小さな妖精の女の子と、若き青年が一人ばかり。
ちなみに、店の名前は……そう。
『 グリュック商店 』というらしい。
さあ、お店も開店したことだし、とりあえず彼らのドーナツをご賞味あれ。
魔法ほど美味しいと称されるそのドーナツたちを。
………
…
【 チョコアンドココナッツ 終 】
【全五話】魔界の幸せドーナツ屋 ~Gluck Shop~ Naminagare @naminagare
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