第5話:チョコアンドココナッツ【前編】

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 ――――魔法のドーナツ屋。

 それは魔界に在る小さな田舎町ゼーゲンヴォール、その森の入口にひっそりと建つヴィレッジショップ。


 時計の銀針が十時を指した瞬間、扉はゆっくりと開かれる。

 開いたお店を覗いてみれば、きらめくガラスのショー・ケース。悠々と陳列される商品は、光包まれるドーナツたち。 

 カウンターには手のひらサイズの小さな妖精の女の子と、若き青年が一人ばかり。


 ちなみに、店の名前は……そう。

 『 グリュック商店 』というらしい。


 さあ、お店も開店したことだし、とりあえず彼らのドーナツをご賞味あれ。

 魔法ほど美味しいと称されるそのドーナツたちを。

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 基本、あらゆる魔族に対して時間という概念は児戯に等しい。もちろん人間のように忙しなく動き続ける魔族は少なくないとはいえ、特に妖精族においては、元来より時間の概念に縛られず自由を好むものであるとされる。


「あ~っ、寝坊しちゃった! 」


 ……はず、なのだが。彼女フェリーに限り、同族から異端と称されるほど時間に追い詰められた生活を強いられていた。


「もうこんな時間。太陽が昇っちゃってる! 」


 寝室にかけられた小さな時計の指針は既に十二時を差している。ベッドから飛び起き、慌てて鏡の前に立つと、ボサボサの金髪を両手で直す。どうしてプレッツは起こしてくれないの、と文句を言いながら、寝巻きもいそいそと脱ぎ始める。


(……むっ)


 全てを脱ぎ捨て素肌を露わにすると、鏡に映った体を見て動きを止める。


(う、うーん……? )


 彼女は小柄な妖精族のうちでも、端麗な顔つきに抜群のスタイルを誇っていた。

 身長は三十センチ未満と妖精としては平均的だが、両腕で軽く胸を持ち上げれば、しっとりとした深い谷間が出来上がるほどに大きなバスト。長く伸びる足は美脚そのもの。だが、そんな彼女が自分の体をを見て気になったことが一つ。


(なんか、またおっきくなったような)


 育ち盛りじゃないのに、また胸が大きくなったような気がするのだ。もしかして、ドーナツの食べ過ぎか。変に脂肪がついてしまったのではないかと一抹の不安が過ぎったりもした。


(……そ、それはない。ないと思いたい! ていうか、プレッツが私の胸ばっかり見るから私も気になっちゃうんだし! )


 彼は、彼の目線が私の胸を見ている事についてバレていることを理解しているのだろうか。いいや、きっと分かっていない。女性からすれば男性の視線など丸わかりだというのに。まあ、彼が私に興味を示してくれている事は、人間と妖精族のサイズ感こそ違えども、私が魅力的に見えていると考えれば、それはそれで。


(はあ。まさか私がこんな気持ちになるなんて。でも、考えてみればさ。プレッツと出会って、もう一年目になるんだよね……)


 鏡面に映る自分と手を合わせ、彼と出会った頃を思い出す。

 あの頃はまだ時間に縛られない妖精らしい生活をしていたと思う。

 だけど、そんな時だったっけ。

 彼と出会ったのは、そう。

 確か今日のように、お昼過ぎに目が覚めたあとの出来事だった。

 そのお話は、丁度一年前にさかのぼって―――……。


 「―――ふわぁ、もう朝なの? 」


 忘れもしない、一年前の四月一日。ゼーゲンヴォールは春の陽気がポカポカと温くて、ついつい寝過ごすのが日課になっていた頃。十二時を過ぎてから、目を覚まして。大きな欠伸を一つ、寝ぼけた様子でベッドのサイドフレームに腰掛け、窓に映る高々とした太陽に目を眩ませていた。


「まぶしいなあ。今日も良い天気~……」


 太陽に照らされて、浅い笑顔を浮かべウトウト目を閉じる。丁度良い気温に包まれ、現実と夢の狭間に見る緩さが心地いい。一生このまま中途半端な夢心地に浸り続けたいとも願う。だが非情にも、お腹がグウ……、と小さく空腹を告げた。


「グウ……って。私はこのままベッドでグウグウ寝ていたいのになあ……」


 それでも空腹には勝てない。やや気怠そうに羽根を動かし、フラフラと飛翔したフェリーは、近くのキッチンに辿り着く。しかし、料理をするわけでもなく、戸棚から丸パンをむしってひと欠片を手にすると、硬めのバターを塗りつけた。


「これだけでも美味しいんだから。えへへっ、いただきま~……」


 いざ、大きく口を開いてパンを食そうとする、。だが、それを頬張りかけた瞬間、キッチン正面の窓の向こう側の庭先から、とんでもない景色が飛び込んできた。

 それは、自分の数倍以上もある"人型の男性"が、倒れるように地面に伏せていた光景だった。いや、前のめりに、うつ伏せの姿は、恐らく倒れているに違いない。


(えっ。だ、誰? ていうか、なに……あのひと……)


 男性が倒れていることにも驚いたが、それ以上に、彼から魔力の一切を感じなかったことのほうにもっと驚いた。魔族ならば、多少なりとも魔力を匂わせるハズなのに、彼には魔力という存在がゼロに等しい。加えて、仮に人型魔族としても、獣人族のような耳や尾っぽは見当たらないし、容姿に特徴が無さすぎる。

 ジャンパーなどを着込み、大きなリュックを背負っているあたり、旅行者か冒険者の類だとは思うのだが。その姿から考えられるのは、まさか純粋な人間なのではないかと、そう疑った。


(……うそでしょ。最近じゃ人間界から魔界への渡航がブームっていうのは聞いていたケド。こんな田舎町まで人間が来るとは思えないんだけどな……。でも、このまま放っておいて死なれたら後味が悪いし)


 両手に握っていたパンを小皿に移し、意を決して窓を開く。声を張り、倒れた男性に喋りかけた。


「ちょっと、聞こえますか。そこはウチの庭ですよ。誰か知らないけど、起きてるなら出て行ってください! 」


 すると、フェリーの声に男性はうつ伏せのまま頭をピクリと動かす。反射的にフェリーもビクリと体を仰け反らせる。と、次の瞬間、彼は泥にまみれた顔を上げて、虚ろな瞳でフェリーを見つめ、大きな"腹の音"を鳴らしてから口を開いた。


「だ、誰か居るのか。腹が……減ったよ……」


 ―――はい?

 えっ。今、なんて。

 お腹がへ……えっ?


 聞き間違えかと思った。

 だが、彼は渇いた声でもう一度、同じ言葉を繰り返す。


「おなかが空いて、もうダメだあ。お迎えの天使サマまで見えるとは……」

「ちょっ、私は天使族じゃない……って、あなたお腹が空いてるだけ!? 」

「もう、しぬ……」


 彼は瞳を淀ませて、バタリ。その場で倒れてしまった。

 フェリーは驚いて「うそー! 」と叫び、慌てて窓から飛び出す。が、キキーッと空中で急停止。キッチンに戻り、戸棚から真新しい丸パン一個を引っ張り出した。一般的には小さな丸パンだが小柄な彼女にとっては三日分に相当する大きさである。重そうに運びながら彼の傍に近づくと、ぶしつけに叫んだ。


「どうしてここで倒れてるか知らないケド、本当にお腹空いてるなら、これでも食べてさっさと消えてーっ! 」


 丸パンを男性の後頭部に叩き落とす。

 ポスン!

 と、見事に後頭部に着地した丸パンに男性は震える手でそれを掴む。顔を上げ、パンを見ると、目の色を変えて一気にそれを頬張った。たかだが丸パン一つに獰猛な獣を彷彿とさせる食いっぷりは、どれだけ彼が空腹であったかを物語る。


「ぷはっ。あ、ああっ、はあ~~っ。少しだけ生き返った~! 」


 パンを食べ終えた男性は大きく両腕を伸ばし、安堵したような表情を見せた。そして、目の前に浮遊するフェリーに「助かったよ~」と頭を下げた。


「本当に死ぬところだった。本当に助かったよ。ハッハッハ」

「笑うところじゃないでしょ。別にお礼なんて要らないし、元気になったら庭から出て行ってください」

「……ここはキミの庭だったのか」

「私の庭。目の前にあるのが私のおうちです! 」

「あ、この大木が」


 男性の前にそびえる巨大な一本の樹木。嵌め込むように彩られた小さな窓の奥には、彼女に見合う小柄な部屋が見えていた。


「なるほど。そりゃ勝手に入って悪いことをしちゃったようだね。色々とごめんよ」


 申し訳なさそうな表情で素直に謝罪する。

 それを見たフェリーは、彼が乱暴者ではないのかもしれないと考え、そして、初めて純粋な"人間"に少しだけ興味が沸いたようで、小さく尋ねた。


「まあ、謝るなら……今回のことは許してあげます。あなたは、冒険者なんですか? 」


 男性は厚手の茶色いツナギに大きなリュックを背負い、ボサっとした整えられていない黒髪や泥塗れの格好は、失礼ながらまともに衣食住を得ているとは思えない。質問に男性は恥ずかしそうに答えた。


「いや、冒険者っていうか趣味で魔界に旅行に来ているっていうか」

「観光客ってコトですか? 」


 だが、男性は「それも違う」と首を横に振る。

 ……じゃあ、どうして魔界に来たの?

 食い下がるフェリーに、男性は背負っていたリュックを地面に下ろし、答えた。


「うーんとね、俺は料理が大好きなんだけど。人間界じゃ飽きたらず、魔界に眠る未知の食材を探しに旅して回っている最中でね。隣町から森を抜けようとしたんだけど、思ったより距離があったみたいで食糧も底をついちゃってね……ホラ、見てよ」


 そう言ってファスナーを開いたリュックの中身は、食糧の代わりに金銀に輝く様々な調理器具が丁寧に仕舞われていた。なお余談ながら、本人が汚らしい分、二割増しに美しく輝いて見えているのは内緒だ。


「わあ、きれいっ! あなたは料理人さんだったんですね」

「否定ばかりだけど、実は料理人でもないんだよね。料理が趣味ってだけで……」

「えっ。もしかして無職さん」

「うぐっ。無職さんと呼ばれると苦しいな。せめてプレッツと名前で呼んで貰えたら嬉しいんだけど、ハハッ」

「プレッツさんと言うんですね。……そうだ、申し遅れました。私はフェリー。フェリー・シュタットです」


 フェリーは浮遊したままクルリと右に一回転し、文字通り黄金の光を"舞って"挨拶した。


「うん、よろしく。フェリー、今日は危ない所を助けてくれて有難う」

「お礼は要らないですって。でも、パン一個だけじゃ足りないでしょ」

「いやいや歩く気力が出れば十分。料理をする人間が空腹で死んだら笑い話になるところだったし」

「商店街まではまだ結構歩くケド、大丈夫? 」

「たぶん何とかなるよ。ありがとう」


 プレッツはリュックのファスナーを締めて背負い直す。立ち上がり、歩き出そうとした。ところが、フェリーの心配通りパン一つでは栄養足らずだったらしく、その場でガクリと膝を崩した。


「……ああっ、言ってるそばから! 」

「アハハ、思ったより疲弊してたみたいだねえ。でも、もうすぐ町だし」

「そういう問題じゃ。もう。私より大きいくせに心配ばっかり掛けて! 」


 フェリーは「待ってて」と告げ、急いで小窓から自宅に戻る。一分後、彼女は自身より大きい布袋を両手に持ち、フラフラとプレッツに近寄ると、それを受け取るように言った。


「これは? 」


 彼女から袋を受け取り、中を覗いてみる。と、そこには白濁とした繊維状の乾燥果実ドライフルーツが詰まっていた。一見するとリンゴの薄切りのようにも見えるが、薄っすら昇る香りは非常に淡泊だ。


「それはね、アカノミっていう滋養強壮じようきょうそうの果実を乾燥させたものなの。味は微妙だけど栄養満点だから、それを食べて元気出しなさい」


 なるほど、そういうものか。プレッツは頷いて、早速一枚ばかり指先で摘まんでみる。口の奥に放り込むと、軽く噛むだけでちぎれる柔らかさに、シャリシャリとした歯ごたえがある。味のほうは、まあ、彼女の言う通り、あまり美味しくはなかった。


(ふむ、淡泊な香りから分かっていたけど味がほとんど無いな。何度も噛み砕いてようやく果実らしい酸味と甘みが僅かに浮き出てくる。加えて良質な脂っぽさが滑らかでもある)


 なかなか解釈が難しい食材だ。しかし人間界でも、この果実に類似した食品を経験した気がする。これは、そうだ……いうなれば"アレ"にそっくりだ。


「まるで、加工前のココナッツのような」


 味は薄めでも、舌に触れる油分は濃厚で、つくりたてのバターのよう。栄養満点という点を踏まえても、いうなれば良質なココナッツといって差し支えない。素材のままでは魅力は少ないが、反面、さっぱりとした味は料理食材として扱いやすいはず。

 

「薄味といえば薄味だけど、これは料理向きの食材かな」

「味が無いのに料理向きなの? 」

「だからこそ料理向きなんだ。生卵とかを浮かべて貰えれば分かりやすいかな」


 そもそも素材のままで美味しい食材こそ限られている。卵、魚、肉など、根本的に素材の味を活かしつつ、美味に仕上げるためには"調味料"を含めた調理が不可欠なのだ。


「……あ、言われてみれば。でも、ドライ状のアカノミを料理するって、どんな風にするの? 」


 フェリーの問いに、プレッツは右手人差し指を立てて説明する。

 例えば、少量の砂糖をまぶして焼き上げるだけでも充分に甘いスナックになるし、豊富な油分を絞りだしてアイスクリームに混ぜても美味しいだろう。


「ココナッツって知ってるのかな。それと同じ使い方が出来ると思う。ココナッツは色々な料理に使えるんだけど、その中でも俺が一番好きな料理があるんだよなあ」


 一番好きな料理?

 フェリーが興味津々に尋ねると、プレッツは得意げに言った。


「そりゃもちろん、ドーナツさ」

「えっ。ドーナツって甘いお菓子の? 」


 ドーナツとは、これまたオーソドックスな回答だ。

 しかし、こんな味気ないドライフルーツが美味しく仕上がるとは思えない気がする。フェリーが呟くと、プレッツは、ちっちっ、と人差し指を小さく振って言った。


「ココナッツのカリカリした食感に、微かないぶしたような香ばしさ。果実独特の酸味や甘みは、チョコレートと絡んで絶妙な美味しさに化けるのさ」


 うっとりとして説明するが、どうにも食べた事のない味を想像することは難しいとフェリーは首を傾げる。


「そう言われても分からないや。こんな味気ない食べ物がそんな美味しくなるの? 」

「あ~、確かに食べた事が無い料理は想像し難いか……」


 それでもココナッツチョコレートを存じないとは勿体ない。が、上手く言い表すことも難しい。どうしたものかと腕を組んでみせると、フェリーがプレッツの周囲をくるりと回って言った。


「じゃあさ、じゃあさ。せっかくだからアカノミでココナッツドーナツみたいなのつくれないかなー? 」

「そりゃ作れないこともないけど、見ての通り材料が無いんだ」

「どんな材料が必要なの? 」

「ベーキングパウダー、薄力粉、砂糖とかチョコレートやバター、ココアパウダーなんてのも」

「……あると思う! もしも渡したら、作ってくれたりする? 」

「それは構わないけど、調理場はどうしようか」


 ……あっ。と、フェリーは口を押えた。

 肝心なことを忘れていた。調理場が無ければ料理をすることは不可能だ。仮に彼女の自宅の調理場を借りたとしても、自分の身長では彼女サイズのキッチンは小さすぎるだろう。

「作ってあげたいけど調理場が無ければ……」

 と、プレッツは言うが、どうしてもココナッツチョコに興味を惹かれたらしいフェリーは、頭を深く抱え、記憶の果てから一つの答えを導き出す。


 ―――そうだ。

 倉庫におっきい人型魔族用のバーベキューセットがあったかも。それで出来ないかな。プレッツが入れるくらいの大きい入口もあるから、そこから中に入れると思う!


 そう叫び、近くに生えた別の大木を指差した。

 プレッツは「どれ」と近づいて裏に回ってみると、彼女が言うように妖精用の小さなドアの隣に自身も入室可能な大きなドアが設置されていた。風雨に晒されたせいか取っ手がこけに濡れていたが、気にせず回す。ギギィと鈍い音を立て開いたドアの先、倉庫の正面に、フェリーの記憶通り、布切れに巻かれた鉄製の調理用器具がズンと鎮座していた。

 

「これか。……むっ、結構重いな」


 中々の重量感。それを引っ張り出し、フェリーの傍まで運ぶと、被せてあった布切れを剥がした。すると、比較的新しめのバーベキュー用グリルが姿を現す。本来は薪をくべて扱うU字型のタイプらしいが、底には薪の代わりに使い古された赤い魔石が転がっていた。


「やっぱりあった、懐かしいなあ。これは私の家が完成した時、友達とお祝いに使ったやつなの。一回きりで使ってなかったけど、これで作れないかな。火魔石のストックなら、まだ家にたくさんあるし♪ 」


 フェリーは期待を込めて言う。だが、当の本人には、それなりの難儀な問題だと感じた。そう考えるのも、問題は二つあった。一つ目は至って単純な理由で、火魔石を利用したことが無かったからだ。人間界においてバーベキューグリルは炭火こそ基本であるが故に。


(……と、いっても。実は使う機会があったら困ると思って少量ばかり炭は持っているんだよねえ。でも、それでもなあ)


 炭があっても、イマイチ乗り気になれないのが、もう一つの理由。それは、たとえ炭で火を起こしたところで、自分にとっては火加減の効かない加熱コンロのような代物ということだ。アウトドアのプロならば火加減の調整など余裕だろうが、炭火は素人にとって高難易度が過ぎる。とはいえ、期待をされたら料理好きとしてやらない理由が無いのも事実なわけで。


「……分かったよ。やるだけやってみよう。失敗しても恨まないでくれよ。それでもいいなら、今から言う食材を用意してくれるかな」


 作ってくれると言ったプレッツに、フェリーは「うん♪」と嬉しそうに頷いた。


【……後編に続く】

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