第4話:ナッツクランチ【後編】


 了承を得たプレッツは、早速持ってきた袋をカウンターに並べ始める。

 お店から持ってきた袋は、エクサナッツを始めとしたドーナツ作りに必要な材料や調理器具の数々だった。


 袋を開いて器具と材料を並べ、カウンターの裏側にあるキッチンに赴く。

 ミルクと一緒に手取り足取りのドーナツ指南を開始した。


「ミルクちゃんはドーナツ作りはしたことある? 」

「全然ないの。ミルクは料理が苦手なの……」


 それは前もって聞いていたが、特段心配は無用である。


「大丈夫。料理は基本さえ押さえれば誰だって簡単に出来るものなんだ」


 料理下手の特徴は大体相場が決まっている。

 

 普段から料理しないため手慣れていないのは当然として、段取りせずに大立ち回りをするとか、勝手にアレンジを加えるだとか。


 ミルクの動きを見ると、料理に慣れていないことが伺えたため、出来る限り作業は単純かつ美味しいドーナツが仕上がるように工夫して教え込む。


「生地作りはちょっと面倒だけど頑張ろうね。ここは、こうするんだ」

「……ええと、こうするの? 」

「そう。いや~、上手だ! 」


 美味しいコーヒーを淹れるだけあって手先は器用らしく飲み込みもかなり早い。

 料理が苦手というより教えてくれる相手が居なかったのかもしれない。


「エクサナッツはかなり脂が乗ってるからバターを減らしてもイイかな。ナッツ自体の風味もかなり強いんだけど、ドーナツをしっとり仕上げるためにアーモンドプードルをちょっとだけ加えてみようと思う」


 完成に向けて丁寧な工程を積み上げていく。


 時折の失敗もあったりしたが、二時間も経った頃。


 ついに、ドーナツは焼き上がる。


「わあ、良い香りなの~! 」


 火魔石オーブンを開いた瞬間から、辺りには香ばしいアーモンドの香りが湯気立った。


 完成したドーナツはシンプルな格好スタイルで、茶褐色のリング型。


 上部には砕いたエクサナッツを散らばせた程度で、特別なコーティングも無い。

 派手さは無いがレトロな喫茶店だからこそ逆にえるというものだ。


「生地にはエクサナッツとアーモンドプードルを混ぜてある。濃いナッツの味わいとコーヒーは相性が抜群だと思うよ。名前は……ナッツクランチとでも名付けようか! 」


 相変わらず名前に"ヒネリ"が無いが、分かり易さが一番だ(と思う)。


「ねえねえ、早速食べてみてもいいのー!? 」


 名前よりも食欲が勝ったミルクは目を輝かせる。

 プレッツは「もちろん」と言って、ずっとドーナツ作りを傍観していたルビィとフェリーの前にもドーナツを並べた。


「二人ともゴメンね、かなり待たせちゃった」

「全然気にしなくて大丈夫」

「大丈夫だよー! これ、食べていーの? 」

「ああ、全員で食べてみよう」


 全員がドーナツを手に取りって「頂きます」と声を揃えた。


 ……ぱくり。


 いの一番にドーナツを頬張ったのはやっぱりミルク。

 その瞬間、彼女は歓びの悲鳴を上げた。


「なにこれなの~~っ!! 」


 口に入れると濃厚なナッツとバターの脂がジュワリと染み出す。

 全体的に甘めだが後味は思いのほか軽い。

 その理由はドーナツにまぶしたナッツ・クランチ。

 砕いて軽くロースト・ナッツのお陰で甘みを余計に長引かせず、カリカリとした歯応えはアクセントを生む。


「これがグリュッグ商店のドーナツなの。悔しいけど、とっても美味しいの~~っ! 」


 悔しい悔しい言いながらもミルクはドーナツをあっという間に食べてしまう。

 そしてつい二個目にも手を伸ばそうとしたしたが、ピタリと手を止めた。


「……あっ、そうだ。ミルクがとっても美味しいブレンドを淹れてあげるの!! 」


 ミルクはキッチン下の棚に飛び込む。

 様々な種類のコーヒー豆の袋を引っ張り出して、カウンターに並べた。

 コーヒーメジャーと呼ばれる計量カップに、用意した袋からそれぞれ豆をすくいあげ、焙煎器に放り込む。

 一見すれば適当にブレンドしているよう見えたが、そこは彼女もプロ中のプロ。

 焙煎した豆をミルで挽いてドリップした頃には、まごうことなき最高のコーヒーがそこにはあった。


「プレッツにお返しなの。さあ、みんなも飲んでみて欲しいの! 」


 全員の前にミルク・オリジナル・ブレンドが並ぶ。

 もちろんフェリーは小柄なカップで、ルビィはたっぷりの牛乳と砂糖入りである。


「じゃあ、お言葉に甘えて頂こうかな」

「ミルクのコーヒーを飲むのは久しぶりね」

「わーい、いっただきまーす! 」


 コーヒーはまず香りを味わう。

 カップにたゆたうコーヒーの香ばしさは苦い大人の香。

 さあ、一口だけ飲んでみよう。

 程よい酸味と深い苦味で生まれる黒の味わいは深く深く五感を刺激した。


「ああ、これは美味しいや……」

「うーん、美味しい」

「美味しいよ、ミルクちゃん! 」


 ミルク・ブレンド・コーヒーに全員が魅了されてしまう。

 しかしミルクは「違うの! 」と、人差し指を立てた。


「今回のブレンドはドーナツと一緒に飲んで欲しいの」

「おっとそうかい。それじゃあ」


 指示に従ってドーナツを一口かじってコーヒーを流し込む。

 ―――と、美味が驚嘆の極みに変化した。


「……っ!! 」


 真に美味いとはこういう事を言うのか。

 美食の極みに出会った時、感情はひたすらに高揚しても自ずと口が閉じてしまう事がある。

 たかが『コーヒー』と侮るな。

 黄金よりも眩い輝きをそこに見た。


「これほどコーヒーの一杯に感動したことがあったか……」


 繊細に響き合う音楽のハーモニーのように。

 ドーナツとコーヒーは完璧に重なり合う。

 素敵な音楽会を彷彿とさせる。


「ふふん、ドーナツにかみ合うように淹れてみたの」


 その通りだ。

 ドーナツとコーヒー、互いの旨味を引き立つよう仕上げてられている。

 大変申し訳ないが、この旨さは言葉に出来ない至極の一杯だった。


「どやっー! 」


 鼻高々のドヤ顔。

 こればかりは頭が上がらない。


「旨すぎる。このコーヒーは一体……? 」

「これは細く挽いた豆に圧力をかけて抽出してみたの! 」

「ああっ、エスプレッソか! 」


 彼女が作ったのはエスプレッソ・コーヒーだった。

 エスプレッソとは、豆の素材をとことん活かすため、限界まで圧力をかけて豆の旨味を濃縮させて絞り出す製法である。

 本来そのままに飲めば極端な苦味と酸味が強い筈だが、彼女のオリジナル・ブレンドと圧力の調整によりこれほどの味を生み出したようだ。


「完璧なコーヒーだ。ミルクちゃんのお店でこのドーナツとコーヒーをセットにして出せば直ぐお客さんは戻ってきてくれると思う」


 プレッツは笑顔で言う。

 その言葉にミルクは嬉しそうに飛び跳ねた。


「良かったなの。最初は敵だと思ってたけど、本当はいい人間だったの! 」

「はは、それなら良かったよ。それじゃ俺は帰ろうかな。フェリーとルビィちゃんはどうする? 」


 二人に尋ねる。

 フェリーは当然帰るとの返事。

 ルビィは「少し残る」と答えた。


「久しぶりにミルクちゃんとお話したいなーって思ったから」

「そっか。でもお母さんが心配するから早く帰るんだよ」

「うんっ! 」

「じゃ、お先にねー」


 プレッツは手早く後片付けを済ませ、フェリーと一緒に喫茶店ラビッツをあとにした。

 二人の姿が完全に消えたのを見計らったミルクは、ルビィに話しかける。


「ねえねえルビィちゃん。ミルクね、いいこと考えたのー」

「いいこと? 」

「そうなの。あのね、あのねー……」


 それは彼女なりのお礼のつもりだったようで、今朝方のプレッツ同様"とある案"をルビィに耳打ちする。

 ルビィはすぐに「良いと思う! 」と頷いた。


「ミルクだけじゃ大変だから、お手伝いしほしいの。いい? 」

「もちろん手伝うー! やろやろ~! 」


 こうして秘密裏に始まったお礼大作戦。

 それは夕暮れの太陽が空を焼いた時間まで続けられた。

 して、次の日を迎えて―――。


「ルビィちゃんと遊びに来たの~! 」


 グリュッグ商店の開店直後、ミルクとルビィが飛び込んできた。

 プレッツが驚いた他、キッチンに居たフェリーも慌てて顔を出した。


「なになに、どうしたの!? ……ってミルクたちじゃない。驚いちゃった、遊びに来たの? 」


 するとミルクとルビィはそそくさとショーケース前に立つ。

 にっこり笑顔である紙袋をカウンターに乗せた。


「プレッツ。昨日のお返しなの」

「ミルクちゃんと一緒に準備したんだ。あけてみて~! 」


 昨日のお返し?

 プレッツは前のめりそれを受け取った。


 どれどれ、なんだろうな~。


 紙袋を開いてみると、中には、挽かれたコーヒー豆の詰まった袋が更に小分けされていくつも入っていた。


「んおっ、コーヒー豆か。これって喫茶店ラビッツの……? 」

「正解なの。昨日のオリジナル・ブレンドなの。このお店で売ることを許すのっ! 」

「これは嬉しいプレゼントだなあ。本当にいいのかい」

「ふっふーん。だけどミルクのお店もきちんと宣伝して欲しいの! 」

「あははっ、抜け目がないなあ」


 全く、こんなことをせずとも宣伝するつもりだったのに。


 だけど彼女の心意気だ、有難く受け取ろう。


 ショーケースの上に木箱を置いて、挽き豆の小袋を並べる。

 箱に立てかけた小さな折紙に『喫茶店ラビッツ・コラボコーヒー』と目立つように赤ぺンで記載した。


「みんなに飲んで貰えるように宣伝させて貰うよ」

「有難うなの。とっても嬉しいの~♪ 」


 その喜びようにこっちまで嬉しくなってしまう。


 ――だが、その時。


 玄関の来客ベルが鳴り、突如『巨大な蛇』が入店してきた。

 サイズはプレッツに匹敵し、紫色の肉体に八重歯の隙間からチロチロと細長い舌を動かす。


 他を圧倒する凶悪な雰囲気の来訪者。

 だが、それを見たミルクは紫蛇に自ら近寄り、あろうことか小さな手で蛇のウロコをペシペシ叩いた――。


「グラッパってば、やっぱりドーナツ屋に入り浸ってたの~! 」


 そう、巨大な蛇の名はグラッパ。

 ミルクの顔見知りだった。

 凄まじい容姿とは裏腹に喫茶店ラビッツの常連の一匹ひとりだったのである。

 ちなみにグリュッグ商店の常連でもあり、プレッツ然りフェリーも彼の来店に驚くことはない。

 そんなグラッパは、ミルクが居たことに驚きつつ「チチチ」と苦笑いした。


「チチチ……こりゃとんでもない相手と出会っちまったわい」

「ふーん、ミルクの店には来ないのにプレッツのお店には来ているのー」

「そう言わないでくれんかねぇ。チチッ、別にコーヒーが嫌だとかそういうわけじゃ」

「じゃあ今からでもコーヒーを飲みに来るの。嫌とは言わせないの! 」

「チチッ、参ったな。ドーナツを食べに来たつもりだったのだがねぇ」


 グラッパはばつの悪そうに言う。

 それを見ていたプレッツは「いい話があります」と言った。


「グラッパさん。実は喫茶店ラビッツとコラボ企画を始めたんですよ。自分が監修したナッツクランチというドーナツをラビッツの方で販売を始めまして……」


 彼女のお店でしか食べることの出来ないドーナツがあることを説明した。

 すると、グラッパは「そうなのかね」と明るく言った。

 

「それは興味がそそられるねえ。このままラビッツに行けば食べれるのかね。ミルク、今から行っても大丈夫かい? 」


 ミルクは「仕込み済みなの」と人差し指を立てた。


「それは行かないわけにはいかないねえ」

「じゃあ早速行くの。美味しいドーナツとコーヒーも飲んで欲しいのー! 」

「チチッ、分かった分かった。それじゃあプレッツさん、また来るからねえ」


 グラッパは、ミルクとルビィに引っ張られる形で店を出て行った。

 しかしその直後、耳元で「こらあっ! 」とフェリーの雷が落ちた。


「うわっ! びっくりした……急に耳元で叫ぶのは驚くって。どうしたんだ」

「ミルクが大事なのはわかるけど、ウチの経営も考えてくれないカナ」

「そ、それってつまり」

「せめて一個くらい買わせてほしかったんだけど」

「……でしたね。すみません」


 これは参った、と頭を下げて謝る。

 すると謝罪と同時に玄関のドアが開いて、出て行ったはずのミルクが顔を出した。


「あれっ。ミルクちゃん、お店に戻ってたんじゃないのかい」


 pレッツが訊く。

 彼女は少しばかり震えた声で言った。


「……言うの忘れてたの。あのね、敵とか言ってゴメンなさいなの。色々と嬉しかったの。ありがとうなの。だからね、ミルクね、またここに遊びに来てもいい……? 」


 そんな質問してもらうまでもない。

 当然、答えは決まっている。


「いつでも遊びにおいで。俺もラビッツには遊びに行かせて貰うよ」

「うれしいの……。ありがとうなの~! 」


 そう言って、ミルクは店をあとにした。

 彼女の走る後ろ姿を見ながら、プレッツはフェリーに一言。


「嬉しくなるよね、ああいうの。儲けの話なんてちっぽけに見えちゃうだろ」

「嬉しいに決まってる。だけど……それとこれは別っ! 」

「……はい」


 プレッツのお話すり替え作戦、失敗!

 

 ………

 …


【 ナッツクランチ 終 】


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