アオギリの精霊

東屋猫人(元:附木)

アオギリの精霊

 我が実家には大きく育った——まさしく神木とでも言えそうな——アオギリの木があった。その木はもう老木と言ってよく、樹皮も白くなってきている。それでも見事に花を咲かせて毎年夏には気持ちの良い香りと木陰を届けてくれる、家族同然の大木である。

……しかし、この木にはある噂があった。ある一定の周期で、花をよくつける年がある。その年には家の者におかしくなるものが現れるというものだ。それを、結衣は小さい頃こそ


「きっと妖怪が住んでるんだ! 」


と怖がってはいたものの、今になっては信じてはいない。それに今までだって、住んでいておかしくなったことなどありはしないのだ。全くもって現実感がない。


……そう、思っていた。ついさっきまでは。




結衣は上手く寝付けず、ベッドから身を起こした。

気まぐれに、庭にでも出て、花の香りにでも包まれていようかと思ったのだ。そうやって夜風に当たって心地よい香りに包まれていれば、眠気も誘われるというものだろう。

庭へ出ると、その目論見は的中。涼しい風と香る心地よい香りに満たされ、リフレッシュすることができた。


その時だ。ある男が現れたのは。


じゃり、という音に目を向けると、木陰に白い着物と白い髪、緑の瞳……まさしく妖怪のような風貌をした男が立っていた。思わず悲鳴を上げそうになったその口を手で押さえつけられる。


「おお、おお。怖がらなくてよい、不審者ではあらぬ! 」

「不審者ですよ思いっきり! 」

「我はここにずっと暮らしていたのだぞ。そもそもお主たちが連れてきたのではないか。」


随分な大きい態度の不審者だ。それに時代錯誤でもある。

容姿は先ほど確認した通り。装いも、着流し……? のようなもの一枚に、やけに色とりどりな帯を後ろに長く垂らしている。……これは動くのに不便じゃないんだろうか。帯も汚れるし。そう思っていると、はたと手がひんやり冷たいことに気が付く。


まさか……この人、幽霊?


それならこの時代錯誤の恰好も頷ける。もし江戸時代でこの容姿で生まれてしまったがために殺されてしまった幽霊だとしたら……。本当は子どもだけど、大人の姿を取っているとか。だから帯が結べないとかそういうあれ? どこから憑いてきた?

などと思考を巡らす。すると徐に白い男が口を開き、


「我は幽霊ではないぞよ。」


と言った。し、思考が読まれている……⁉ 何者だこいつぁ……。などと思考が暴走し始めた。


「何者? うーむ……しいて申すなら神霊か……。」

「心霊⁉ 」

「違う。そちらではない。先にも申したであろう。神、御霊、それで神霊じゃ。」

「あ、そ、そういう……。」


なにやらなんだかファンタジー的な存在のようだ。そしておそらく偉い。


「そうじゃ、神霊ともなれば身分は貴いに決まっておろう。」

「とりあえず頭ん中覗くの止めてもらって良いですか⁉ 」


恥ずかしいったらありゃしない! と結衣は訴える。色々な雑念なども見られていると思うと、恥ずかしくて居た堪れない……。しかし白い男は暢気に

ううむ、便利なのに。わからない娘じゃのう……。と言いつつ、とりあえず頭の中をまさぐるのだけはやめてくれたらしい。

男はずっとニコニコしているのでどうしたって気が抜けてしまう。結衣は問うた。


「あなた、結局何者なの? 神霊って具体的には何? 」


「ううむ……、娘、お主はこのアオギリについて知識がないと見受ける。

このアオギリという木とはじゃな、古来より珍重されておる。材木としても、子らの遊び場としても、神聖なものとしても。実は人の血肉となり、香りは気を安らげる。お主もそれを期待してここへ来たじゃろう。

そして先に『神聖なものとしても珍重されている』と申したな。それはこの木に鳳凰が住むとされているからじゃ。わかるか? 鳳凰。」

「鳳凰くらいなら知ってるけど……。」

「うむうむ、良し。そこまで来たならもう一息じゃ。ところでお主、自身の血脈については存じておるか? 」

「血脈……? 今の親戚一同くらいしかわからないけど……。」

「むう……情けないことじゃ……。我は人で言う江戸の頃よりお主たち一族を見守っているというに。」

「それって、江戸時代くらいの御先祖様が、あなたをここに植えて住み始めたっていうこと? 」

「そうじゃ、そうじゃ。その移植をしたのが、お主の先祖で巫女を務めていたお辰であった。あのものはいつだって我を認め、世俗のことなどをよう教えてくれたものじゃった。我はここから動かぬからな。この木の手入れ、情報収集、すべてがお辰の仕事じゃ。ようく働く娘じゃったのう……。」

「はあ……。で、そのお辰さんがどうかしたんですか。」

「どうもこうもない。率直に申す。お主、お辰を継ぐがよい。そのために我の力を分けておいてやる、有難く思え。」

「えっ⁉ ちょ、やーめーてー‼ 」


懇願空しく、男はヨシッと満足そうな顔をしている。ヨシッじゃない、ヨシッじゃ。


「それでなんで私がお辰さんの代わりになると思ってるんです⁉ 」

「……だって、お主ら全く我に気が付かぬではないか。四年ごとに気のおかしくなるものがおる、という怪談話までつけてしもうて。」

気が満ちると言え、気が満ちると。と憤慨している。


「じゃあ、あなた自身はその……四年に一度、ここの家の誰かに姿を見せて続けてきたっていうの? 」

「うむ。しかし、みなとんと気づかぬ。本当にあのお辰の子らか、と疑うほどじゃ。しかし、今回お主は我の姿を認めた。嬉しゅう思うぞ。一たび我を認めたと分かれば、逃す手はあるまい。それで此度、力を分けていつも見えるようにしてやったというわけじゃ。それで、お主名はおゆいで合っていたかな? 」

「あ……結衣でいいです……。」


随分嬉しそうな顔をしている。まさしく子どものような。なんだ、ただ寂しかっただけなんかこいつ、という気持ちとあの怪談話はやっぱりこいつのせいか、という気持ちがむくむくと湧いて出る。


「あ、ちなみに申せば、我は毎年ここにおるぞ。四年に一度というのは気が満ちてより姿を現しやすいからそれで目撃されていたのだろうて。」

「はぁ……。」

「それに、四年に一度のあの大会……あれが楽しみでな。誰も見てくれないので家に上がることも叶わぬ。毎回この庭で、大窓の所から応援しておったぞよ。」

「神霊がオリンピック応援してるとかイメージぶっ壊れだわ。」

「何を言う! 大丈夫どもがあんなに鍛え上げた身体を酷使し互いの実力、それまでの努力を競い合うのじゃぞ⁉ 涙なくして見られぬ! 」


あれは素晴らしい催しものじゃ、と本人は目をきらきらさせているが、家の者としては居た堪れない。だって、四年に一度、この窓に張り付いて必死に応援してただなんて……。


「なんか、ごめんね……? 気づいてあげられなくて……。」

「ほんにそうじゃ。暇で暇で消えるかと思うたぞ。じゃから……これからは退屈せぬようよろしゅうな、結衣どの? 」


なんてこった……。随分面倒なものに好かれてしまったようだ。四年に一度から、毎日お世話付きに勝手にグレードアップされてしまった。


「あぁ、ちなみに生活に関わる銭のことは気にせずともよい。お主はこの我の所謂お気に入りじゃ。加護があれば商いのめぐりあわせも良くなろうぞ。家で仕事をするようにせい。」

「強制在宅ワーク……。」


まあそれはありがたい。仕方がないし、やってやるか。ずっとここにいたんだしな、この人。


「ちなみに神霊って言ってたけど具体的にはどんなのなの? 」

「ん? 申していなかったか。我は鳳凰じゃ、鳳凰。このアオギリに住まう神霊と言えば鳳凰に決まっておろう。」


よろしゅうな、と手を握られる。もうなんか……細かいことはいいや……。そう半ばあきらめたような心地で新しい生活をスタートさせることになった結衣だった。

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