とどめの一撃

鈴界リコ

とどめの一撃

「なあ、奴ぁまだ居やがるのかい」

 掛けられた声に、ベッドへと首を捻る。彼が部屋へ入ってきて以来、仰向けの身体は微動だにしなかったから、沈黙を求められているのかと思っていた。だがへたった枕を補う腕枕の上で、クリスは先程からずっと、こちらを注視し続けていたらしい。

「全くしつこい奴だな、もう一週間か。いい加減、懐具合もおぼつかないだろうし、先にお足を払わせた方がいいぜ」

「羽振りが良いようですよ」

 深刻な話題であるにも関わらず、クリスの声音は歌でも口ずさむかの如く軽やかだった。それに、例え射るような眼差しを放つときでさえ、彼の眦は酷く剽軽な皺を刻んでいる。まるで今にも笑み崩れそうな目に促され、マイクは短い吐息と共に首を振った。

「あちこちへ金をばらまいて、女達にだって親切だ。見かけよりも紳士だから、ずっといてくれと皆から袖を引かれています」

「紳士! とんだ紳士がいたもんだな!」

 藁入りのマットレスを平手で叩くものだから、ベッドヘッドに掛けたガンベルトが撓む、傍らの皿が跳ね上がる。ぱらぱらと散らばった卵の殻はシーツの皺の間に潜り込み、一度引き剥がさなければ払い落とす事ができないに違いない。

「南部連合の旗を掲げる土地に生まれた人間で、あいつほど極道な男はいやしない。あいつは女の前で膝をつくんじゃない、女を跪かせるんだ。仕事の最中に撃たれて、脚を引きずるようになったご婦人が何人いたことか」

 クリスが酒場の二階にあるこの部屋へこもって一週間。寝具は変えなくても良いと言われていたし、供される食事がいつも一塊のパンと茹でた卵だけでも、文句を付けられたことはない。そもそも、そんな事を口にする資格などありはしないのだ。一介の胴元兼用心棒が連れ込み部屋を占領し、お籠もりを続けているなんて。

 お目付役を失った店がそこまで荒れていないのは、彼を待ちかまえる者が一目置かれているからに他ならない。最初の日に、その男は自らが何者であるかを態度で示した。新参者へちょっかいを掛けてやろうと近寄った牧童は、歯という歯をへし折られて泣き喚く羽目に陥っている。

「癇癪を起こして、あの可愛い蜜蜂達をひっぱたくのも時間の問題だぜ。店主の名において、お前が追い払っちまえよ」

「まさか、とんでもない」

 思わずマイクは肩を震わせた。雇われバーテンダーの身で、暴力沙汰など真っ平ごめん。仕切台の下へ隠した銃はこれまで一度も手に取られたことがなく、錆び付くままに任せられている。本気で表情を怯えに染める青年へ、クリスは腹を揺すり、笑い声を上げた。

「ああ。お前なんか、一たまりもないだろうな」

「けれど、とにかく彼は諦める気配がありません。あんたが姿を見せるまで、ずっと待ち続けるつもりですよ」

「時間には限りがあるさ」

 土足のままの脚が組み直され、シーツに新たな汚れを刻む。

「あと金もな。女がまず最初に何を全部搾り取るか、御覧じろってところだ。今も愉しんでるんだろう」

「いえ、それが飲む相手だけさせて、部屋には連れ込まないんです」

「ああ、そうか。相変わらずなんだな」

 染みの浮いた天井を見上げる目はそのまま、口元だけが横に滑るような笑みで歪む。

「あいつは昔から、女に対して一途なのさ。惚れた相手に貞節を捧げてる。毎晩寝る前にお祈りするし……今でも、胸から十字架をぶら下げてるかい」

「ええ。それに、勲章も幾つか」

「このご時世に、アーティー・クレメントへ忠誠を誓ってるんだからな」

 真上に到達した太陽は曇った窓を貫き通すが、恩恵を施すのは擦り切れた絨毯だけ。じめじめとした影の中で、クリスの表情だけが場違いなほどに朗らかだった。

 それでもマイクは、自らが口を開くたび、張りつめた緊張の糸が掻き鳴らされる想像を打ち消すことが出来なかった。

「彼のことをよく知ってるんですね」

「昔馴染みさ……ああ、親友だったよ」

「なら、彼はどうしてあんたを殺そうと……」

 再び顔が振り向けられた時、クリスはまだ笑みを留めていた。肥沃な大地を思わせる色の瞳は、無垢さすら湛え輝いている。

「お前はまだ若いから、分かりゃしないだろうな」

 まるでそのきらめきを閉じこめるかのように、瞼が下ろされる。同時にそれは、時折見せつける固い殻を、彼が再び張り巡らせたという合図だった。自らの差し出がましさを素直に反省し、マイクはそれ以上の詮索を止めた。

「知ってるついでに当ててやるよ。あいつが酌をさせるのは、メキシコ生まれか、それともインディアンの娘だろう」

 近寄ってきた相手がベッドへ手を伸ばそうとしたのを測っていたかの如く、やがてクリスは口を開いた。

「そう、あいつは小麦色の肌をした女が好きなのさ」

「ええ」

 皿をすっと取り上げ、マイクは頷いた。いつもの献立に付け加えたチリビーンズの煮汁が、白く分厚い陶器一面を薄赤く汚している。

「昨日の晩も、ビー相手に講釈を垂れていました」

 踵を返した時、視界の端に映った表情と言ったら、危うく拾ったフォークをへし曲げてしまいそうになる。片目を開いて作る逆しまのウインクから、クリスが再び上機嫌を取り戻したことは一目瞭然だった。

「さすが、お目が高いな。彼女は美人で、気立てもいい。そうだろ?」


 マイクが階下へ戻った時にも、男はやはり待ち続けていた。鄙び砂塵に埋もれ掛けた街の中でも特にうらぶれた店だ。昼間に屯する客は少ない。

 金があるのならば、投宿するホテルの小綺麗なバーで、もう少し高級な女を選ぶことが出来るはずだった。けれど彼は端金で買える混血娘を侍らせ、毎日朝から晩までここに居座っている。赤鼻の娼婦や、テーブルに突っ伏し、呂律の回らない小声で管を巻く酔漢と同じだ。店の調度品にでもなったかの如く、ただそこへ在り続けていた。

 薄暗い室内で一層濃い影は、けれどひとたび動けば、倍ほどにも身の丈が伸び上がったように見える。

「もう二杯頂けるかな」

 仕切台の奥へ戻ったマイクの姿を認めた途端、男はそう所望した。丁寧で優しげな、囁くような声は、相手から是以外の答えを絡めて奪い取る。

 ラベルのないバーボンの瓶を棚から取り上げ、マイクは男が待つテーブルと赴いた。壁際の、入り口と階段が見渡せる席だった。腰掛ける椅子が、階段へ相対する位置から動かされたことは一度もない。

 男は注がれたうち、最初のグラスに傍らの女が手をつけるまで待った。ビーがちびちび中身を啜る様を目にしてから、二つ目を取り、一息で拳の半分ほどを喉に流し込む。冬も間近に迫り、バッファローの毛皮へくるまっている客もいるほどなのに、彼は水でも被ったかの如く汗ばんでいた。

「奴はまだ、降りてこないかね」

「ええ、恐らくは」

 はぐらかすと言うことを、マイクはここ数日放棄していた。ビーが傷のついたグラスの縁越しに、無感動な上目を投げかける。

 彼女よりも、男は余程愛想が良かった。ただ、彼がごま塩頭を振り立てて笑うと、息が詰まりそうになる。濡れた唇は元より、顔についている全てが今にもがらがらと崩れ落ちてしまいそうな笑みだった。

「胴元が一週間も留守じゃ、いい加減博打打ち達も商売上がったりだな」

「つまり、馬鹿が来なくなる」

 模造ダイヤをあしらったハイヒールの爪先を蹴り立て、ビーは嘯いた。

「クリスよりも、殺し屋のあんたがいた方が、街はよっぽど平和になるのね」

「かもしれん」

 喜ぶ代わりに、男は店の中へ視線を巡らせた。マイクを呼びつけようとしていた酔いどれが、抱えたグラスに慌てて視線を落とす。

「奴は弱い男だ。昔から変わらない」

 揺すられる男の肩の動きに合わせ、垢じみた襟の奥、油を塗ったように光る胸の上で、十字架と勲章がちゃりちゃりと音を立てた。

 謗る癖、けれど彼は階段へ足を向けようと決してしないのだ。その時はあいつを止めてくれ、とクリスに頼まれている。マイクがそれをこなせないと知る、やたらと呑気な言葉付きで。

「サン・ルイス・ポトシから来たんでしょう。私も一度行ったことがあるの」

 白人だったらお下げを振ってみせそうな、わざとらしい無邪気さでビーが口を開く。

「とても素敵なところね。大通りの先の先まで、綺麗な白いお屋敷が続いていて。まるでパリみたい」

「パリになんか行ったことないくせに」

「いつかきっと行く。それに、この人が、メキシコへ連れてってくれるって」

 憎まれ口へ対抗するよう、薄い胸が男の腕へ押しつけられる。男はまるでそしらぬ顔だった。浴びせ掛けられるしんねりした媚ごと飲み干す勢いで、グラスを煽る。

「南はまだ暖かい。言っちゃなんだが、ここはクソ溜めみたいな場所だな」

「そうよ。一度足を取られたら、そのまま沈み込んで出られなくなる」

 しつこくマイクを睨みつけたまま、ビーは答えた。

「クリスと同じ事言うのね。彼も最初は、しょっちゅう文句を言ってた」

「奴がここに来てどれくらいになるね」

 男が僅かに前のめりとなった拍子に、また首から下げられた鎖が擦れ合う。そのささやかな音は、マイクの焦燥感をじわじわと募らせた。招かれざる客には慣れているつもりだった。寧ろ、危険に対する忌避感は、ビーの方が余程強いはずだ。なのにどうして彼女は、平気でこの男に纏わりつくことが出来るのだろう。

「一年くらい。今じゃもう、けろっとしてるけど。彼は何でもそう、気付けばそつなくこなしてる。どこにでもすぐ馴染んで……生まれついての根無し草なのね」

 アルコールで軽くなり、紅も剥げた唇を、男はじっと見つめている。先程から二人は言葉を交わし続けていると言うのに、マイクが話へ加わって以来、彼がこの娼婦とまともに向き合ったのは、今が初めての事であるかのように思えた。

「あんたの友人なら、彼もとんだワルって事になるのね。堅気じゃないとは知っていたけど、まさか賞金首だったなんて……」

 鋭い眼光が、普段浴び慣れている肉欲混じりのものと一線を画すと、ようやく気付いたのだろう。細い指先が、額に掛かった髪を耳に掛けようとする。

「彼を殺して、保安官のところに持って行くのね」

「いや」

 喉を潤したばかりにも関わらず、男の声は掠れ、抑揚はぞっとするほど薄かった。

「死体はお前にくれてやる。俺は奴を殺ることが出来れば、それで構わん」

「どうしてそんなに憎むの」

 こんな台詞を、大真面目な顔で言ってのけるのだ。思わずマイクは、彼女の薄い肩を掴んで引き留めようとした。だが自らへ向けられていない直情が、身を竦ませる。掴んだウイスキーの瓶が生ぬるさを増し、掌の中でぬるりと滑った。

 対してビーは、男と相対する勇気を持っていた。それ以上酒の力を借りることもせず、目を深々と覗き込んでは、ことさらゆっくりと言葉を放つ。

「話を聞いている限り、あんたとクリスとは仲が良かったはずなのに」

 男は手にしていたグラスをテーブルへ戻した。ガラスを加減もなく握りしめていた手は、離されてしばらくの間、宙で鈎の如く強張ったままでいる。満ち満ちた怒りは、彼の中で一層かさを増し、喉仏を震わせた。

「あいつは黙って姿を消した。掟に背いた人間は、罰を受ける必要がある」

「クリスは密告なんかしない。知ってるでしょう」

「奴が今何をして、これから何をしでかそうが、そんなことは構わん。俺が言っているのは、奴がもう既にやったことだ」

 どれだけ杯を重ねたところで、男が酔っている気配は微塵も見られなかった。伏せられた瞼の奥で、瞳が刻一刻と暗さを増すのは、また別の問題なのだ。こめかみを流れる汗が眦まで到着しても一向に頓着することがない。半眼でも尚ぎらつきを隠しきれない瞳で、彼はじっと虚空を見据えていた。

「3年前、奴は突然いなくなった。追っ手は皆すんでのところでかわされるか、返り討ちにされるかだ。奴に落とし前をつけさせる為、俺は追い続けた。奴の顔が頭から離れたことは一度もない。例え眠っているときでさえも」

 中身が火照りを鎮める妙薬であるか、或いは逆に炎へくべる燃料であるかのように、日に焼けた手がグラスへと伸ばされる。酒を足すべきか迷った結果、結局マイクは瓶をテーブルの上に置いた。

「そのうち、葡萄酒が酸くなるように、奴が憎くなった。一度甘さを味わったが最後、腐った味は許せない」

「3年間も無駄にした? 酷い話」

 椅子へ背を押しつけ、ビーは息をついた。

「クリスが、そこまでする価値のある人間だなんて、とても思えないけど」

 男が怒りを露わにするかとマイクは思った。だが噤まれていた唇は歪み、益々笑みの形に近くなる。

「理解しろとは言わんさ」

 立ち上がると、ベルトに差し込まれた古ぼけたコルトが嫌でも目につく。人殺しの話をしておきながら、マイクは今この時まで、男が持つ銃の存在をすっかり忘れていた。

 男は酒代と別に、かなりの額の紙幣をビーに渡した。

「一体何だいそれ」

 ちゃりちゃりと音を響かせながらドアを潜る後ろ姿を後目に、マイクが声を潜めれば、彼女はほんの少し肩を竦めて見せる。

「クリスを撃った後、祝いに私のことを抱きたいって」

「とんでもない奴だな」

 あんな男に近付かない方がいい。あいつどころか、他の男にも、むやみやたらと媚を売るなんて。今こそ、そう舌に乗せるつもりだった。だがビーの、アタカパ族の血が半分流れる鋭敏で優美な面立ちから、それまで浮かんでいた微笑は蒸発している。男が消えた先、スイングドアの向こうで白く目映い世界に目を細め、彼女は低い声で呟いた。

「分からなくはないのよ」


 男が出て行ったと報告しても、クリスは寝そべったまま億劫そうな目付きを作るだけだった。

「ホテルで風呂でも入ってるんだろう」

「今のうちに街を出たらどうです」

 自ら口にしながら、提案が無意味である事をマイクは知っていた。これまでその機会は何度もあった。明け方の僅かな時間、男が宿のベッドへ倒れ込む隙をついて馬に飛び乗るなど、このならず者にとっては容易い事だろう。けれどクリスはここから出て行こうとしない。まるで待っているかのように。けれど、何を待つと言うのだろう。追い詰められているにも関わらず、彼は何も恐れていないようだった。最初からここで生きていたかのように、泰然とした物腰を崩さない。

「あいつは俺の事、何て言ってた」

「酔っ払いらしい事を」

「罵ったんだな」

 からからとした笑いは、湿気で撓んだ天井を押し上げそうな勢いだった。

「そんなにムシャクシャしてるなら、女を抱けば良かったのに。ビーには何もしていないんだろう」

「だと思います」

 頬を痙攣らせるマイクへ向けられる同情や慈愛はない、残念ながら。寧ろ彼は、これからひどく楽しい事が起こるかのような表情を浮かべていた。


「こんな鬱陶しい部屋で腐ってたら、体がおかしくなるな。ビーを呼んでくれ」

「彼女を?」

 掠れたマイクの声に、クリスはうん、と頷いてみせた。

「お代は給料から引いてくれ。彼女は良い子だよ、尽くしてくれること、ハレムの姫の如しだ……お前まだ、寝たことないのか」

 睨みつけたつもりなのだが、やはり彼は全く堪えていないようだった。

「彼が怒りますよ」

「彼? 誰が?」

「ここのところずっと、彼女に相手をさせて、気にいっているようですから」

「ああ」

 クリスは事も無げに手を振った。寝返りを打つ拍子に、寝乱れた髪が横顔へ覆い被さる事だけが、彼にとって煩わしいことであるようだった。

「あいつは怒らないよ。そんな権利、あいつには毛ほどもない」

 階段を駆け上がってくる足音と外の騒ぎ、耳へ飛び込んできたのはどちらが早かっただろう。だが少なくとも、ビーが部屋へ飛び込んできたとき、クリスは上半身を起こし、ベルトから抜いた銃をドアに突きつけていた。

「大変よ。あの人、すっかり」

「クリチャン・ゴドフリー! そこにいやがるんだろう!」

 轟いたのは余りに荒々しい声だったので、最初マイクは誰が怒鳴っているのかが分からなかった。クリスはすぐに理解した。立ち上がり、窓を開ける。

「アダム。人様に迷惑を掛けるのは止めろよ」

「貴様が降りて来ないなら、街中を燃やしてやるぞ!」

 クリスの肩越しに、マイクも怖々と外を覗いた。いつの間にか、男は酒場にあった椅子という椅子、机という机を持ち出していた。これでも足りないと言わんばかりに、窓の下へ積み上げたそれらに、ウイスキーを振りかけている。今日からしばらく、店は看板だろう。席はともかく、売るものがなければ開けることが出来ない。

 クリスは焦る様子を見せない。寧ろうんざりしていると言わんばかりに、窓枠へ片手をつき、僅かに身を乗り出す。反対側の掌に握ったコルトはぴかぴかに磨かれ、浴びる陽光で鈍く光っていた。

「こんな馬鹿なことをしてないで、マリアの元へ帰ってやれ」

 放り込まれたマッチに、遠巻きに眺めていた野次馬がどよめく。

「彼女は元気にしてるのか」

「あいつは生きてりゃチワワの修道院だ。貴様のことが忘れられないと抜かして泣いて逃げようとしやがるから、脚を撃って教会の庭へ放り出してきた。あそここそ、あばずれにふさわしい場所もないだろうさ!」

「そうか」

 立ち上り始めた黒煙を見つめ、クリスは息をついた。

「彼女は信心深かった。案外幸せかもしれないな」

「ふざけるな。貴様を追い出して以来、何もかもがむちゃくちゃだ」

 おぼつかない足取りで一歩、二歩と火に近付き、男は天を仰ぐ。まるで酔っているかのようだった。

「女は逃げた。配下は殆ど捕まった。貴様は悪魔だ、貴様が手をつけたものは全て穢れてる。貴様の手を離れた途端、全て腐るんだよ」

 よろめき喚き散らし、今の男を押さえ込む事なら、周囲の野次馬にも容易だろう。それでも取り巻く人間は、誰一人として微動だにしない。マイクもただ固唾を飲み、様子を見守っていた。

「降りてこい、腰抜けめ。俺が憎いだろう、決着をつけたいだろう。あの時殺してやるべきだった、今日こそ引導を渡してやる!」」

「なあ、アダム。俺はお前のことをこれっぽっちも憎いと思っちゃいないよ」

 もうもうと燃え盛る炎から、クリスは視線を男の顔へと切り替えた。マイクが息を詰まらせたのは、クリスの横顔が、放った言葉を裏切ることがない穏やかさを湛えていたからだ。男を見下ろしざま放たれる声は、ゆらゆらと立ち上る熱気に揺さぶられることなく、静かに、まっすぐ貫き通る。

「寧ろ感謝してるんだ。いい機会だった。あんな明日のことすら分からない流れ者の生活には、いい加減うんざりしていたからな。俺は今の生活に満足だよ」

 見つめられたまま、男は雷に撃たれたかの如く顔を硬直させた。額にふつふつと玉を作っていた汗だけが、炎によって更に大きく膨らみ、日に焼けた肌の上を滑り落ちていく。だから男の頬が濡れているのは涙のせいではない。その瞳はすぐに、憎悪をたぎらせる。

「なら、壊してやる」

 男は腰から銃を引き抜いた。闇雲に振り回される銃口が向いた先で上がる悲鳴には、女子供のものも混じっている。

「何て奴だ」

 クリスはベッドからベルトを取り上げた。締めようと俯く顔は、今日初めての渋面に染まっている。

「見ていられん」

「私が保安官を呼んでくる」

 弾かれたように顔を上げたビーは、そっと手を握り込まれる事で簡単に押さえ込まれる。

「あいつは俺の顔を見たいって言ってるんだ。それで満足するだろうさ……すぐ決着はつく。今夜は一番綺麗な服を着て、ここへ来てくれよ。マイクがいいワインを回してくれるとさ」

 去り際マイクに向けて瞑られた片目は、やはり気軽なものだった。

 クリスの後ろ姿が扉の向こうへ消えるや否や、ビーは窓辺へと駆け寄った。マイクはもう、その場へ立ち竦むことしかできない。かと言って、銃を手にした男達のことも、ビーの事も、勇気があると誉めそやす気にはとてもなれなかった。怯む事なく、視界を遮る黒煙へ身を晒す華奢な後ろ姿が、酷く遠いものに感じる。

 クリスの宣言通り、決着はすぐについた。放たれた弾丸は二発。ほぼ同時に響いた銃声はまるで、愛し合う二人が歌うように絡み合い、雲一つない空に溶ける。

 ぱちぱちと弾ける火花以外、全ての音が消え失せる。しばらくの間じっと見下ろしていた後、ビーは踵を返した。

「どこへ?」

「ホテルよ。お風呂を借りるわ」

 答える彼女の声の平坦で、目はマイクを見る事がなかった。

「身体を綺麗にしなきゃ」

 階段を駆け下りていく足音へ耳を澄ましながら、マイクはその場へ立ち尽くしていた。それ以外、どうすることも出来なかった。


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