エピローグ

最終話 終わらない蟲毒

 それは、風に桜が舞う季節のある日の事。

 この春、大学2年生になった僕は、校舎前の広場にて、周囲を行き交う人々を見送りながら立ち尽くしていた。


「テニスサークルやってまーす! 新入生の皆さーん、うちに入りませんかー!?」

「料理研究部で体験入部を受け付けています! 体験入部に来てくれた方には、美味しいお菓子もプレゼントしますよ~!」

「あ、そこの新入生の君! うちのサークルに入らねぇか!? すっげー楽しいぜ!?」


 今日は、うちの大学の入学式が行われる日だ。

 入学式のため、通常の授業はないのだが、サークルに所属している学生達は普通に登校してきており、入学式を終えて出てきた新入生を相手に、ここぞとばかりに勧誘活動に明け暮れている。


「はぁ、よくやるよなぁ。サークルなんて面倒臭そうな活動。」


 僕は学内のサークルには所属していないため、本来であれば今日は休みの日になるはずだった。

 しかし、「彼女」に誘われたので、こうして休みの日にわざわざ大学まで出てくるハメになったという訳だ。

 ただ、僕を誘った彼女の姿は、まだ周囲には見当たらない。

 広場でのサークル勧誘が活発化している今、彼女がそろそろ現れてもおかしくはないはずなのだが……わっ!?


「だーれだ?」


 僕の視界が突然何かに塞がれて真っ暗になり、同時に後ろから愛らしい女の子の声がする。

 この大学においても相変わらずぼっちキャラを貫いている僕に対して、こんな事を仕掛けてくるであろう相手は、ただ1人しか思い浮かばない。


「考えるまでもない質問だな。正解は――美波、だろ。」

「ふふ、バレてしまいましたか。」


 僕が名前を呼ぶと、真っ暗だった視界がスッと晴れ、目の前に黒髪の美少女が出現した。

 穏やかで優し気な顔立ちに、女子としては高めの身長、均整の取れたスタイルを併せ持つ彼女は、シックな黒いスーツを纏っている。

 また、長い黒髪は束ねられてポニーテールにされており、彼女の装いにはいつもとは異なる新鮮さがあった。


「入学式はどうだったんだ、美波。」


 この春、僕と同じ大学に入学する事になり、つい先程入学式を終えて僕の元へやってきた彼女――蟻塚美波に、僕は入学式の感想を尋ねてみた。

 すると、彼女はクスリと笑い、僕の腕に自分の腕を絡ませてくる。


「特に何事もなく終わりましたよ。ここへ来るまでの間、サークルの勧誘がしつこくて、義弘先輩の元へ来るのが少しだけ遅くなってしまいました。」

「なるほど。まぁ、美波の事だから上手くあしらってきたんだろうけど。」

「ええ。もちろん、トラブルに発展しないよう、言い回しなどには気を付けましたよ?」

「それなら良かった。昔の美波だったら、必ずトラブルを起こしていただろうからな。」

「いつまで昔の事を持ち出しているんですか? 私達が付き合い始めてから、もう2年半も経つんですよ?」

「まあ、そうなんだけどな。」


 今から遡る事2年半前、あれは僕が高校2年生だった秋の事だ。

 文化祭が終わった後、僕の家に押し掛けてきた蜂須と蝶野先輩、そして美波の3人に迫られた僕は、その場で誰か1人を選ぶ事を強要された。

 当時は蜂須とカップル目前の関係まで進んでいたものの、蜂須の思わぬ一面についていけなかった事や、最後のアピールタイムでの言動が決定打となり、僕は最終的にこの蟻塚美波を選んだのだ。


 ただ、選んだはいいものの、大変だったのはその後だ。

 あの時は家に母さんがいた事もあり、蜂須も蝶野先輩も多少暴れてはいたが何とか帰宅させる事は出来た。

 だが、それ以降あの2人は学校で頻繁に僕や美波の元へ押し掛け、何度も騒ぎを起こしてくれたんだよなぁ。

 本当に、本当に、大変だった……。


「義弘先輩、何をボーッとしているんですか? 今からこの大学の施設などを案内してくれる約束でしたよね?」

「あ、ああ、そうだったな。」


 じゃあ、早速行こうか――と言い掛けて、僕はすぐに足を止める。

 広場の奥の方に、キョロキョロとあちこちを見回している女の姿を見つけてしまったからだ。

 その女のサイドポニーの髪は、高校生の頃と違って黒くなっているため、遠目からだと他の学生達と見分けがつきにくいのだが、僕はもう見慣れてしまっているからな。

 遠目からでも「あいつだ」とすぐに分かってしまうのだ、悲しい事に。


「先輩、どうしまし――ああ、あの人ですか。未だに諦めていないみたいだ、とは聞いていましたけれど。」

「わざわざ僕と同じ大学の同じ学部に入ってきたくらいだしな。あ、でも普段は時々声を掛けてくるくらいで、意外と静かにしていたぞ。」

「普段がどうであるかは、今は関係ありませんよ。どうするんですか?」

「とりあえず、大学の外へ逃げよう。今日はのんびり案内するのは厳しそうだからな。案内はまた後日にさせてくれ。」

「はぁ、仕方ありませんね。分かりました、約束ですよ! では行きましょう!」


 僕と美波は慌ててその場から走り去り、大学の外へ出る。

 あいつもこちらに気付き、慌てて走ってきていたようだが、広場の人だかりに阻まれて呆気なくこちらを見失ってくれたらしく、僕達が大学を出てから程なくしてあいつの姿は見えなくなった。


「ふぅ、もう追い掛けてはこないみたいですね。」

「ああ。、もう大丈夫そうだな。」

「義弘先輩、これからどうしましょうか。何処かで適当にデートしますか?」

「いや、そうはいかないだろ。今の美波の恰好はデート向きじゃないからな。」


 入学式のために美波がスーツを着ているのに対し、僕は私服だ。

 この組み合わせでデートをするのは、さすがにちょっと微妙だよなぁ。

 せめて何処かで着替える……おや?


「っと、スマホに電話が来たみたいだ。ちょっと待ってくれ。」


 僕は美波に断りを入れて、スマホの画面を確認する。

 もしかして、さっきのあいつが電話を掛けてきたんだろうか。

 咄嗟にそう思った僕だったが、スマホの着信画面に表示された名前は、別の相手だった。

 だが、こっちの人は……。


「今度はその人ですか。義弘先輩は、相変わらずモテモテですねー。」

「おい、そんなに怖い顔をしないでくれ。僕とあの人の間には何もやましい事なんてないからな?」

「でも、あの人って最近かなり人気が出てきてるみたいじゃないですか? 私はアニメとかあまり詳しくないですけど、興味本位でインターネットで調べてみたら、話題のアイドルアニメの役が決まったとかで既にファンがついてきているみたいでしたよ?」

「あー、そうみたいだな。最近の声優は顔出しする事が多いから、あの人みたいに顔もスタイルも抜群だったら、あっという間に人気が爆発するだろ。」


 あの人が役を射止めたアイドルアニメは既に何年も運営されている老舗コンテンツであり、元から一定の人気を誇るコンテンツだった。

 だから、新たに登場するキャラクターと、その声優が誰になるかは、ファンの間で大いに注目される話題だったのだ。

 だから、声優として正式にデビューしてから日が浅いあの人も、役が決まってすぐにコンテンツのファン達の耳目を集めた。

 そして、オーディションを勝ち抜いた確かな実力と、アイドル顔負けの圧倒的なビジュアルの暴力がファン達の心を掴み、彼女自身の人気へと繋がってきている……らしい。


「デート中なのにその人からの電話に出たら、私も容赦しませんよ?」

「分かってる。出ないから安心しろ。」


 僕はスマホの電源を切り、ポケットに仕舞い込む。

 今はすっかり丸くなった美波だけど、怒った時だけは昔の毒舌が再び切れ味を取り戻してしまうからな。

 可愛い彼女の機嫌を無駄に損ねるのは、なるべく避けたいところだ。


「全く、あの2人は未だに義弘先輩を諦めていないんですね。以前にも提案しましたけど、やっぱりさっさと籍を入れてしまいませんか?」

「さすがにまだ早いだろ。せめて僕が大学を卒業するまでは待って欲しいところだ。そもそも、僕達が結婚したら本当にあいつらは諦めるのか?」


 今も普通に電話やメッセージが飛んでくるし、大学や自宅に押し掛けてくる事もままある程だ。

 あまりに悪質であればきっぱりブロックするところなんだが、「基本的には」友達としての距離感を一応保ったまま攻めてくるから、こっちとしてはやり辛いんだよなぁ。


「義弘先輩は本当に優柔不断ですね……と言いたいところですけれど、あまり強く拒絶すると、逆にとんでもない事になりそうな気もしますね。」

「ああ、そうなんだよなぁ。だから僕も対処に困っているのが正直なところだ。」


 全く、本当にどうしたものか。

 思わず僕が頭を抱えると、頭頂部をそっと撫でるような温かい感触が……え、美波?


「大丈夫ですよ、義弘先輩。私はこれからも先輩を精一杯支えていきますから。邪魔者を消すために、自らの手を汚す事になるとしても……。」

「み、美波?」


 美波の目に、虚ろな光が宿る。

 顔は笑っているのに、目が怖い。

 これまでに幾度も見た事のある、彼女の表情。


「一応言っておくけど、法律に違反するような真似は止めてくれよ?」

「ふふ、もちろんですよ。もちろん大丈夫ですよ、ふふふ……。」


 本当に、大変な事にならなければいいんだがなぁ。

 うっとりした顔で僕の頭を撫でる美波を見て、僕は近い未来の出来事に思いを馳せるのだった。

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蟲毒なストーカー leema @grandia

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