2月28日生まれの私と2月29日生まれの彼

小鳥遊 慧

2月28日生まれの私と2月29日生まれの彼

1. 私が8歳で彼は2歳


「うちの子ようやく2歳になってくれたのよ」


「そっか今年は閏年だものね。おめでとう」


 ママと一緒に買い物に行った帰り道、隣の家のおばちゃんとうちのママがそんな会話をしていた。おばちゃんが抱っこしている男の子はきゃっきゃと機嫌よさそうに笑っていた。閏年ってなんだろうと私はそれを聞いて思っていた。


「雪乃もおめでとうって言ってあげなさい。今日は北斗君誕生日なんですって」


 それならわかると頷いた。私も昨日誕生日で皆におめでとうと言われたばかりだった。


「お誕生日おめでとう!」


 ぱちぱちと手を叩きながら言うと、北斗君は楽しそうに笑ってくれた。


 それからママたちは一言二言喋ってから、それぞれ家に帰っていった。


「ママ、お隣の北斗君って、ずっと赤ちゃんだよね? 何で?」


 家に帰ってからママにそう聞いた。だってよく考えたら北斗君って、去年も一昨年もその前もずーっと赤ちゃんだったと思う。なのに今年で2歳っておかしいなって思ったのだ。


 ママはちょっと困ったように首を傾げて、それからカレンダーを指さしながら説明した。


「あのね、今日はここなの。2月29日。この2月29日っていうのはねこういう風に去年はなかったの」


 言いながらママは去年のカレンダーをスマホで見せてくれた。確かに私の誕生日の2月28日までしかない。


「2月29日っていうのは4年に1回、閏年っていう年にしかないのよ。北斗君は本当は雪乃と同じ年の1日違いで生まれたけれど、4年に一度しか誕生日が来ないの。だから今日でようやく2歳なのよ」


「私とおんなじで8年生きてるのに2歳ってこと? そしたらええっと、12年で3歳で、じゃあ60歳になる頃には240年生きてるの? すごいね! とっても長生きできるね!」


「そう、なるわね……」


 私が興奮して言うのとは反対に、ママは沈んだ声で答えて私を抱きしめた。


「ママ?」


「雪乃がギリギリ2月28日生まれでよかったわ……これ以上生まれるのが遅くなったらどうしようって必死だったけど……本当によかったわ……」


 ママが震える声でそう言うのでどうしていいか分からずに、私が泣いたときにママがよくしてくれるようにママの背中をただ撫でた。



    * * * *



2. 私が20歳で彼は5歳


「お母さん早く早く遅刻するって!」


 あと一ヶ月ちょっとで20歳になる成人の日、私は家のドアの前で振り袖姿を写真で撮ろうと奮闘しているお母さんを早く早くと急かしていた。だってこのままじゃ友達との待ち合わせに遅刻しちゃう。だというのにお母さんは何枚写真を撮るつもりなのか、一向に撮影が終わらない。


「ママ、お姉ちゃん綺麗だね!」


 同じマンションの人が通りかかる度に羞恥をおぼえて俯いていたら、隣の家の親子がちょうどお出かけらしく家から出て来た。私の恰好を見てそんな感想を言う北斗君は、今年でようやく5歳のはずだ。彼のお母さんは私のことを眩しい物を見るような、絶望を覚えたような、いっそ憎しみの籠ったようなそんな複雑な目で見て来た。でもそれは一瞬のことで次の瞬間にはいつもの優し気な微笑をたたえて、おはようと挨拶してきた。


「そっか、今日成人式だものね、おめでとう」 


「おはようございます……その、ありがとうございます」


 彼女は私の母にも一言挨拶して、彼と手を繋いで去っていった。


 去っていく後ろ姿に緊張を解いて、一つ溜息をついた。


 隣の家の男の子が、北斗君が20歳になる頃には私は80歳、そして彼の母親は100歳を超える。平均寿命を考えると、恐らく生きてはいないだろう。初めて閏年のことを、そして2月29日に生まれたらどう成長するかを教えてもらった8歳の時にはよく分からなかったが、この歳になれば否が応にも分かってしまう。人の4倍時間をかけて成長するというのはそういうことだ。


 なんとなく隣人の彼女の姿に罪悪感を覚えたらしく写真を撮る手を止めてしょんぼりしている母に声をかける。


「お母さん! 写真撮るならちゃんと綺麗に撮ってよね!」


 せっかく私の成人を喜んでくれる親が生きてるのだ。マンションの人たちの注目の的になっても親が喜ぶなら笑顔で写真ぐらい撮られてやらねば。そう思ってさっきまでの不貞腐れた表情をやめて、精一杯にっこりと微笑んだ。



    * * * *



3. 私が32歳で彼は8歳


「あ、隣の家の姉ちゃんだ! 久しぶりだ!」


 久しぶりに会った隣の家の北斗はこの前の誕生日で8歳のはず。最近の彼は口が達者でかなりクソガキ度が上がってる。


「なんかオシャレしてる! 色気づいて彼氏でもいんのか?!」


 マジでこの言葉のチョイス、誰に教わったのか問いただしたい。彼のお母さんは礼儀正しくお上品な奥さんなのに。


 一緒にエレベーターで一階におりてから、バス停まで向かう私の周りをサッカーボールを抱えた北斗はちょろちょろとまとわりつきながらついてくる。


「そうよぉ、今からデート!」


 やけくそになって自慢げに言って見せれば、北斗はガチで驚いた顔をしている。失礼だな、おい。


「そんな……そうだ、それ遊ばれてるに決まってる! そんな男やめとけ!」


「はああ?! ほんとこのクソガキ失礼だな! 遊ばれてませんー! 5月には結婚するんですー!」


 そう言ってやれば今度はさっきとは比にならない、まさに雷に打たれたようなという比喩が似合うぐらい驚愕した表情になった。本当に失礼だ。私だって32歳で結婚の話が出たっておかしくないのだ。


「ほらおめでとうって言ってごらん」


「ばーかばーか! 雪乃のばーか! もう知らねえ!!」


 何を怒ってるのか知らないが、北斗はそう言い捨てて公園の方へと走っていった。


「あんのクソガキ……」


 最後の最後まで失礼な態度に舌打ちをするが、ふと考える。


 もしも自分の彼氏が2月29日生まれだとすると、今同い年の32歳だとする。私が40歳になる頃に34歳、60歳になる頃に39歳……。自分だけが老いていき、相手はほとんど若いまま。それは結婚する決意はつかないかもしれない。そんなことを考えた。



    * * * *



4. 私が60歳で彼は15歳


 結婚して実家から離れると、隣の家との交流は一切なくなっていた。少し帰省するくらいでは隣人とは顔を合わせることは少ないのだ。だからその電話がかかってきた時、誰からかすぐには分からなかった。


『お久しぶりです。昔隣の家に住んでいた北斗です。雪乃さんですか?』


 最後に声を聴いたのは8歳の時。今は15歳。声変りを済ませたその声は、初めて聴くものだった。


『あの、母が亡くなりました。それでどうしていいか分からなくて……生前母に雪乃さんを頼りなさいと言われていたもので、連絡したのですが』


 親戚はと問いかけて、慌てて口を噤んだ。普通だったらこの年の母親が亡くなる頃には喪主になる子供は自分で何とかできる年齢なのだ。逆におじやおばは身体の自由が利かない可能性が高い。彼には従兄弟がいなかったはずだ。


 それに半年前に亡くなった私の母から彼のことをそれとなく頼まれていたのを思い出した。


「わかったすぐ行くわ。今どこにいるの?」


 向かった病院の霊安室の前で彼はぽつねんとただ一人で座っていた。私が到着するのに数十分遅れて、高校の担任の先生も来てくれた。本当にこれだけしか頼る人がいないのだ。まだ15歳だというのに。


 結果として彼のお母さんが生きている間にほとんどの準備をしていて私はただそばについていただけだった。


 彼は15歳だ。2月29日に生まれた人は4年に1度しか年をとらない。成長も老いもそれに合わせて人の1/4の速度と言われている。でもそれは果たして本当だろうか。弔辞を述べる彼の顔は酷く老成して見えた。



    * * * *



5. 私が88歳で彼は22歳


 28年前、北斗の母親の葬式を手伝った後、夫と相談して相続していた実家へと引っ越すことにした。ちょうどその頃娘が結婚したばかりで、身軽になったところだったのだ。


 北斗の両親はきちんと彼にお金を残していたし、政府も成人するまでに80年かかる2月29日生まれに対しては様々な補助をしていたので、彼はそのままの家に住み続けていた。私と夫は時折、彼の相談を受けることはあったけれども、彼はしっかりしていてほとんどのことを自分自身で進めていた。8歳の頃のクソガキとは随分見違えていた。


 そして、今日。


「雪乃さん、それじゃあ」


「ええ、就職しても身体に気を付けて頑張って」


 都会に就職することになった北斗は今日引っ越す。家も処分したのでもう帰ってくることはないだろう。


「今までありがとうございました」


「それはこちらのセリフでしょう。北斗には随分助けられたわ」


 こちらに戻った最初の方こそ、私たちが相談に乗ることの方が多かったけれど、今では彼に重いものを持ってもらったり模様替えを手伝ってもらったりと、彼に助けられることの方が多いのだ。


 数年前に夫も亡くなった。その時も北斗はそばにいてくれたのだ。私だってあと何年生きられるか分からない。彼はこれからも何人もの知人を見送っていくのだろう。それでも彼の近くに誰かがいてくれればいいのにと願う。


「そういえばさ、雪乃さん、今だから言うけれど、実は俺の初恋は雪乃さんだったんだ」


「……え?」


「雪乃さんの成人式の時の振り袖姿見てすごいきれいだって。だから雪乃さんが結婚するって聞いたときおめでとうって言えなかった、ごめん」


 56年ぶりにあの頃のとってもクソガキな態度の理由を知って私は思わず笑ってしまった。今更そんなことを知るとは思わなかった。記憶すら遠い何十年前もの記憶。でも彼にとっては20代の若者の、小さい時の思い出なのだ。


「そう、そうだったの。じゃあ次に好きな人のできた時は、あんな態度とらずにちゃんと綺麗だって言いなさいね」


「あはは、分かったよ。……それじゃあさようなら、雪乃さん」


「ええ、さようなら」


 4年に一度しか年をとらない私の隣人はそう言って去っていった。




      了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2月28日生まれの私と2月29日生まれの彼 小鳥遊 慧 @takanashi-kei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ