2013年【西野ナツキ】66 『西野ナツキ』くんは今、ここにいる。

 藤田京子の望む西野ナツキにならなくて良い日々は、やりたいことに満ち溢れていた。

 僕は仕事をする度に浮かぶアイディアを形にして、リフォームに取り入れていった。


 いつ藤田京子の殺人によって逮捕されるか、そういう気持ちが僕をより仕事へのめり込ませていった。

 田宮由紀夫が僕の前に現れたのは片岡潤之助と話をして二ヶ月ほどが経った頃だった。田宮組の一人息子、田宮由紀夫。

 彼の話の内容は、ひどく単純だった。

 殺人の事実をばらされたくなかったら金を払え、と。どうやらやくざの方には僕の殺人の事実が露見してしまったようだった。

 それを知らせたのは片岡潤之助なのかも知れない。


 何にしても何故、警察に通報しないのか分からないが、僕は彼らの揺すりに抵抗しなかった。

 僕はただ藤田京子に支配されない状態で仕事がしたいだけだった。

 問題があるとすれば、田宮由紀夫が迂闊な人間だったこと。

 僕をゆする際、彼はあまりに派手に動きすぎていて、それに気付く人物がいた。

 川田元幸くんだ。


 彼は僕の力になろうとしてくれた。それは僕にとって迷惑でしかなかった。

 事実として僕は人を殺していたのだから。


 しかし、そんな僕の態度を川田くんは被害者のそれとして受け入れ、田宮由紀夫をどうにかしようと動きはじめた。

 その為に会社を辞め、髪を染めて田宮由紀夫のグループに入った。


 田宮くんはあの性格だ。

 川田くんが僕の揺すりのネタを知るのは簡単だっただろう。

 嘘偽りのない真実を知れば、川田くんは僕に幻滅し田宮由紀夫のグループに属するなんて、馬鹿げたことをやめると思っていた。

 けれど、僕の予想はあっさりと裏切られてしまった。川田くんは田宮由紀夫と距離を取るどころか、更に深く潜り込み、僕の殺人の情報を持った人間を特定するまでに至った。


 ヤガ・チャン。

 それが僕の殺人の事実を突き止めた人間だった。

 僕も一度だけ会ったけれど、常に白衣を着た胡散臭い男だった。彼は田宮組の相談役で、シャイニー組という大陸の組に属していた。


 相談役にして、他の組の人間。

 田宮由紀夫と仲良くしているだけの川田くんでは、おおよそ接触することのできない人間が、僕の情報を持っている。

 そう理解した川田くんはトラブルを待った。


 相談役の人間がわざわざ出向かなければならないトラブル。

 それが田宮由紀夫と川島疾風の接触事故だった。チャンが現場に出向いたのは田宮の父親が朝から酒を飲んでいた為の代わりだった。

 言ってしまえば単なる偶然だったが、川田くんからすれば大きなチャンスだった。


 何故なら、田宮由紀夫と川島疾風の事故はチャンに一任された、と知ったから。

 川田くんの思惑は一つだった。


 事故を事件にし、事を大きくすること。

 ヤガ・チャンがわざわざ出向き、骨を折って、事件を鎮静化させなければならない事件にする。

 その為に、わざわざ中谷優子という人間を探し出し、職場の前で見張って彼女の帰宅を狙って拉致。性的な暴行を加えた後に、カメラに収めて、川島疾風に送り付けようとした。


 目に余る行動だった。

 川田くんは、僕の為という免罪符を楯に、暴走しているようにしか見えなかった。

 そこで連絡を取ったのが片岡潤之助だった。どういう形であれ、川田元幸は片岡潤之助の息子だ。

 何かしら交渉ができるのではないか、と僕は思った。


 片岡潤之助は、近い内にやくざ側は西野ナツキが人を殺した情報を警察に差し出すつもりでいる、と言った。

 その上での提案は以下のようなことだった。


 西野ナツキに憑いた藤田京子の一部を片岡潤之助に渡すこと。

 川田元幸を助ける代わり、彼には記憶を失ってもらうこと。


「今回は、俺の息子が混ざっている以上、譲歩する余地をやるよ。西野ナツキ。お前の望みはなんだ?」


 僕の望みはただ仕事がしたい。

 それだけだった。


 その為に僕は僕の半身を、記憶を失った川田元幸に与えることを、一つの望みとした。

 その半身とは『名前』であり『携帯電話』だった。

 片岡潤之助は僕の望みは承諾した。


 そうして川田元幸くん、いや『西野ナツキ』くんは今、ここにいる。


「ヤガ・チャンはすでに警察へ僕の情報を売った。今日の夜にも僕は警察に捕まるだろう。チャンは僕を利用して、警察の動きを操作するつもりのようだね。聞き齧った話では僕が藤田京子を殺した凶器は湖に捨てた、ということになるんだとか」


 皮肉気に手に持ったビール缶をあおってから「まぁ、その湖を捜索させる意図がどこにあるのか、僕には分からないけれどね」と言って、足元のビニール袋から新しい缶ビールを取り出した。


「『ナツキ』くんも、新しいのいるかい?」


 ぼくは首を横に振った。頭の中が混乱していてビールなんて、飲める状態じゃなかった。

 それでも、口を開かない訳にはいかなかった。

 明日には西野ナツキはぼくの前から消えてしまうのだから。


「どうして、西野さんは僕に名前を渡したんですか?」


「深い意味はないよ。名無しくんよりは名前があった方が良いだろ?」

 言って、西野ナツキは弱い笑みを浮かべた。「いや、それは建前だね。ただ僕は僕のことを君に聞いてほしかったんだ。でも、人が人を殺す、そんな話、誰も聞きたくないだろ?」


 僕は何も言えなかった。


「だから、賭けたんだ。『西野ナツキ』と名乗る川田元幸がここに来たら、全部話そうって。迷惑だろうし、僕の自己満足でしかないけど。君には知っていてほしかった」


「ぼくに背負えと?」


 西野ナツキが缶ビールをあおる。

「僕なんかと関わったんだ。諦めてもらうしかないよ」


 しかし、それこそが川田元幸が求めていたものなのだ。

 西野ナツキの誠実な話。彼が抱えた現実の一部を背負う事実。


 問題はぼくが川田元幸ではなく、また西野ナツキでもないことだった。ぼくは何も答えられない。

 ただ、問うことしかできない。


「西野ナツキさん。ぼくが記憶を失っていない川田元幸の状態だったとしても、話をしてくれましたか?」


「話さなかっただろうね」


 予想通りの答えに、ぼくはため息を漏らすように頷いた。

 つまり、西野ナツキは現在のぼくでは背負えきれないと理解した上で、今の話をしたのだ。


「悪人」


 小さな声でぼくが言うと、西野ナツキがどこか楽しげに笑った。

「君もね」


 更に、ぼくが口を開こうとした時、体育館の扉が開く音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る