2013年【西野ナツキ】65 初めての煙草はただ息苦しいだけだった。
事態を正確に理解したのは、藤田京子の部屋を去って数日が経過した頃だった。職場に一人の男が現れた。
片岡潤之助、彼はそう名乗った。
僕はその名前に聞き覚えがあった。
「川田元幸のお父さんですか?」
確か川田くんが飲み会の席で父親の愚痴をした時の名前が、それだった。
当の片岡潤之助は実に不快そうな表情を浮かべていた。
「血の繋がりで言えば川田元幸は息子になるが、今日はあんな奴の為に来た訳じゃないんだよ」
「では、なんの為に?」
その前に、と片岡潤之助は言った。「西野ナツキくん。死者と会ったり話をしたりできるって、言われたら信じる?」
「信じません」
即答だった。
「だろーな。まぁ良いか。藤田京子の件だ」
不思議なことに、そうだろうと僕は分かっていた。
だから、自然と頷くことがきでた。
「はい」
「お前が殺したんだな?」
「おそらく」
「つーと?」
「記憶が曖昧で……」
「だから、警察に言わないのか?」
僕は黙った。
片岡潤之助が彼女の名前を出した瞬間に、僕はどこかでホッとしていた。
自分の中での納得と向き合うことなく、殺人犯という結果を与えられる。
刑務所に入れば、少なくとも彼女を殺めてしまったことを周囲に黙っている苦しみからは解放される。
しかし、片岡潤之助は僕を楽にはしてくれなかった。
「警察に名乗りでるのは、本人の自由だ。好きにすればいい」
「では、何の為に、ここに来たんですか?」
「俺は俺が抱いた女を殺した男の顔を見に来ただけだ。お前が警察に捕まろうと、
どうなろうと興味はねぇよ」
「どうして?」
その問いは何の意味が含まれているのか、僕自身にも分からなかった。
片岡潤之助は煙草を咥え、何でもないことのように言った。
「お前を殺したからと言って藤田京子が戻ってくる訳じゃないからな。ただ、俺はお前に地獄を見せる」
「地獄?」
咥えた煙草にライターで火を点けた後、片岡潤之助は僕を見くだすような笑みを浮かべた。
「俺が抱いた女を殺したんだから、当然だろ?」
よく分からない理屈だと思った。
片岡潤之助自身、僕に分かるように話すつもりはないようだった。
「さて、じゃあ、まぁその時まで精々苦しみ続けるんだな」
言って潤之助が腰を上げた。
「あの」と僕は咄嗟に、彼を引きとめた。
潤之助は煙草を吸いつつ、僕に視線を向けた。
「貴方が藤田京子の想い人だったんですか?」
煙を勢いよく吐き出してから
「好き勝手、俺を追い回して、うんざりするくらい面倒な女だったよ」
と言った。
片岡潤之助が去った後、藤田京子の部屋から持ち出した煙草に視線を落とした。彼が吸っている煙草と同じ銘柄だった。
なるほど、ストーカーは藤田京子だった訳だ。
煙草を一本取り出し、ライターで火を点けた。
初めての煙草はただ息苦しいだけだった。
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