2013年【西野ナツキ】51 記憶を失う前の、ぼくを知っている。

「やぁ、田宮くん。久しぶり」


 ここからは向こうの反応による出たとこ勝負だ。

 田宮と目が合う。

 口もとが僅かに引きつる。


「あぁあ! てめぇ、生きてたのかよ!」


 良かった。

 かの子の見間違いで、ぼくがまったく田宮由紀夫と関係のない人間だった場合、全てが台無しになるところだった。


「生きててさ、田宮くん。大変そーだから、手伝いに来たんだわ。なんかある?」


「あるぞ! 超、あるぞ。俺を馬鹿にした奴をぶっ殺す。手伝え」


 りょーかい、と答えた時、後ろから声があった。


「田宮くん。早く車に乗ってもらわないと、困るのですが」


 まったく困った様子のない口調で、白衣の男がこちらの様子を窺っているのが分かった。


「チャンさん。俺、ちょっと、さっきの奴らをぶっ殺して来よーと思うんだけどよぉ」


 チャン? かの子の言っていた、ヤガ・チャン?


「無駄なことをする必要はありませんよ。これから組、総出で捜索することになっていますから」


「いやいや、他の奴に先越されちゃあ、困んだよ。あいつ等は俺を馬鹿にしたんだ、殺すのは俺じゃねぇと気が済まねぇよ」


 チャンがため息を漏らす。

 そこで、チャンはぼくに気づき、目を広げた後に口元を歪めた。

 嗤いなのか、嘲りなのか、あるいは怒りなのか、判断がつかない感情の色がチャンの顔には現れていた。


 ぼくは、その瞬間に彼は記憶を失う前の、ぼくを知っていると確信した。


「貴方はっ――」


「こんにちはー、チャンさん」


 遮るようにして話をはじめたのは山本だった。


「こんな所で会うなんて、奇遇ですねぇ」


 チャンが山本の方を見つめて、愉快そうに笑った。

「奇遇? 貴方に限って、そんな訳ないじゃないですか? 何を企んでいるんですか?」


「企むなんて、そんな人聞きの悪いことしていないよ。ただ、私はここで昼食を取っていたんだよ。すると、連れがどうやら田宮くんと知り合いだったようでね」


「連れ……」

 と呟き、チャンがぼくを冷たく見据える。

「自分としては、彼と山本さんがつるんでるのは面倒にしか感じられないんですが」


「どういう、」

 ぼくが尋ねるより先に、田宮が割って入る。


「チャンさん。車を貸してくれ。あのクソガキどもを俺一人で殺して、親父に自慢してやる!」


「田宮くんのお父様は決して、そのようなことを望んでおりませんよ?」


 あくまで冷静にチャンは答える。

 しかし、田宮は理性を失ったサルのようにキーキーと騒ぐだけだった。


「良いから、車を貸してくれ。今の俺なら、負けねぇからよぉ。分かってんだろ、チャンさんだって!」


 数秒の後、チャンは口元を緩めた。

 それは感情というものがまるで感じられない笑みだった。


「分かりました。今の田宮くんなら、誰にも負けないでしょう。車を用意します」


「流石、チャンさん。話が分かるぜ」


「当然じゃありませんか、田宮くん。全て終わりましたら、連絡を下さい。迎えに行きますから」


「おう」


「それではですね……、山本さん。車の運転、お願いしても構いませんか?」


「安全運転すればいいのか?」


「当然です。田宮くんが怪我をしては困ります」


 欠片も困った表情を浮かべることなく、チャンがぼくに視線を移した。

「君も頼みますよ?」


 彼の見つめ方は、おおよそ人に向けるべきものではなかった。

 言うなれば虫、あるいは空に舞うビニール袋でも見るような無機質さが、その瞳には宿っていた。

 ぼくは頷くでも首を振るでもなく、ただチャンの瞳と向き合い続けていた。

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