2013年【西野ナツキ】45 気持ちよくならない人生を選ばない。

 やくざの会談が始まりつつあるが、ぼくが狙うのはあくまで帰り際だった。

 一つ息を吐いて、目を瞑った。

 体の力を抜けば震えそうな緊張がぼくを支配していた。


「それで」

 と山本は普段通りの声で言った。「ナツキくんは、紗雪ちゃんのことが好きなの?」


 ぼくは山本の質問の意図を掴みかねて、彼の顔を見つめた。

 しかし、山本はからかうように笑うだけだった。

 何の意図も掴めず、ぼくは素直な気持ちを口にした。


「嫌いなわけないじゃないですか」


「じゃあ、これが終わったら、ナツキくんは紗雪ちゃんに告白するわけだね。あの頑張って着てますよって感じのスーツを脱がしてやるんだね」


 山本の予想外の物言いに、ぼくは咄嗟に反応することができなかった。

 数秒の間を置いて

「告白って、学生じゃないんですから」

 と言った。


「大人でも告白するだろ? なに、ナツキくんって、お互いのイベントに物を送り合ってたら、自然と付き合うことになるよね、ってタイプ? 女と付き合うのなんて、普通にしてれば、できるでしょ系?」


「なんですか、その腹立つ人種は」


 言いつつ、ぼくは新しく入ってきた女性を目で追った。

 ギャル系の女性で、場違いなほど露出した格好で、堂々と席についた。

 連れはいないようだった。


「いるんだよ」

 と山本が更に続ける。「そーいう、自然と人って惹かれあうよね、って本気で考えているタイプ」


「自然と惹かれあうんですか?」


「そんな訳ないじゃん。少女漫画の読み過ぎだよ」


「何にしても、山本さんの関心は男と女のことなんですね」


 別に非難の意図はなかったが、そういう響きが自然と帯びてしまった。

 山本はとくに気にした様子もなく続ける。


「そりゃあ、そーだよ。あくまで経験則だが、男と女の関係を蔑ろにしたり、軽んじたりする人間に良いヤツはいないんだよ。だから、ナツキくん」


「はい」


 山本はニヤッと笑った。

「気持ちよくならない人生は選ばないことだ」


「気持ちよくならない人生」


 思わず、そのまま復唱してしまった。

 そこで丁度、店員が料理を運んできた。テーブルには湯気の立つ皿がずらりと並んだ。

 山本は店員に礼を言ってから、ぼくの方に取り皿と箸を置き、手を合わせてから料理を自分の取り皿によそい始めた。


「ナツキくん。ここで重要なのは、気持ちがいいだけの人生も選ばないことなんだよ」


「気持ちいいだけの人生は駄目なんですか?」


「そりゃあサルの人生だ。ほら、よく言うじゃないか。自慰行為を覚えたサルは死ぬまで、それをやってしまうってヤツ。そんな人生は人間のもんじゃないよ」


「難しいですね」

 素直な感想だった。


 山本が水餃子を口に放り込んでから

「そりゃあ、そうだ。簡単な人生なんてないよ。だから、考えることだ。少年」

 と言った。


「はい」

 頷いた時、横目に見知った顔が店に来店したのが分かった。


 見間違いかと思って二度見したが、思った通りの人物だった。

 喫茶店『コーヒショップ・香』の店員、守田裕が店内を見渡していた。

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