2013年【西野ナツキ】42 私が好きな人は特別であってほしい。

「父は自分のルールを生きる為に腕時計をしていません。だから、彼を頼る時は彼のルールの上で頼まなければいけない。そう鶴子さんは言っていました」


 片岡潤之助のルール。


 ――俺が抱いた女を侮辱するヤツは誰であれ地獄を見せる。


 おそらく、そこに鶴子の意思は介在しないのだろう。


「鶴子さんは父が言う通り強い人です。でも、その強さは鶴子さんが自分のルールを守っているからこそ、です。おそらくですが、鶴子さんの中で父に頼ることはルールに反していたのだと思います」


 鶴子の中で田宮由紀夫に好き勝手されることと片岡潤之助に頼ることの二つを天秤にかけていた。

 そして、鶴子は潤之助に頼るよりも田宮の横暴に耐えることを選んだ。


 ぼくは鶴子という人間を知らない。紗雪や潤之助の言葉の端から想像する他ない。ただ、だからこそ浮かんだ疑問もあった。


「紗雪さん」


「はい」


「鶴子さんは紗雪さんの死者の力に対してもそうだったんですか?」


 紗雪の言う鶴子は自分の中にあるルールによって、強い人でいるような物言いだった。

 片岡潤之助に頼れなかったのも、自分の中のルールに反するからだと言う。


 なら、井原紗雪の死者を『見る』『会う』力を鶴子が知った時、彼女はそれを認められたのだろうか?

 世界の常識が根底から覆るような、彼女の力を。


「はい。鶴子さんは私の力を信じてくれませんでした」

 感情の籠らない声だった。

「でも、私は死者の力を含めて私なんです。それは、どうしようもないくらいそうなんです」


 ぼくは頷いた。

 死者との関わりを抜きにして紗雪は自分を語れないのだとすれば、それはぼくもそうだ。

 記憶を失った。

 その事実を抜きにして、ぼくはぼくを語れない。


「紗雪さんは、鶴子さんに会いに行かないんですか?」


「どんな顔をして会いに行けばいいのか分からないんです」


 紗雪の言葉にぼくは何も言い返せなかった。

 彼女とキンモク荘、そして、舞子の関係をぼくは間違っても知っているとは言い難い立場にいる。


 だから、紗雪がどんな顔をして鶴子に会えば良いのか分からないと言う以上、それには頷く他になかった。

 今のところ、ぼくは紗雪と潤之助の話を聞いただけの赤の他人でしかない。


「あれ?」

 と思わず、声がでた。「鶴子さんが紗雪さんの死者を認められなかった、と言うのなら川田元幸、紗雪のお兄さんもそうだったんじゃないんですか?」


 話を聞く限り、川田元幸は紗雪の力を真正面から受け止めているようには思えなかった。

 そういう視点から見ると、鶴子と元幸は似た立ち位置にいる。


「ナツキさん。私は幼稚な人間なんです」


「はい?」


 そこで初めて紗雪はぼくを見た。

「私が好きな人は特別であってほしい。ただ、それだけの気持ちで私は兄を探しています」


「それは……」

 と言いかけたが、声は続かなかった。


 つまり、再会した川田元幸は井原紗雪の力を認めると?

 紗雪が好きな人は特別だと。何故なら紗雪が好きな人なのだからと?


 紗雪が続ける。

「兄が私のことを認めてくれないのだとしても、私の好きな人が無事だと分かれば、それでいいとも思っています」


 紗雪の物言いは、もはや強がりを超えた投げやりな響きさえ含んで聞こえた。

 けれど、母が亡くなり、キンモク荘で孤立した紗雪は仕方がないのかも知れない。


 彼女の今までの環境や生き方を垣間見るほど、ぼくは紗雪と深く関われていない。

 だからこそ、無責任なことが言えた。


「大丈夫です。元幸さんは無事ですし、紗雪さんの力のこともちゃんと受け止められるようになってますよ」

 ぼくは柔らかい笑みを意識して浮かべた。

「冷えちゃいましたけど料理を食べてから、お店を出ましょう」


 紗雪は小さく頷いて、箸を持った。

 ぼくは取り皿に残った水餃子を食べながら、紗雪の兄である川田元幸にはできないことは何かを考え続けていた。

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