2013年【西野ナツキ】39 誰が見ても分かる不幸な事故。

 紗雪が小学生の終わりから、中学二年の夏ごろまで過ごしたキンモク荘。

 そこの女将、鶴子は紗雪が出ていった後、悪い噂に負けない接客とキャンペーンによって、旅館の経営を立て直した。


 流石と言っていい。

 誰にでもできることじゃない。


 そんな鶴子を更なる不幸を襲ったのは、今から半年ほど前だった。

 きっかけは交通事故だ。

 運転手のどちらもが不注意の不幸な事故。

 そういう類のことが世の中には時折、起こる。


 問題があるとすれば、車とバイクの接触事故だったこと。

 車を運転していたのが鶴子で、バイクを運転していた男が田宮由紀夫くんだったこと。


 両者は話し合った。

 平和的な解決だ。素晴しい。

 ここで田宮くんはお父さんに連絡を取った。

 すると現場に田宮くんのお父さんが現れた。分かっていると思うが、彼はやくざだ。


 まぁそうは言っても、誰が見ても分かる不幸な事故だ。

 どちらかが怪我をしているわけでもない。

 田宮くんのお父さんは示談で良いと言って、お金はこれくらいでと良心的な金額を提示した。


 鶴子からすれば、やくざと関わることに気が引けて、少々面倒になってでも警察に連絡をしたかったが、その場の流れに足許をすくわれて頷いてしまった。

 一物の不安を抱えながら、鶴子はその場を離れた。

 そして、普段の日常に戻った。

 総じて悪い予感というのは当たるものでね。数日後から脅しが始まった。


 強面の連中が何人も旅館に泊まりに来て、ロビーで他の客に喧嘩を売ったり、部屋を異常に汚したり、備品の幾つかを壊したりした。

 他にも、思いつく限りの迷惑を彼らはキンモク荘に対しておこなった。


 その時点で、鶴子は俺に連絡を入れさえすれば何とでもなった。

 だが、鶴子は俺にも、他の誰にも頼らなかった。

 強い女だ。

 なぁ、そそるだろ? 俺はその話を聞いた時、本当にくらっときたよ。

 

 まぁそういう脅しが続く中、遂に原因であるところの田宮由紀夫が泊まりにきた。

 もちろん、そんなことで鶴子が揺らぐはずがなかった。

 ただ鶴子個人とは別の問題として、田宮の関係者がした嫌がらせによって従業員は彼を招くことを良しとはできなかったし、彼のせいで離れていった客も少なくなかった。

 鶴子は田宮由紀夫と話し合わない訳にはいかなかった。

 彼女は部屋の案内、食事の手配を全て引き受け、その上で食後に彼の部屋を訪ねた。


 ちなみにナツキくん、君は田宮くんの顔を見たことあるかい?

 ん、ない? 残念だなぁ。

 

 一度、見てみると良い。

 知性を捨てて育ったサルのような顔をしているから。

 サルに言語が通じないように、鶴子の話は田宮に通じなかった。

 それどころか、田宮は事故の件を持ち出し、被害者ぶって鶴子に謝罪を強要した。


 当然、鶴子は謝った。

 強い女だからね。


 しかし、田宮は納得しなかった。

 誠意が足りないと騒ぎ、服を脱いで裸で土下座しろ、と田宮は迫った。

 誠意を感じ取るお頭のないサルが何を言っているのか、と思うが、鶴子はそれに従った。


 服を脱いで丁寧な言葉を崩すことなく鶴子は田宮由紀夫に謝った。

 その姿を田宮はカメラの動画で撮って、アホ面で周囲の人間に自慢しているそうだ。

 不良どもが喧嘩の数を自慢するようなものかな。それが箔になると思っているんだろうなぁ。


 本当に、知性が足りないサルだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る