2013年【西野ナツキ】28 死者はもっとも弱い立場の他者です。

 私は由香里さんに連絡を取って、会う約束を取り付けました。

 今から考えれば当時の私は愚かでした。

 けれど、活気のある旅館を失くすことは母の死に近い苦しみがありました。


 由香里さんに私は自分の力について誠実に話をしました。

 そうすれば人は分かってくれる、と私はどこか盲目的に考えていたんです。

 しかし、由香里さんは真剣に受け止めてはくれませんでした。


「誰か、亡くなった親しい人の名前を教えてくれませんか?」


 と私は言いました。

 死者に会わせれば彼女も信じてくれる、と思っての提案でした。


 由香里さんは僅かな躊躇いの後、一人の男性の名前を口にしました。

 その男性を見た時、私は言葉を失いました。

 男性は旅館の部屋で死んでいた人だったんです。

 そして、その男性は由香里さんに憑いていました。


 どうして?


 と思うよりも先に男性と目が合ってしまいました。

 彼は私に向かって激しい罵倒を浴びせました。

 その激しさによって私は思わず目を瞑ってしまいました。

 私は不意のこととは言え、由香里さんと男性を会わせてしまったんです。


 死者はもっとも弱い立場の他者です。

 それ故、死者から生きている私たちに触れることはできません。

 しかし、会った以上、話をすることはできますし、姿を見ることになります。


 由香里さんと、その男性の関係性を私は知りません。

 ただ、男性は由香里さんを想っていたことは確かでした。

 私はすぐに由香里さんと男性を引き離しました。

 会っていた時間は精々五秒くらいのものだったと思います。


 その五秒で、由香里さんは三年分くらいの年を取ったように思いました。

 何も言えず、私が男性を見ないよう視線を逸らしている間に、由香里さんが言いました。


「なんてことしてくれたのよ」


 由香里さんは目を見開いて視線を彷徨わせた後に言い、私の前から離れていきました。

 最後に見た彼女の背中には確かに、あの自殺した男性が憑いていました。

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