2013年【西野ナツキ】11 川島疾風は死んでいない。
久我家を後にして、ぼくと紗雪は寄り道することなく病院へと向かった。
日が暮れはじめた空を背後に、ぼくは口を開いた。
「紗雪さんが見ている時なんですけど」
「はい」
「小さい声が聞こえたんです」
紗雪が目を細めた。
「声、ですか。内容は分かりますか?」
「夢は呪い、そう言ったように聞こえました」
丁度、赤信号にひっかかって、ぼくらは足を止めた。
目の前を何台もの車が少し騒がしいくらいの風を切って、通り過ぎていく。
そんな中でも紗雪の声は、ぼくの耳にしっかりと届いた。
「たまにですが、『見る』時や、『会う』時に一緒した人が普段は見えないものが見えたり、聞こえない声が聞こえたりするんです。私は私の力を隅々まで試し、理解している訳ではないので、詳しいことは言えませんが、ナツキさんが聞いた声は私が聞いた声の一部のようですね」
「声? 死者は見えなかったんですよね?」
「見えませんでした。でも、声は聞こえたんです」
信号が青になって紗雪が歩き出したので、ぼくもそれに続いた。
「時々ですが、生霊というものが憑くことがあります」
生霊……。
「その生霊は私に声を聞かせます。一度、決して目覚めないと診断された人を見て、同じような声が聞いたことがあります」
「川島疾風は死んでいない。けれど、朱美さんに生霊は憑いている。そういうことですか?」
「おそらく、ですけど」
「それを」
と言いかけて、ぼくは少し考えてしまった。
紗雪がぼくの考えを汲んで口を開いた。
「どうして、朱美ちゃんにそれを伝えなかったのか、ですか?」
ぼくは頷いた。
紗雪は少し遠くを見るようにして口を開いた。
「できれば朱美ちゃんには悲しんでほしくなかったんです」
それは紗雪の甘えなのかも知れない。
死者を見て、会い、声を聞くことができるからこそ、自分の責任で誰かを悲しませたくない、という覚悟の不在。
それをぼくは彼女の優しさだと思った。
紗雪の口ぶりから察すると
「川島疾風は生きている。けれど、決して健康的な状況ではない、そういうことですか?」
「分かりません。ただ、少なくとも、一度は死の淵へ赴いてます」
「そうですか」
川島疾風という人間は少なくとも一度、死にかけている。朱美の話を踏まえれば、彼が行方不明になった二週間前に。
そして、ぼくはそれに引っ掛かりを覚えている。
「紗雪さん。川島疾風が行方不明になったのは二週間前だと、朱美さんは言いました。それは、丁度、ぼくが病院の前に捨てられていた時期と重なります」
偶然だと無視するには、岩田屋町という町は田舎過ぎた。
「疾風さんの行方不明に記憶を失う前のナツキさんが関わっていたのかも知れない、と?」
「分かりません。けど、調べてみる価値はあると思いました。紗雪さん。生霊の声から、何か彼に関する情報はなかったんですか?」
紗雪は考えるような間の後に言った。
「ありませんでした。彼の想いは夢についての言葉で埋め尽くされていました。叶わなかった夢、けれどその夢のおかげで得られたもの、そういう言葉たちだけでした」
「彼の夢って?」
「分かりません、声の中に言及された箇所はなかったです」
「そうですか」
川島疾風が今どこにいるのか、彼の夢は何なのか、共に不明。
分かっているのは、行方不明になっていることだけ。
ぼくとの共通点は二週間前の失踪と岩田屋町……。
もしかすると、ぼくは自分の記憶の手がかりのなさから、無関係な事象に意味を見出そうとしているのかも知れない。
疑い始めれば、際限なく思考の幅は広がっていく。
それでも川島疾風とぼくには何かしらの関係があった、と思うと気持ちが落ち着いた。
記憶を失う前の西野ナツキが確かに、この現実の中にいたという何よりの証明だったから。
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