2013年【西野ナツキ】10 ――夢は呪い。

「それで、朱美ちゃんが見て欲しい人って?」


 朱美が二杯目の紅茶をぼくと紗雪のカップに注いだ後だった。


「それね、どうしようかな。見てもらう前に、少し状況の説明をしても良い? 二人が何か知っているかもだし」


「良いよ」

 言って、紗雪は二杯目の紅茶に口をつけた。


 朱美は菓子器の中からチョコレートを取り出して食べた後に、包みをテーブルの上に伸ばしながら口を開いた。


「あたしの親友が二週間前から行方不明なんだ」


「親友?」


「うん、親友。名前は川島疾風、二十七歳。赤いMR2に乗っていて、外見は、うーん。少しチンピラっぽい感じ?」


 少しチンピラっぽい、とはなんだろう?

 と思ったけれど、口は挟まなかった。


「行方不明の原因は分かってないの?」


「全然。……、ただ、聞くところによると疾風の彼女も同じ時期に行方が分からなくなっている、らしい」


「それも二週間前に?」

 と、ぼくは口を挟んだ。


「そうみたい」


「んー、駆け落ち?」

 紗雪が言った。


「分かんない。そーいうことする奴だとは思えない、けど」


「けど?」

 紗雪が話を促す。


「あたしは去年から会ってないから、その間で何か事情があったのだとしたら分からない」


「そっか」


「でも、」と言った時の朱美の目には何かしらの意思が宿ったように思えた。

「アイツが死ぬのは全然、想像できないし、理解できない」


 ん?

 と、ぼくは疑問に思ったが、それは紗雪が代弁してくれた。


「つまり、朱美ちゃんは、その親友、川島疾風が死んでいないことを私が見れない、ということで確認したいんだね」


「うん、そういうこと。もし、本当に死んでたら、会ってぶん殴る」


 迷いのない真っ直ぐな言葉に紗雪が笑いで答えた。


「朱美ちゃんのそういうところ大好きだなぁ」


「ん?」


「だって、朱美ちゃん。その川島疾風が死んだら、朱美ちゃんに憑くって信じているんだもん」


「うん。それは疑ってないよ。疾風がもし死ぬのなら、あたしに憑く。絶対に」


 迷いのない清々しい断言だった。

 紗雪は紅茶の入ったカップの縁を指で辿ってから、頷いた。


「分かった。じゃあ、『見る』から、朱美ちゃん。その川島疾風のことを思い浮かべて、目を瞑って」


「うん」


 朱美は素直に目を閉じた。しばらく紗雪は朱美の辺りを見渡した。

 その視線に先ほどまでとの違いは見受けられなかった。一分ほどの間、紗雪はそうした後に目を瞑った。


 ぼくは紗雪と朱美を交互に見て、そこにいるかも知れない死者を思った。

 見えるはずのない死者。


 ふと、声が聞こえた。


 ――夢は呪い。


 か細い、消えかけた蝋燭のような声だった。

 それは紗雪が言ったのかも知れないけれど、しかし、印象としては男性の声の響きがあった。

 

 ぼくは、声の言葉を頭の中で繰り返した。

 夢は呪い。

 眠った時に見る夢ではなく、おそらく目標とか理想と言った方の夢だろう。

 それが呪いだと言う。


 記憶を失ったぼくに夢はなく言ってしまえば、ぼくは記憶と共に夢を失っていた。

 良いのか悪いのか判断はつかないけれど、ぼくは呪われてはいない。


 紗雪がゆっくりと目を開けた。


「朱美ちゃん」

 と声をかけた。

 しかし、朱美はそのままの姿勢で目も口も開かなかった。


 ぼくは状況が掴めず、ただ静かに成り行きを見守った。

 二十秒ほどが経った後、朱美が口を開いた。


「見えた?」


 少し震えの含んだ声だった。

 目は変わらず閉じたままだった。


「見えなかったよ」


 朱美は体の力を抜いて、その場にへたり込んだ。

 胸につかえた想いを吐き出すような深いため息だった。


「紗雪ちゃん。疾風は生きてるってことで、良いんだよね?」


「うん」


 川島疾風は生きている。

 なら、あの声はなんだったのだろう?

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