うるう年を乗り越えろ

はやしはかせ

インプロビゼーション

 四月は出会いの季節だ。


 青山恭平は高校二年になった初日、教室で一人ほくそ笑んでいる。


 毎年のクラス替え、そして初日に必ず行われる自己紹介。

 青山にとってそれは、毎年必ずやって来る災害のようであった。


 ウケたためしがない。

 

 青山という名前の都合上、彼は常に出席番号一番。

 そして必ずといっていいほど自己紹介は出席番号順に続いていく。

 

 つまり、毎年のように彼は一番バッターとして打席に立ち続け、その度に豪快な空振りをしでかしてきたのである。


 お笑いのグランプリでもトップバッターは不利だ。

 最初のネタがすべての基準になるから、審査員はいきなり最初のコンビに高得点はつけられないし、そもそも客も暖まっていないから、しんとした空気でネタを披露しないといけない。

  

 吐き気がするほどの緊張感の中、青山は毎年、自己紹介をして、毎年のように精神的なダメージを負っていた。

 

 自分の報われない学生生活は、毎年の自己紹介で滑っているからだとまで考えていた。

 だったら、受け狙いなコメントなどしなきゃいいのだが、年を重ねるごとに他の人と違う存在になりたいという欲は大きくなり、最初に一発かませば、自分もチヤホヤされるのではと期待してしまう。


 いっそ「青山」ではなく「高山」くらいだったら、もう少し、温かい目で見てもらえたかもしれないというのに。


 しかし今年は違った。

 相沢香織という女が同じクラスになっていたのである。


 相沢香織、出席番号一番。

 

 自分は二番。

 

 勝った。

 

 いや実際、何に勝ったのかわからないが、青山は安堵感で一杯だった。

 今年だけは当たり障りのないことを呟いてその場をしのごう。

 それでいい、今年はもうそれで良い。

 そうやって自分を納得させた。

 

 そしてこわばった顔で緊張を隠せないでいる相沢を見て、申し訳ないとは思いつつ笑いを止めることができなかったのである。


 何という哀れな姿だ、相沢よ。

 この冷えに冷えた教室という名の監獄で、何を言っても反応しない機械のようなクラスメイトの無表情に囲まれるがいい。

 そして恥と後悔という底なし沼にハマりながら、相沢という名に生まれた己を呪うがいい。


「えっ、と、相沢香織です。実はわたし、秘密があります」


 おっ、なかなか興味をひくイントロ。

 しかし何をやっても無駄無駄。ニヤリと笑う青山。


「わたし、誕生日が二月二十九日なんです。うるう年で、四年に一回だから……」


 おおーっとざわつく教室。

 嫌な予感がする。


「だから、わたし。本当はまだ四歳なんです! よろしくお願いします」


 ドカーンとウケる教室の中でたった一人、青山だけは血の気がひいていた。


 うるう年で四歳!

 なんて武器だ。こいつはしてやられた!

 思えばオチの前でいったん間を取って周囲の期待を高めたあの感じ……。

 間違いない、こいつは、毎年のようにあのネタを使っている!

 練度が段違いだ!


 いろんなバラエティ番組で何度も同じ話をしてその都度ウケを取るのは「徹子の部屋」以外ではマナー違反になると個人的には思っているから、卑怯だ、それは卑怯だぞ、相沢!


「えー、じゃあ、次、出席番号二番、青山」


 担任が無慈悲に自分の名を呼ぶ。


 まずい。この状況はまずい。

 何を言えばいい。

 ざわついたこの喧騒で何を言っても右から左へ素通りされるだけ。

 そんな透明人間みたいな扱いはさすがに嫌だ。


「えと、青山恭平です。よろしくお願いします。えーとあのですね」

 

 何を言えば同じくらいにウケる?

 四年に一度。

 それを上回るインパクトのあるつかみは何か無いか?


 ワールドカップ? オリンピック?

 あいちトリエンナーレ?

 いやあれは三年に一度の芸術祭で、もう四回開催している。

 ちなみに四年に一度の芸術祭のことをカドリエンナーレというらしい。

 

 いや、今そんなこと考えている暇はない。

 何か上手いネタは無いか?


「おーい、どうした? 緊張してるのか?」


 からかうような担任の言葉に、ふふっとウケる教室。

 

 あーいやな笑いだ。

 背中に毛虫を何十匹も放り込まれたような気色の悪さだ。


 俺は笑われたいんじゃない。

 笑わせたいのだ!


 緊張?

 してるに決まってる!


 先にウケる話をされて、こっちは緊張してるし焦ってるんだよ!


 相沢め。

 ほっとしたような顔をして、すこし頬が赤くなっている。

 よかったよな。ああ、よかったよ、解放されたんだろうさ。


 このまま終わらせてやるものか、そんな思いが青山を支配した。


「あーずるい! ずるいなあ! そんな面白い話を先にされちゃったらこっちはもうお手上げだわ!」


 今自分が思っていることをそのまま口に出すという暴挙に打って出た。


 思わぬ展開にざわつく教室。

 はっと、こちらを見る相沢香織。


「もう何も思いつかない。面白いこと何にも出てこない、どうしましょ?」


 両手を大げさに広げてみるが、誰も反応しない。

 明らかに滑った。

 しかもどう収拾を図ればいいか考えてもいない。


 広げに広げた風呂敷をたたむことが出来ず、硬直して動けない。

 まずい、これは実にまずい。

 どうしよう。


 そんなときだった。


 どんと机を叩いて勢いよく相沢香織が立ち上がった。


「そんなこと言ったってなあ! ウチだって毎年苦労してきたんや! やっとウケたんや! ええやろそれくらい!」


 思わぬ展開に教室は異様な熱を帯び始めた。

 青山自身、まさか乗ってくるとは思わなかったので驚きを隠せない。

 

 だけどわかる。

 関東出身のくせに面白いことを言おうとするとエセ関西弁が出てしまう素人の悲しい習性が痛いほどわかる。


 あいつは俺と似ている、好きなものが似ているのだ。きっと。


「ええわけあるか! 毎年苦労してきたなんて嘘やろお前! そのうるう年の話で毎年毎年小さなウケをちょこちょこ取ってきたに違いないわ、ねえ!」


「そんなことないわ! 去年までは三月一日が誕生日って聞かされてたし、戸籍上でもそう書くように言われてたんや。なのに急にお母さんが、あんた本当は二月二十九日生まれなんや、それでええやろっていうから……」


 その話が本当なら、このうるう年ネタは今年初めて披露したことになる。

 となると、相沢も自分と同じような悩みを抱えていたのか。

 あ行の名字で生まれた者の宿命に苦しんできたというのか。


 同じ悩みを抱えていたからこそ、俺の危機を理解し、助けてくれているのか。


 お互い真っ赤な顔で見つめ合っていると、互いの気持ちが言葉ではなく、音のようになって体に染みてくる。


 これは、行けるところまで行けるかもしれない。


「待て、お前、それはお母さんの陰謀だぞ」

「え、どういうこと?」

「四年に一回の誕生日だろ。そしたら誕生日パーティも四年に一回だし、プレゼントも四年に一回。次の誕生日は二十歳になるまでないぞ、お前!」

「ええーっ?」


 大げさに頭を抱える相沢。笑うクラスメイトと担任。


 ウケた。

 自分の言葉と動きではじめて人が笑った。


 こんなに体の中がじわじわ熱くなっていくものなのか。

 自然と笑顔になっていく青山。


 しかし相沢はまだだとばかりに首を振り担任の方を見た。


「ていうか先生! 自己紹介を出席番号順ってひどくないですか?」


 相沢、まさかの素人いじり。


「うちら最初にスピーチしなきゃいけないから、いつもこの時期つらいんですよ!」

「おお、よく言った!」


 青山が拍手をすると、いいぞいいぞと、か行とさ行の生徒も続く。


「いやーそうなのか」


 恥ずかしそうに頭をかく担任。

 素人はいじられてもこれくらい薄いリアクションをしてくれればいい。

 たまに一発かまそうとする自分みたいな素人はとても面倒くさいのだ。

 

「ねえ先生、思い切って出席番号最後の人からにしましょうよ。それか……」


 ちらっとこちらを見る相沢の振りに青山はピンときた。


「おお、いいなそれ、なんなら机の並び順なんかどうですか、窓際の後ろの席から順番に……」


「そうそう、窓際の……って、それ私じゃん!」


 またドカンとウケる教室。

 笑いながら担任が手を叩く。


「あー長い長い、もう止め! 面白い、拍手!」


 パチパチパチという音の中、青山は席に着いた。


「オマエらなんだよ、知り合いなのか? 仕込んでたのか、こうやろうって」


「いや別に……」

「初対面で……」


 それぞれ聞き取れないくらいの小声で呟き、お互いに目を見合わせ、すぐに反らした。


「まあいいや、じゃあ望み通り出席番号の最後からにしよう、綿貫、悪いけど次ね」


 こうして自己紹介は続いていったが、青山の耳には一切入らなかった。


 なんだったんだろう。今のは。

 とんでもない疲労感。大量の汗。

 それ以上に体の奥から湧いてくる高ぶりは何なんだろう。


 遠く離れた席にいる相沢香織を何度も見た。

 向こうも何度もこっちを見ているのがわかる。真っ赤な顔をして。


 さっきまでどうでも良かった彼女の丸顔や、ショートカットの髪、小さな体が今はとても特別に見えた。

 こんなに可愛い子だったっけって。

 

 お互い、特筆すべきもののない、世の中に埋もれてしまう、その他大勢の一人に過ぎないのに。

 今は相沢香織のすべてがとても輝いて見えた。

 

 彼女に自分はどう映っているのだろうか。


 休憩時間になったら話しかけてみよう。


「君、凄く面白いじゃん」


 きっと、彼女は喜んでくれそうな気がする。


 四月は出会いの季節である。


 青山恭平は明日の自分のことを考えると、なんだか妙ににやけてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うるう年を乗り越えろ はやしはかせ @hayashihakase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ