第7話『4年後の世界』

 イスダルの謁見の間から、黒竜が光と共にリューフを連れ去ってから4年。リューフは黒竜の光の中で意識もなく、ただ深い悲しみの中を眠って過ごした。月日が経ち、意識を取り戻した頃には、リューフは見知らぬ土地に一人きりで寝転がっていた。辺りは一面焼け野原。煙に燻された草木の匂いがした。黒竜の姿はなかった。空っぽの虚空は、最愛の妹を殺したことを、刻々と思い出させる。傍にあった父の剣には、まだプラテナの血がついている。何もする気が起きなくて、天を仰ぎながら泣いた。泣いて、時々笑って、また泣いた。体の水分が全て涙に変わり、心がどんどん荒んでいくのが分かる。絶望と失意で何もかもが悪意に思えた。風の冷たさも、暖かい太陽の陽差しも、土のぬくもりも。悲しみよりも、恨みや憎しみが心に募った時、不意に空腹を感じた。それすらも腹立たしい。深く、深く自分を呪った。このまま空腹で死んでしまおうかとも考えた。そうしたら唐突に声がした。

「おい、そのままじゃ死んじまうぞ」

「……誰だ」

 誰の声も聞きたくないリューフは、うんざりしながら顔を上げた。一人の男がいた。その男の姿は虚像だった。向こうの景色が透けて見えている。人の形を成しているが、およそそうとは思えなかった。

「なんだ、お前は」

「なんだとはなんだ。俺は貴様の意識が戻るのを4年も待っていたんだぞ」

 リューフは飛び上がって、男の首を目がけて剣を振るった。案の定、剣は男の身体をすり抜ける。

「危ないな、なにをする」

「お前はあの黒竜の化身か?」

「黒竜。ジョゼのことか。あんなのと一緒にするな。俺は竜守だぜ」

「竜守?」

 何のことだかさっぱりわからなかった。

「合点がいっていないようだな。お前みたいな竜に取り付かれた竜騎士の案内役だ。竜には絶大な力がある。それは分かっているだろう?」

 自分を竜守と名乗る男は手を広げて促すようにリューフの視線を誘導した。リューフと男の一帯に黒い灰の平原が広がっていた。

「ここはお前が焼いたのか?」

 リューフは尋ねた。

「いいや、違う。焼いたのは貴様さ。リューフ」

「僕が……僕はその竜騎士とやらに選ばれたのか?」

「それも違う。俺たちは貴様なんか選んじゃいない。ジョゼは竜の中でも異質だったからな。奴に騎士を選ぶ権限はない」

「だったら何か? 力を持った僕を殺しに来たのか?」

 男は広げていた手を少し上げ、お道化て見せた。

「そうじゃない。半分とは言え高い知性を持ったエルフなら、仲間に引き入れることは可能なんじゃないかとジジイどもは判断した。前例はないがな」

「僕を迎えに来たのか。だったら帰れ。僕は朽ちるまでここにいる」

 リューフは男に背を向けた。虚像だろうと誰であろうと、今は殺してしまいたい。

「人間が憎くないのか?」

 男は構わずリューフの背に話し続けた。

「俺たちは貴様の憤りを晴らす場所を提供してやろうと言っているんだ。貴様にはこの世に人間がいなくなるまで暴れてもらいたい」

「竜ってのは随分物騒な種族なんだな」

 男を横目で捉えながら、リューフは皮肉を吐いた。

「人間は神をも恐れぬ愚劣な種族だ。我が物顔で秩序を乱し、いずれ世界を壊す」

「何を偉そうに。お前らが竜と組みしているというのなら、恨みこそあれ僕が協力するとでも思うか?」

「するさ、こうすればな」

 男はそう言うと、いきなり光を放ちだした。男を中心に、眼が眩むほどの光の柱が立ち昇った。

「なんのつもりだ!」

「すぐにわかるさ」

 名も知らぬ男は、一頻り光を放つと、影も形もなくなってしまった。元より実体などなかったが。リューフは男がいなくなって呆然としていると、彼方から鬨の声が聞こえた。土煙と共に、黒く蠢く人だかりから、発せられるその声は、リューフに向っているのか、だんだんと近づいてくる。それも四方八方から。

 リューフは剣を構えた。ここは戦場の真っただ中だったのか。東の彼方に無数の光が煌めいた。赤や青、黄、緑の魔法陣。その光は間違うことなき魔法の光だった。だがその攻撃には確かな殺意があり、美しくはない。形態もエルフの使う流麗な物とは違った。リューフは向ってくる殺意に敵愾心を覚えた。

 西から来る人だかりもその魔法の光を警戒して陣形を変えた。ドドドドドという大地を踏みしめる音。その勢いに呑みこまれる形で、リューフは西の兵士達と相対した。西の兵士達は、戦場の真っただ中に一人、ぽつねんと立っている青年を、訝しげに注視したものの、襲ってくるわけではないことを確認すると、そのまま無視して通り過ぎた。兵士たちは人間だった。リューフは内から来る殺意に、手が震えるほどの衝動に駆られたが、相手があまりにも多すぎると思い、心を静めさせた。兵士の一人がリューフの肩にぶつかった。よろけたが、リューフは次にぶつかりそうな兵士の肩を、むんずと捕まえた。すると、その者の肩は、リューフの意としていたよりもずっと、いとも簡単に外れ、もげてしまった。途端に「ぎゃーーー」と言う悲鳴があがり、ジタバタと痛みに耐える兵士を見て、東からきた兵士達は足を止め、警戒を強めた。剣を構え、リューフを取り囲む。リューフは思いがけないことに驚いたが、向けられる殺意を、今はどうにかするしかなかった。剣を引き抜き、戦いが始まった。リューフの操る剣は、悉く兵の剣を叩き折り、硬い鎧も易々と斬り裂いた。一撃一殺の大立ち回り。リューフは自分から漲る尋常じゃない力に驚いた。明らかに、戦士としての格の違いを見せつけられて、兵たちは即座に相手を強敵と判断した。リューフは畏怖を抱くほどの、飛躍的な自力の向上に舌打ちをした。

――これが竜の力か。

 望んでもいない力を与えられたことが、一人の剣士として、誇りを踏みにじられた思いだった。まだやるのか。そう眼で告げると、一人の男が前に出てきた。灰を被ったような白髪の長い髪に、紫色の民族服。その色は憎きセイクリウッドを思い出させた。

「いやいや、その怪力無双は全く凄まじいね。俺たちとも少し遊んでいってはくれまいか?」

 白髪の男は歌うように楽し気に笑った。

「死にたくなければ僕に構うな。肩を捻じ切ってしまったが、故意じゃない」

「わかっているよ、お前は竜の化身だろ? さっき見せた光もそれと関係しているんだろうな」

 白髪男はリューフよりも事情に詳しいようだ。

「なにを言っている。見たところあの魔法を使っているのが、お前らの敵じゃないのか?」

「他の連中はな。俺たちは違う、竜を狩りにきた」

 男の目に真剣みが増して、口元がつり上がった。

「ドラゴンスレイヤーか」

「そうだ。ただの一匹の幼竜が4年もかけて暴れ続けているんで、戦争の邪魔だから討伐してくれとの依頼があった。お前のことだろ? さ、早く竜に変身してみせろよ」

「待て、僕は……」

 リューフが制するが、

「お頭、面倒だ。それにこのままの方が仕事は楽だろ? わざわざ手間を増やすことはない」

 白髪男の前に、頭をそり上げた大男が歩み出た。手には、それは大きな棍棒が握られている。他にも白髪男を慕う者が10人程いるようで、その手には使い込まれた武器があった。背中の折曲がった男が、鎖鎌を厄介そうに振り回す。戦いは避けて通れなさそうだった。今のリューフの並外れた力ならば、早々に一掃できそうな気もするが。リューフは戦う意思を見せるべく、剣を掲げ突きの構えを取った。一瞬だけ戦場の喧騒が遠のいた。そして、一斉にドラゴンスレイヤー達が、リューフとの距離を詰める。一合目は弓による弓撃だった。頭と足を狙った、ほぼ同時の速射。リューフの眼は、以前とは比べ物にならないほどに精度を増していた。矢の軌道が手に取るように分かる。羽弁の一本一本の歪みさえも、隈なく見えるほどだ。足を狙った矢は、右手の剣で弾き、頭を狙った矢は、上体を横に逸らしながら、左手で矢の箆を、逆手に掴んだ。およそ常人の反応速度ではない。それから手首で矢を反転させながら、次の矢を番えようとしていた弓士に放った。矢は弓士の肩当てを貫き、射た時よりも疾く、真っ直ぐに突き刺さったが、矢とは思えぬ程の衝撃で、弓士を後方へと弾き飛ばした。ドラゴンスレイヤー達は、リューフの反撃を横目に、驚きを露わにしたが、一斉攻撃は尚も続いた。リューフの顔を穿とうと、鎖鎌の男が鎖分銅を飛ばした。それをリューフは細剣で軌道を逸らそうと剣を構えた。

「かかった!」

 鎖鎌の男は鎖を巧みに操り、リューフの細剣に鎖を巻きつけた。

「得物を奪え! 引くぞ! せーの!」

 鎖を手繰り寄せて三人の男が鎖を引いた。リューフは踏みとどまって、逆に鎖を強く引いた。勢いが余って三人が飛び寄ってくる。鎖鎌の男は反動を利用してリューフに飛びつこうとした。

「キエーーー!」

 奇声を上げてカマを振りかぶったところに、拳をめり込ませた。殺さないように丁寧に力を抑えて。それでもスリングショットのように、鎖鎌の男の身体は呆気なく吹き飛び、迫っていた二人の片割れにぶつかった。鎖を引いていた残る三人目は、鎖を離し空中で、剣にしては薄く、細剣にしては厚みのある、筒状の剣を腰元で構えた。刹那、眼にもとまらぬ速さの居合がリューフを襲った。しかし、初速の速さに驚いたものの、見極められぬほどではなかった。片刃の剣の背の部分から摘まんでやると、剣はリューフの肌の、皮一枚のところで止まった。片刃の剣を振るった男は、防がれた剣を、懸命に動かそうとするがビクともしない。リューフが虫でも殺すような、冷氷の殺気を放っていると、先ほど白髪男を制した、頭を剃り上げた男と、それに負けないくらい、大柄な図体をした男の二人が、手の棍棒と斧を、リューフの頭上で振り上げていた。流石に持っている武器では受けきれないと判断して、片刃の剣の男を盾にしながら前方にかけた。風の如き疾駆。後ろでは過ぎ去った場所に、武器が振り下ろされる轟音が鳴っていた。片刃の剣の男をそのまま投げ飛ばすと、今度の相手は三本の槍。長槍を持つ、長い髭を蓄えた壮年の男と、まだ肌につやのある双短槍の青年。挟み込むように突きが、乱れ撃たれる。深手を狙うのではない、体勢を崩すための突きを、双短槍の青年が放ち、隙もあれば容赦なく急所を狙っているのが長槍の男という、連携の取れた良い動きだった。リューフはそれを冷静に対処した。槍の軌道を読み最小限で躱す。手足の動かし方も、次の一手を予想して、手詰まりにならないように気を配った。三人はそれぞれの動きを走りながらやっている。

――このままでいい。

 多対一の状況でやるべきことは即座に頭目を潰すこと。各個撃破はその後で良い。攻防を続けながら、白髪の男に近づく。その前に、ゆらりと初老の男が立ち塞がった。持っているのは何の変哲もない剣だった。三本の槍を剣で弾き飛ばし、その初老の男の剣も弾き飛ばすつもりだった。初老の男の剣に反応できたのは、ほとんど奇跡のようなものだった。リューフの細剣が断ち切られる。肩口も少し切られた。出来た隙に漬け込むように、槍が三本リューフに向って迫る。リューフは後退を余儀なくされた。下がった先で負傷していないスレイヤー達に、円周状にリューフはまた囲こまれた。リューフは父の大剣を持ち直して、荒くなった息を整える。

「こいつ良い動きをする」

「生半可じゃこっちが危ういな」

「俺の刀を止めやがった」

「なんて力だ、アバラが3本はいっちまった」

「流石は黒竜の化身というところか」

 口々にリューフと相対した総評を述べる。

「相手になるのは俺と爺くらいか、爺。剣を貸してくれ」

「サシでやるのか? あまり関心はせんが。……まぁ、良いじゃろう。ホレ」

 初老の男は、持っていた剣を、リューフに放り投げた。リューフの足元に剣が転がる。

「……なんのつもりだ」

「今から頭である俺と一対一の勝負をしてもらう。勝てばお前は無罪放免自由の身だ。その剣を使え。そんなに安っぽいのじゃ一撃でお陀仏だ」

「舐めるな、敵の剣など借りずとも僕はお前を倒せる」

「ならお手並み拝見だ」

白髪男が剣を抜く。鞘から見えた抜き身の鮮やかさに一瞬心を奪われた。ハッとなり、瞬時に剣を構える。白髪男とリューフの剣がかち合った。もの凄い金属音と共に、リューフの剣が激しく欠けた。白髪の男の剣が異常に固い。見た目の美しさに似合わず、大岩にでも叩きつけたような手応えだ。もう一度剣を重ねてしまったらきっと父の剣は断ち折れてしまう。リューフは雑念を消して防御に徹した。今の自分の体なら、感覚を研ぎ澄ませれば、身体能力に限界はない気がした。徐々に白髪の男の太刀筋が見えてくる。

「お、また早くなったな。じゃぁ俺ももう一段上げるとするか!」

 リューフの目の前で、白髪男は五つの動きをした。リューフの四肢の皮が裂かれ、鮮血が飛んだ。そして父の大剣は、ポッキリと真ん中から断ち切られてしまった。リューフは慌てて転がりながら、初老の男が放った剣を拾った。さっきまで死にたかった。だが、こんなところでむざむざと人間ごときに、殺される訳にはいかなかった。憎むべき人間相手などに、プラテナやポータァ達が託した命を、くれてやるものか。見っともなくても生きねば。剣は不思議と手に馴染んだ。見てくれは、どこにでも数多にありそうな剣なのに、柄を握ると脈々と力が漲ってくる。

「やっと握ったな。そうでなきゃ勝負にならん。その剣はな、竜の牙で出来ている特別製だ。決して折れることも刃こぼれすることもない世界で一番強い剣の一つ。俺のも同じ竜から削りだした一品だ。俺たちがなんでこんなに強いか分かるか? それはな、竜の血を呑んだからだ。神獣である竜の血は霊力の集積体だ。その力は強靭な肉体を造り、人の領域を超える力を授ける」

「狩るだけでは飽き足らず、喰らったのか。竜を」

「そうだ。この世の理の大前提は弱肉強食。人間より強い生き物がいること。それを踏み越えねば人間に未来はない。自分以上の脅威を取り除くことは生存競争の中では当たり前のことだろ。この世はまだまだパワーバランスってのが出来ていない。誰かが頂点に立ち平定するしかない」

「そんなのは自分の力に満足できない弱者の理屈だ。共存するという志を持とうと思わないのか」

「そんなものは起きた時に忘れる夢のようなものだ。まやかしに過ぎない。絶対的強者が君臨することこそがこの世に平和を訪れさせるのさ」

「……お前も一緒だ。お前も死ななければならない種類の人間だ」

 リューフは決意と共に剣を構えた。その時、魔法の気弾が降り注いだ。西から攻めていた兵士たちが押し戻されて潰走していた。

「お頭! ちょっとこいつは不味いぞ、俺たちも引こう!」

「クソ、いいところなのに! ……お前! 名は何と言うんだ!?」

「なんだ、逃げるのか?」

「これでも俺たちは戦争に来ているんだ、逃げることもある。なぁ名前くらい教えてくれてもいいだろ? お前とはこれっきりと言う気がしないんだ。そうだな。俺はジンオウ=バルトゼン。いずれこの世界の王になる男だ」

「お頭! 早く!」

ジンオウと名乗る男の瞳は、少年のように真っ直ぐだった。少しポータァの眼差しに似ていた。

「モータムフの里のリューフだ」

「リューフか。爺の剣は預けた。俺にまた会うまで死ぬなよ」

 ニヒルに笑ったジンオウは、仲間と共に去って行った。魔法の嵐は尚も続いている。魔法を避けるべくリューフも違う方向へと駆けた


 戦場を離脱したリューフは、自分の状況を把握しようと、情報収取に徹した。三日かけてようやく集落が見えてきて、それまでいたのがヴァルマハラという一つの大陸にも匹敵するほどの、大平原の端だったのが分かった。

ここを起点に剣の国「リーテシャンダラ」と魔法の国「ディエルマキナ」の終わらない戦争が行われていた。戦火はヴァルマハラ全土に渡って広がっており、その中でもリューフがいたのは、丁度二つの国の中間くらいの距離。ここまでは、夜になってから近づいた、各地にあった拠点から、闇の魔法の影衣に隠れ、水や食料を拝借しながら進んできた。耳の尖ったエルフが見つかれば、騒ぎになるだろうと思ったからだ。

リューフの頭の中には、三つの選択肢が浮かんだ。一つは果てしなく遠かろうが、故郷に帰ること。ただ戻ったところで、最早リューフ帰る場所はないだろう。二つ目はドルトフェント山に行くこと。自分を不幸のどん底に陥れた竜に報いを受けさせる。これもどれだけの勢力、どれだけの武量を持っているか分からないので、全容を把握しなくてはいけない。三つ目は、竜から切り出したこの剣の持ち主に借りを返すこと。それが一番現実的に思えた。だがそんなのものが生きている理由には到底ならない。一人になると身を裂かれそうな、酷い寂寞が押し寄せてくる。温かかった頃のリューフの世界は、銀河を渡るにも等しい程に遠くなっていた。プラテナの笑顔、ハミルトンの優しさ。自分の中で全ての色が乾いていく。母はあれからどうなったのだろう。助けられたのだろうか。闇夜の一座の皆は。リューフは縋るような思いで、それらの情報を集めることにした。それだけが自分の生きる理由になると信じて。故郷への道のりは遥かに遠い。長い旅になりそうだ。リューフは闇にまぎれて足を踏みだした。


 走駆。月光の差す夜を、リューフは風のように走っていた。その理由は追われているからだった。寂れた村の一郭で、僅かばかりに物資を補給して、旅出た矢先のことだった。

 無数の獣の気配を感じた。不穏な気配は、リューフを取り囲もうとしている様子だった。

――この多勢、狼か。なら早く森に入るしか逃げ道はないな。

リューフは一端荷を捨てて、全力疾走で森に向った。魔法を使ってもいないのに、足は軽快に地面を弾く。森の位置口の大きな木に登った時、無数の狼が木を取り囲んだ。獰猛で凶暴な目つき。牙は鋭く、噛みつかれれば簡単に肉を食いちぎるだろう。それでも銀色の毛並みは美しかった。冬の月光を溶かしたような冷たい色。それが気高さを表しているようだが、生憎リューフに友好的な感じではなかった。

――これだけの数に襲われたらひとたまりもないな。

 リューフは自分の命運が、ここで尽きることを微かに予見した。元々死に損なっての旅だ。終わりはどこであってもいい。人間に殺されるのだけは御免だと思って、あの時は抵抗したが、簡単に死のうが、苦しんで死のうが、どうでもよかった。抵抗の意志を見せずにいると、声が聞こえた。獣質の混じる亜人独特の唸るような声。

「竜騎士のクセにえらく簡単に命を諦めるな?」

 狼の間を分けて前に出てきたのは、白い毛並みの剽悍そうな狼人だった。

「殺すつもりなら殺してくれて構わないが、こんな餓鬼一人に狼の群れと言うのは随分と臆病なんだな」

「狼の狩りは群れで行うのが鉄則だからな。誰かが足をもいでくれたら腕にありつける。食べる分は少なくとも仲間が飢えて死ぬることもない。だがなお前をつけ狙ったのには理由がある。ヴァルマハラで暴れていたのはお前か?」

「そうだと言ったら?」

 回りくどいやり取りで頭がイライラする。

「ならば竜の意志に従い人を滅ぼすのか?」

「どうだろうな、竜には殺し尽くしても晴らせないくらいの恨みがある。協力してやるつもりもないが、ここまで来るのに分かっただけでも竜の力は計り知れない。僕をどうにかして強引にでも仲間に引き入れる方法もあるかも知れない」

「お前は竜についてどれだけのことを知っている?」

 腹の探り合いか。

「何も。ただ疫病神みたいに不幸をばらまいて、忌み嫌われる存在なんだってことしか知らないよ」

 どうにでもなれと正直な気持ちを話した。その言葉には棘があり、触れるものに傷をつける。棘は自分にも深く食い込み、取り方は分からない。

「なら教えてやろう。竜はこの世の神に仕える十二神獣の一種だ。不死鳥、白狼、竜、岩石亀、一角獣、宝石鯨、大蛇、黒羊、赤獅子、大猿、緑熊。この十二種類の神獣が神の命を受けてこの世を平定している。10年に一度の周期で神は神命を下す。去年までは我ら白狼の時代だった」

 自分には繋がりなどない話だと思った。しかし、この身は既に竜に呪われている。関係していないと思いたくて、リューフはしらを切った。

「何のおとぎ話だい?いきなりそんなことを言われても訳が分からないよ」

「これからお前は神獣たちと運命を共にする。これは血より強く結びつく契約だ。逃れることは出来んよ」

 狼人もリューフの知らないことを知っている風だ。気に入らない。

「神命? 契約? そんなのどうだっていい。僕は……」

 その次に何が言いたいのか、言葉に詰まった。一人にしてくれ、構ってくれるな、黙って失せろ。そんな罵声が生まれてくるのは、まだ生きたいと思っているからなのか。今、自分にあるのはあの頃、里を出て、竜を追った時の僅かな希望、母と妹を助けたいと思った使命感、そんな純粋で美しい心ではない。静かで穏やかな日々を取り戻したい。チラリとそんな気持ちが胸中を過った。狼人は話を続ける。

「神獣にも派閥があってな、どこに着くか身の振り方一つで生き方は変わる」

「それで? 僕を勧誘しにでも来たってわけか? 残念だろうが僕は誰かの命令で剣を振るうつもりは無い」

 吐き捨てるように言った。これ以上何とも関りを持ちたくない。関わって不幸になるなら一人でいた方がましだ。

「竜のやり方は破滅的なんだ。自分以外の種族など、皆、絶滅してもいいと思っている。高慢で自尊心が高く、なにより自分の認めた者以外とは利害が一致していたとて一切仲間とも思わない冷徹非道な種族だ」

「じゃぁ竜騎士ってなんなんだい?」

 そうなればエルフの自分に宿った竜は、辻褄が合わない。あの竜守の男は自分の他にも竜騎士がいる風なことを言っていた。

「竜騎士は竜に仕える竜の下僕だよ。竜は生まれながらに世界を見通す千里眼を持っているが、言葉を話すことが出来ない。唯一の弱点を補うために竜は契約を交わし力を与える」

 ともなれば、自分はリュウの中でも異分子なのか。

「ヴァルマハで現れた男には、僕に宿った竜に騎士を選択する権限はないと言っていたぞ」

「おそらくその竜は忌子だっただろう。竜の中でもたまに生まれる不幸をまき散らす悪の竜だ」

「だったらあんたたちも僕には関わらない方が良い。たくさんの死に巻き込まれることになるぞ」

「忌子には忌子なりに使い道もある」

 狼人は好意的に手を上げて答えた。芝居がかった嫌な感じがした。

「不幸を呼び寄せる力を利用しようと言うのか? 馬鹿な、そんな不可解なものを信頼するのか?」

「吉凶を探るために様々な占いが生まれ、星を読んだりだってするもんだ。強ち未来って言うのは容易くはないが、懸命に腕を伸ばせば尻尾くらいは掴める」

 狼人は器用に尻尾を揺らした。

「もう一度言う、僕に関わるな」

 これは警告だ。世界なんて計り知れないものに縛られてたまるものか。

「では敵となる前に始末させてもらう」

 ゾクリとする殺気にリューフは思わず旋律した。

――死ぬのが怖いのか。臆病なのは一体どっちなんだ。

 心の中で舌打ちをした。神の使いだか知らないが、何も知らないまま殺されるのも嫌な気分だった。いわれのない暴力に屈するほど、リューフの意気地は曲がっていなかった。木の上を器用に飛び跳ねる。下に降りない限り、狼は登ってくることが出来ないはずだ。だが行き先には、運河が広がり行く手を阻んだ。このままだと地面に降りなくてはいけない。

――岸まで泳ぐとしてもその先はどうする。

 考えていても仕方がない。意を決してリューフは、木から飛び出した。そのまま運河に飛び込む。追跡を回避するために、落下した勢いで下に潜る。すると、狼たちも速度を緩めずに、運河に飛び込んでくるかと思ったが。水際を境に追ってはこなくなった。

――なぜ追ってこない。泳げないこともあるまいに。

 その理由が分かった。運河にはリューフを飲み込むこともたやすいほどの大魚がいた。音もなく忍び寄る魚影が月光に照らされる。大口をあいた大魚の口には、ノコギリの歯のような鋭い牙があった。リューフはすかさず、水の魔法を使ってその大口を遮った。水を硬化させて、つっかえにしたのだ。捕らえたと思った獲物を前に、大魚は間抜けそうに口を開いて、目に見えないもので、遮られていることに腹を立てていた。リューフはその隙に対岸を目指したが、大魚は一匹だけではなかった。大魚の群れは、肉食の獰猛そうな動きで、我先にとリューフを追ってきた。このままだといずれ捕らえられると思った。リューフは剣を抜いた。剣先に魔力を集め噴出することで、噴水のような水流波を作った。その勢いに任せて、リューフは後ろ向きに水面へと浮上する。離水すると、水流波でズタズタになった大魚の血と肉が浮かんだ。そのままリューフは、水面に魔法をかけて足場を作った。流れを予想して、魔力を操作するのは、ジルとの厳しい修行で身に着けていた。大魚はしつっこく飛び跳ねて、リューフに襲い掛かる。こちらの脅威が分からなければ、いつまでも襲ってくるだろうと思い、リューフは大魚が飛び跳ねる瞬間を見計らって、運河の水の、水面から真上に突き上げるように魔法をかけた。硬化させた水は、槍となって大魚を串刺しにする。3~4匹片付けると、執拗に襲ってきた大魚が、恐れをなして引いていくのが分かった。対岸まで無事に行き着くと、後ろを振り返った。運河には大魚が悔しそうに撥ねていたが、狼の姿はもうなかった。濡れたままでは風邪をひいてしまう。リューフは再び森に入ると、道すがら薪となる木を探した。

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