第6話『黒い運命』

 リューフは、目的の宝物庫に行く道を彷徨い、城の深部、王との謁見間に辿り着いた。リューフがポータァと戦っている間に、既に侵攻した闇夜の一座と、イスダルの親衛隊とで、血みどろの戦いが繰り広げられていた。リューフは幼王ロナを探した。もしかすると、傍にプラテナがいると考えたからだ。戦況は闇夜の一座が押しているものの、だんだんと勢いが押し返されている。敵味方の入り乱れる戦場を、駆け抜けるのは難しい。リューフがあぐねていると、背中を強く叩かれた。ルシオだ。

「坊主、小僧のことを助けてくれて感謝する。ここは任せろ。セイクリウッド! 前へ出ろ!」

 ルシオは雷鳴のような怒号を轟かせると、混然としていた喧噪が、ピタリと止んだ。歩み出るルシオを中心に、亜人と兵士が円周状に広がる。そして、ルシオに呼ばれた紫鎧の騎士、セイクリウッドも、剣を佩いて歩み寄った。

「セイクリウッド。イスダルの実権を握り、暴虐悪行の限りを尽くしている諸悪の根源。これ以上無駄に血を流させたくない。貴様に一騎打ちを申し出る」

「亜人風情が騎士である私に一騎打ちなど片腹痛い。しかし義賊などといった偽善者たちが巷で猪口才に策謀しているのは些か目障りだった。ここらでお前の首を筆頭に一網打尽にしてやろう」

 磨き抜かれた黒鋼の大剣と、白銀の盾を掲げて、セイクリウッドは答えた。構える前に仲間の一人が、ルシオの双剣に着いていた血の油を、懐紙で拭う。水を打ったような静寂が染み渡った。どちらともなく、弾けるように飛び出した二人は、全力を持った一撃を交わし、組み合った。力は互角。しかしルシオは両手での剣撃、セイクリウッドは片手でそれを受け止めていた。セイクリウッドは、直ぐに盾をルシオに叩きつけた。ルシオは軽快にそれを、足で蹴り上げて宙返りすると、力ではなく速さでの勝負に出た。息をもつかぬ高速の連撃。上下左右に乱れ出る、突きや薙ぎ払いの威力は、リューフの師、ジルよりも速く力強く感じる。辛うじてだが、凌ぐセイクリウッドの判断力も並ではない。盾の奥の眼光も、鋭さが増すばかりだ。亜人と兵士で歓声が反響する。リューフは戦いの隙にプラテナを探したが、抜け目の無い兵に行く手を阻まれた。歯噛みしているうちに、歓声は悲鳴と吃驚に変わった。ガシャンと、ルシオが落とした剣の音が響いた。驚きと苦痛に歪むルシオの顔。ルシオは、セイクリウッドの盾の奥から生え出ていた、もう一つの剣で右腕を貫かれていた。切っ先の尖った、橙色と黄土色が混ざったような、禍々しい尾っぽ。およそ人間の姿からは、かけ離れた姿に誰もが息を飲んだ。

「貴様、人間をやめたのか」

「より優れた者になるための実験の結果だ」

 ルシオは左手の剣で、右腕を貫いている尾剣を、断ち切ろうとしたが、それを読んでいたセイクリウッドが、ただの尾とは言えぬ怪力で、ルシオを弾き飛ばした。柱に叩きつけられたルシオは、衝撃に崩れ落ちた。しかし戦士の魂で、剣だけは放すことはなかった。剣を杖代わりに、片膝をついて跪くルシオ。勝負が決したとまでは言わないが、およそもう伯仲するような戦いが、出来る状態ではない。

「「お頭!」」

 亜人の口々から、ルシオを応援する声援が飛んだ。リューフは違った。大切な人を失いたくないのなら戦うしかない。窮地を脱するなら、振り絞らなくてはいけない。ありとあらゆるものを。リューフは亜人たちを押し退けて観衆の前にでた。

「……坊主まだ勝負はついていない、下がっていろ」

 未だ立ち上がれずにいるルシオが言う。

「戦士の儀式に無粋だぞ、少年。まさかこの亜人に代わって私の相手をしようというのか?」

 セイクリウッドも嘲笑うようにして云う。

「そうです。いけませんか」

「その尖った耳、エルフか。まだこんなに粋がったエルフが残っていようとは。緋色の眼。何か別のものを感じるな」

「私はあなた方が残虐にも狩り取り、澄み切った眼を抉り出されたエルフの母ハミルトンと、この国イスダルの英雄、シルバの間に生まれたハーフエルフです」

 リューフの名乗りにセイクリウッドは高笑いを決めた。甲高い耳障りな声、少しだけ歓喜が混ざっていた。

「ほう、ならば君にも私と戦う資格はあるな。何を隠そう君のお父上を殺したのも私だ」

 暗黒の炎が、リューフを内側から焼いた。血が沸騰し、緋色の眼が燃え盛る炎のように眼光を強めた。しかし、頭は氷の張った湖に、落ちる雪のように、静清としていた。

 父の形見の剣を抜いて構える。風と光と闇の加護を賜り、魔力を高める。光の魔法で輝かせた剣先で眼暗ましを。風の魔法で駿足に、セイクリウッドの背後に回る。闇の魔法で影を縛った。魔力の同時操作なので、縛る力は弱いものの、隙を作るのには十分な間だった。リューフは、見事にセイクリウッドの尻尾を、斬って落とした。鮮やかに流れるような動きだった。流れ出る血は赤かった。やはり自分の身体から生え出たもののようだ。切り落とされたビクンビクンとのた打ち回る尻尾は、宿主を失い、有り余る力を吐き出して動かなくなった。

 セイクリウッドは、うめき声を上げながら、盾でリューフを弾き飛ばすと、荒い呼吸を立てた。観衆は、ルシオでも傷をつけられなかったセイクリウッドに、一太刀与えることが出来たリューフに驚いた。ルシオも、仲間に治療してもらいながら目を見張った。ほとんど不意打ちに近い魔法での強襲は、出来ることなら一撃で全てを終わりにすべきだった。

 セイクリウッドは懐から赤い液体の入っている試験管を取り出した。そしてコルクの蓋をあけ一息に煽ると、顔中の血管が、はち切れんばかりに浮きあがった。眼も白目を剥いて口からは、涎が滴っている。およそ美しい騎士の様相から、かけ離れた姿に、誰もが言葉を失った。そして、断ち切った尻尾の根元から、また新たな尻尾が、体液をまき散らしながら生え出た。セイクリウッドは、荒くなった息を整えるようにして、語りだした。

「今、飲んだのは君たちエルフから抽出した魔力の塊の髄液だ。拒絶反応で死んでしまう者もいるが、濃度と量を適正にすればこの通り人間にも魔力が宿る。形態は様々だが神通怪力を簡単に手に入れることが出来る。そういえば豹人の亜人に投与してみたこともあったな。あれば滑稽だった。自我を無くして暴走し、救うはずの捕らえていた仲間を皆殺しにしてしまった。女の蛇の鱗は皇子もお気に召していたので、鞣しておきたかったのだが」

 絶対に許さない。弁明の余地もない。泣いて謝ろうが僕はこの人を殺す。殺す以外の選択肢がなかった。固い決心が、心を魔物に変えた。剣を振り被り、風の刃を巻き起こした。盾にスッポリと隠れるセイクリウッドの、死角に入るように駆ける。地の魔法で体を硬直させて体当たり。盾を弾き飛ばすとは言わないまでも、多少の痺れ、よろめきは与えることが出来た。次にセイクリウッドの大剣がリューフを襲う。剣と剣で受け合うには余りに力の差があり過ぎる。リューフは体当たりの力を、そのまま前方向に流して身体を捻じり、宙で剣を躱しながら、セイクリウッドの腕に痛手を負わせた。しかし生え変わった尾剣が残っていた。空中に身を晒しているリューフには、避ける術はない。そこはルシオが補った。戦士としての誇りを賭けた一騎打ちよりも、確実な勝利を選んだ。セイクリウッドの尻尾をルシオが弾きつつ断ち切る。反転したリューフのとどめの一撃は、セイクリウッドの喉元を貫いた。これで生きている者はいない。手には生っぽく、鈍い肉を通る手応えだけが残った。血の泡を吐いて、セイクリウッドは絶命した。

「卑怯もの!」

 と兵士たちの口々から、呪いの言葉が発せられる。リューフは手に残った感触に、正義を感じることは出来なかった。正義とはなにか。規律に従うこと、悪を罰する強さ、弱きを守る義侠心。そんなものは単なる定義に過ぎない。結局は勝者の理屈の上に全てが成り立っている。力のなき弱きもものは、甘えだ未熟だと最後まで虐げられる。勧善懲悪も破邪顕正も物語の中の出来事に過ぎない。現実はもっと残酷で、冷徹、無感動、無意味だ。勝つにはどうすればいい。徒党を組んで数を味方にする。強者に尻尾を振って、盾になって貰う。それとも、戦うことすら最初から放棄してしまえば、いっそ楽になるのか。どうしようもない悪は、確かに存在する。自分の思う通りに事を運び、振るった刃の鋭さにも気づかず、無自覚で人を傷つけ、自己の常識と安寧の世界を守るためにと、あらゆる手段を講じる。それを卑怯と言わずして何が正義か。正義などという、清らかで曖昧で暴力的なものはこの場に存在しなかった。ただの鉄の匂い。それだけだ。


 将を失ったことで、士気は下がったものの、イスダルの兵は、リューフとルシオの行動を卑怯と罵り、怒りをあらわにした。謁見の間は、再び血みどろの戦場と化した。ルシオは戦線を離脱したが。リューフは暗鬱の表情で、ロナの座る玉座に近づいていた。四方八方から剣や槍が突き立てられた。リューフは、胡乱にそれを躱すと、舞うように兵たちに致命傷をあたえた。強者を倒したことにより、リューフの太刀筋は鋭さを増していた。殺意の具現化の凄味は、王の周りにいる大臣たちを、思わずたじろがせる。ロナは辺りをキョロキョロと不安げに見渡し、卑屈に顔を歪めた。

「お主、プラテナの兄のリューフじゃな。プラテナから話は聞いておる。プラテナを直ちに解き放とう。すまなかった。捕らえたエルフたちにも住処と生活が再び営めるように我々が尽力する」

「どの口でそんなことを言っている。お前たちが自分達の私利私欲のために僕たちを蹂躙したんじゃないか。それにあの子をプラテナの名を気安く君が呼ぶな」

 リューフは剣をロナの首に剣を突き刺すように構えた。そして少し引き、

「報いを受けろ」

そう言って剣を突き立てた。その時、二人に割って入る者がいた。その者の胸に深々とリューフの剣が突き刺さった。兵士の格好をしてはいるが、それは、プラテナだった。

「プラテナ!?」

 リューフは瞬間、自分が何をしているかわからなかった。大切な妹を串刺した肉の感触が、セイクリウッドを刺した時の不快な感触と、似通った感触がまた手に残る。真っ赤な血を吐いて倒れるプラテナ。慌てて縋りより、抱き寄せる。激しい混乱と絡み合う複雑な感情が、リューフの体中を駆け巡る。

「どうしてこんなことを」

「兄さん。憎しみに身を任せては駄目。あなたはもっと優しい人のはず。この人は私も死んでいい、死んだ方が良いと思ってはいたけど、兄さんがこれ以上殺してしまったら兄さんは鬼になってしまう。止めるなら私しかいないと思った」

「そんな理屈は間違っている。お前を救うために僕はここまで来たのに、何故僕はお前を殺しているんだ」

「母さんと約束したことを覚えている? 人には優しく、例え右の頬を打たれても左の頬を差し出す勇気と愛を心に持ちなさいって。もう一度言います。あなたは優しい人。だから生きて……」

 力なくまた腕の中で魂の灯が一つ消えた。

「あぁーーーーーーーー!!!」

 リューフは絶叫した。そして泣いた。

 そして、リューフの過酷な運命に導いたあの黒竜が、猛然と窓を割って入った。体は矢が何本も刺さり、羽根は穴が開いて、最初会った時よりも傷だらけだった。そしてそのまま力を振り絞って、リューフに近づくと、黒竜とリューフは引き合い、光に包まれ宙に浮く。魔力でもないもっと大きな力に阻まれ、胸から大量の血を流し、眠るように目が伏せられたままのプラテナから、無情にも引き剥がされた。一匹と一人は、光に包まれそして彼方まで飛んで行った。

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