第4話『離別』

 リューフは見た、かつて自分が過ごした故郷の荒れ果てた姿を。美しかった里の惨状を燃えて炭と化した家々の骨組み。白石レンガで出来た石畳も、今は巻き上げられた土と灰で埋め尽くされている。香りはなく、ただたた命の抜けた空虚と、絵も言えない悲しみと後悔。明日を失ったこの里に、もう歩める未来はない。リューフは両の眼をしかと開き、その網膜に、脳に、心に刻み込んだ。ゴーンゴーンと内に響き渡る怒り。

「リューフ、しっかりしろ。村の再建は望めないかもしれないが、囚われた人を助ける使命があるだろう?」 

「ポータァ。これは僕がもたらした災いだ。あの黒竜を助けたばっかりに里に災いを呼んでしまった」

大粒の涙が溢れてくる。辛い。苦しい。深い後悔の念に押しやられて、リューフは深く自責を募らせた。

「しっかりしろ! 今、皆を助けられるのはお前しかいないんだろう? だったらやることは簡単だ。男だろ、剣を抜け」

 涙を拭って前を向く。妹と母の囚われたイスダルへ向かう。自分の罪は自分で晴らさなければならない。

「ここにいる奴らはみんな手練れだ。時期にルシオ団長も来る。あの人がいれば百人力だ」

 ポータァ達の他に、闇夜の一座が一挙に集結していた。曲刀使いのシルジェ。風のように走るスタリオン。矢の天才パクフォ。皆、亜人だ。強く頼もしい。イスダルに着くまでに仲間は漸増していくだろう。幾人もの人に背中を押され、リューフは前を向いた。


 美しいものばかりは集められた部屋で、それらを一日中眺めるのが好きだった。イスダルの皇子ロナは、その中でもお気に入り逸品をガラス瓶に集めていた。エルフの眼である。それも竜の火息で輝きを増した飛び切りのもの。

「なんて美しい蒼い瞳。真に心が洗われるようじゃ」

 純真無垢なこの感情こそ最も恐ろしいものだった。純真さゆえに悪気が無い。王子であるから権力も欲しいがままだ。まだ齢12歳にして、あらゆるものを欲しがった。虹孔雀の尾羽が欲しくて、100人もの兵士が、命を懸けて絶壁を登った。美しいチェスの駒が欲しくて、幾頭の剣虎の牙を抜いた。嵐の渦にのみ現れる瑠璃色の魚を、一目みたさに何隻もの船を沈没させた。見て触って飾り付ける。この世の全てが手に入ると思っている傲慢さと、それをかなえようと奔走する馬鹿な家臣がいた。権力欲しさに擦り寄る奴等の重要性は、まだわかっていなかったが、甲斐甲斐しく懸命に働く者には思う存分褒美をやった。税を納める民のことは、何も思わなかった。

 ロナが今より幼い頃に、王と王妃は死んでしまった。以降は一の重臣であるセイクリウッドが、政を示唆していた。セイクリウッドは頼もしい家臣であり、更に美しいものを見せてくれた。罪人の処刑である。神聖な神殿の奥で、陽の光に照らされながら首を撥ねる瞬間は、何度見ても精神を一新させてくれる。飛び散る赤い血も、煌めく刃も、あの時そのものが、輝いているようだった。今日も、召し物を濡らしたメイドの首を撥ねさせたばかりだった。

「セイクリウッド。今度はどんな美しいものを余にみせてくれるのじゃ?」

「そうですね、小さなものですが王子の好きな戦の絵のような戦争を近々見せられるかもしれません。でもその代りにこの書類に判を」

「わかった、わかった。美しいものの前に大量の書類を出すのが、お前の玉に傷じゃな。あのエルフのおなごはどうした?」

「塔の上の牢に捕らえています」

「あの娘は特別な匂いを感じる。丁重にもてなせ」

「御意」

 静々と下がるセイクリウッドを尻目に、またエルフの眼を眺める。

「逃がした竜がこんな光明をもたらすとは、いやはや世界は面白い」

 無邪気に笑う皇子は、思いを世界にはせた。


 ポータァは、四本の短剣を巧みに操り戦う戦闘スタイルだった。時に腱を裂き、飛刀し、喉笛を捌いた。一方リューフはというと、未だに人を殺すに至らなかった。精々腕や足を切りつけて手傷を負わせるばかりで、その姿にポータァも業を煮やしていた。

「リューフ!殺さなきゃこっちが殺されるぞ!」

「わかってる、わかってるさ!」

「憎め! こいつらはお前の里のエルフを何人も殺したんだぞ!」

 それでも手が汚れることが怖かった。昔、プラテナがいじめられていた頃、いじめっこに仕返しをしたことがあった。その時、帰ってきたリューフを見て、プラテナは涙を流した。

「いじめられていたのは私で兄様が痛かったわけじゃないでしょ? やられたことを仕返すなんていじめていた人と同じで乱暴なことよ」

 自分が病弱な妹に代わって、怒ったことなのにと釈然としなく、しばらくプラテナと口を利かなかったが、人を傷つけていてわかる。傷つける度に自分も痛いのだ。心優しいプラテナは、それを人一倍に感じたんだろう。イスダルの兵士は確かに憎かった。だが、優しい心が、それでもと言ってくるのだ。今は亡きフェルゲンが教えていた剣も、大切な誰かを守る剣だった。すると後ろから伏兵が現れた。不意を突かれた一座は、挟撃をまともに受けてしまった。

「くそっ一時撤退だ! 逃げるぞ、リューフ!」

 ポータァに腕を掴まれ、駆けだすリューフ。走る。走る。走る。息が切れても敵は追ってきた。森を抜けて目の前に広がっていたのは崖だった。

「しまった。行き止まりか……!」

追いつめられてポータァは咬牙切歯した。崖を背に八人の兵と対峙していた。

「リューフ、体を軽くする魔法をかけられるか?」

「出来るよ。ポータァ、僕も最後まで闘う!」

 魔法をかけた。体を軽くして素早く八人を倒すのだと思った。でもポータァはふっとニヒルな笑みを浮かべて、リューフを崖に突き飛ばした。

「ポータァ⁉ なにを⁉」

「お前はここで死んでいい奴じゃねぇ! 生きて、生きて、生き続けろ!」

 離れていく景色の中で、ポータァの闘う姿が遠くなる。

「ポータァ!」

 とうとうポータァの姿は見えなくなってしまった。


 気が付いたらリューフは、ベッドの上にいた。体を起こそうにも激痛で身動きが取れない。体には幾重にも包帯が巻かれていた。

「気が付いたかい?」

リューフのうめき声に、声をかけるものがいた。それは青色の装束を着た女のダークエルフだった。

「ここは?」

「あたしの家さ。樹の中をくり抜いた粗末な家だけどね。狩りの途中であんたが森の中で倒れているのを見つけてね。ここで介抱していたんだ」

「僕の! ……僕の他にケルフ族の青年はいませんでしたか?」

 生き別れたポータァを思い出して、リューフはダークエルフに聞いた。

「さてね、見つけたのはあんた一人きりさ。剣を抜いていたみたいだが人でも狩っていたのかい?」

 ダークエルフは、リューフの胸と背に手をやりゆっくりと起き上がらせてくれた。

「いえ、人に連れていかれた仲間を連れ戻すためにイスダルの兵と戦っていました。闇夜の一座の人たちと」

 闇夜の一座と聞いた途端、顔をしかめて舌を打つ。

「あの跳ねっ返りたちの一味か。助けて損をしたよ。見たところ新参だね。これじゃルシオの奴に恩も売れない」

 さっきまでの態度とは打って変わって、ダークエルフはぞんざいにリューフを扱った。

「ルシオ座長を知っているんですか?」

 名前を知っていると言うことは関係者なのか。リューフは恐る恐る聞いた。

「古くからの腐れ縁ってやつさ。あたしはジル。ハートシファの里を追放されたダークエルフさ」

「僕はモータムフの里のリューフと言います。助けていただいて感謝します」

 エルフであることは歓迎のようだった。

「いいんだよ、困ったときはお互い様さ。あたしも久しぶりにエルフと話せて嬉しい。でもあんたただのエルフじゃないね?」

 ジルはリューフの目を見て言った。

「はい、人との間に生まれたハーフエルフです」

「そうかい、それじゃぁ簡単な人生ではなかっただろうね」

 ジルは視線を逸らして、手拭を置けの水に浸した。

「そうですね、でも里の人は優しくしてくれる人もいました。今は散り散りになっているでしょうね」

「人が憎いかい?」

 手拭を絞りながら言う。

「憎いと思います。でも殺せませんでした」

 手拭をパンと弾くと、

「それは正しいということだよ、リューフ。殺しなんて本当はあってならないんだ」

 と、ジルは悲しげに言った。

「私も剣を使う。人を狩って13年になる。昔は花占いでもしている方がよっぽど似合っていたよ」

「人が憎いんですか?」

 立ち入った話だったが、リューフは聞いた。ジルは少し話したそうにしていたからかもしれない。

「一度殺してしまうとね。生き物を殺して喰らうのとは、ちょっと意味合いが変わってしまうんだ」

 ジルはリューフの体を拭きながら言った。

「辛いんですね」

「勘のいい子だ。そうさ、辛くて辛くて死にたくなる。でもどうしようもなく生きたくもなる。呪いだね、これは。一度殺したら剣に鮮血が纏わりつく。月光がいくら綺麗でもうまく眠れない日もある。昼下がりにお茶を飲んでいる時でさえ背筋を死霊が撫でる。もし殺さずにいられる人生があるなら喜んで引き返すね」

「僕は殺せずにいて大切な人を二度も失いました。殺せる強さが欲しいです」

「あんたみたいな優男には畠の桑でも握ってる方が様になるよ」

 ジルは鼻で笑った。

「僕に人を殺す剣を教えてください」

 そう言うと、ジルはリューフの正面に向き直った。

「……本気で言っているのかい?」

「はい」

「馬鹿が! 命を奪うことの残酷さくらいわかっているだろう⁉」

 吐き捨てるように言うが、リューフは目を逸らさなかった。

「それでも戦わなくちゃいけないです」

「……まずは傷を治しな、それに枕元の彼女に元気な姿を見せてやりな」

「セラ! 良かった、君も無事だったんだね」

 ジルに言われて枕元を見ると、セラが心配そうにこっちを見ていた。リューフの安堵にホッとしたのか、嬉しそうに飛びついてくる。

「片時も離れようとしないから苦労したよ。ネズミネコにしては良く懐いているね」

「今僕が親代わりなんです」

 セラの頭を撫ででいると、

「その子はそうは思っちゃいないと思うがね」

 と、ジルは嘆息した。

「ん? どうゆうことですか?」

「鈍い男は嫌いだよ、さっさと眠って明日に備えな」

 そう言ってジルは家の外に出て行った。


 三日経った。体は動くようになった。まだ引きずるようにしてだが、早くここを発ってポータァ達を探したかった。

「行くのかい?」

 入口の前にジルが立っていた。

「お世話になりました。もう行きます」

 項垂れながら歩くリューフの背中は、消える前の蝋燭のように、儚げでそれでも頼りなげに輝いていた。

「あ~もうっわかった!お前を鍛え直す」

 三日間、リューフはジルに頼み込んでいたが、ジルはそれを断り続けていた。だったら長居するのもいけないと思い、早くポータァ達を探そうと、リューフは出ていくことを決めたが、ジルが根負けをした。

「本当ですか!?」

「そこらでのたれ死んじゃ寝覚めが悪いからな」

 ジルはそっぽを向きながら髪を掻き上げた。

「ありがとうございます!」

 それから修練の日々は始まった。最低限の負傷を負わせて、戦いを終えるフェルゲンの闘い方を、捨てるように教え直された。いかに人を簡単に殺すための殺人殺法。フェルゲンも敵わぬほどに強かったが、ジルはその遥か上をいっていた。構えから太刀筋、体重移動に間合いの取り方まで厳しい指導は続いた。ジルの教えは、治りかけた傷が開きかける程に厳しく、あるいは絶妙に加減がされていた。午前中は剣の稽古、午後は精神統一と魔法の修練といった具合だった。傷の治りに合わせて修練は厳しさを増したが、その分、リューフは強くなった。

「あたしはね、人の子を育てたことがあるんだ」

 ジルは修行の合間にそう話し始めた。

「あんたと一緒で里のはずれに住んでいたあたしの家にある時、赤子が一人置き去りになっていた。顔を見て人の子だと分かった。もし人の子を育てたなんて里の者に知れたらあたしは追放され、子供は森に捨てられる。だが、健気に泣くあの子が愛おしくてね。独り身だったあたしはそれを里の者には知れぬように育てた。あいつバレたらまずいのに、すくすくと大きくなりやがって。いつの間にかあたしの背丈を超えていたな。大きくなったあの子は、あたしがそう育てられたのか、もう一人でも生きて行けるようになっていた。そして自分が母親と違う種族で、満足に外に出れないのを不満に思っていた。ある時、書置きがあってあの子が家を出て行った。何日待っていても戻ってくることはなかった。これが親離れってやつなのかと思い知った。寂しさが薄れてくるころ、里が人間の野盗に襲われた。そしてあたしはあの子と再会した。あの子は野盗の一味になって剣を振るっていた。あたしが育てたあの子が、仲間の命を奪ったんだ。あたしは発狂した。何日も声が枯れるまで叫んで髪を毟って、何度も死のうと思った。だが、あたしは剣を取った。それから野党の居所を突き止めて皆殺しにした。胸を突いてあたしの腕の中で死んでいくあの子の顔を見て、これがあたしの罪何だって思ったよ。最後の最後であの子は母さん。なんて呼ぶんだからほんと、嫌になっちまうよね。そしてあたしの肌は闇のように黒くなった」

 リューフはそれを聞いて何も言うことが出来なかった。声をかけられるほどに自分はこの人の悲しみを知らない。月の出た美しい夜のことだった。


リューフが、十体のゴーレムを一度に操れるようになってから、いつもと面持ちの違うジルに呼ばれて、水汲みで使う泉の前に来た。

「今から最後の修練を行う、これが済んだらお前を解き放つ」

「はい!」

「水の加護を受けて水面に立て。最後の修練は湖で行う」

「はい!」

 ジルは剣を抜いて、刃に映る自分を確かめると、鞘に収めた。二人とも泉に魔法をかけて、水面を歩く。真ん中あたりに来て二人は立ち止った。距離は五間ほど空いている。

「エルフたるもの常に魔法と共にあることを意識しろ。魔力とはなんだ?」

「石炭や化石のような長い年月をかけて星が作り出した資源と同じで、星に積み重なった森羅万象の力の理の根源のことです」

「魔法とはなんだ?」

「それらを一時的に借り入れる手段、方法の一つです。スペルを紡ぎ呪文を唱え、式を編み発動する、神秘の力です」

「それは人には操れない超常の力だ。お前はそれを本来究極の選択である殺生という、悪逆非道に使おうとしている。踏み出せばお前の肌は黒く荒みダークエルフとなるだろう。その覚悟はあるか?」

「あります、僕は闘います。背負ってみせます」

「ならばこれを誓いの儀とする。私が生きている限りお前はこの誓いを破ることは許されない」

「生涯をかけて誓います」

「よろしい。では修練を行う。構え!」

 リューフは剣を抜き、胸の前で構えた。ジルも抜いた剣の柄を引き、突きの構えを見せている。落葉した一枚の葉が、水面に着いた時、両者が水面を駆けた。水面の波紋がだんだんと近づく。一合目。ジルの突きをリューフが素早く躱した。一撃でジルの真剣さがわかった。殺気のこもった急所を狙う一撃だった。胴を狙って、リューフは横凪に剣を振った。ジルはそれを、前方に宙返りして躱した。振り向き様に首に目がけて剣が振るわれた。リューフは足元の水の魔法を弱めて、沈み込んで躱した。

「やるな、ならばこれならどうだ!」

 ジルは水面を蹴って距離を取ると同時にスペルを呟き、水の魔法でどこまでも伸びる手を作った。

「水は型に嵌めてやれば幾らだって形を変える。魔力の波動を掴め。噴出する魔力に名前を付ければ思うままに操れる」

 リューフは触手のような、水で出来た手を避けるべく、水面を疾走した。水面に立つ魔法と、水を自在に操る魔法。ジルは実に巧みに魔法を操作していた。このままではいずれ追いつかれる。リューフは闇の魔法を使って、伸びる触手を移し取った。

「湖が枯れるまで吸い取るつもりか? 甘いぞ!」

 ジルは魔法の威力を拡大させて、大きな津波を作り出した。津波がリューフを飲み込む。波が通り過ぎた後、リューフの姿はなかった。しかし、リューフは波にのまれたのではなかった。闇の衣の魔法でジルの背後に隠れていた。背後からの一撃。これは躱せないと思った。しかしジルは当然のように反応した。ジルの剣が深々とリューフの腕を貫く。

「戦法的には悪くない。しかし魔力の暗まし方がまだまだだ」

「……まだ!」

 リューフの闇の魔法は、ジルの津波の一部も隠していた。水の塊がジルに降り注ぐ。リューフは、ジルの魔法を逆手に取り、逆にジルの自由を奪った。しかし、魔力容量は、圧倒的にジルの方が上なので、拘束できたとて一瞬のことだった。その一瞬に全てを賭けた。ジルの首元に剣を突く。

「……どうした。突け!」

 リューフはジルの肌に当たる直前、剣を止めた。ジルは殺気の籠った眼差しを向けている。

「この修練はお前の甘さを戒めるものだぞ!踏み越えろ!優しい剣では人は殺せない!」

「……できません」

「……馬鹿が。この甘ったれ!」

 水の拘束が弾け飛んだ。魔力の波動にリューフは吹き飛ばされた。空中で体制を整え、水面に着地すると、遠目でもわかるジルの鬼の形相に足が戦いた。

「私を殺せるまでこの修練は終わらん。お前の覚悟はそんなものなのか⁉ 救うために殺すことを躊躇うな! 人間に捕らえられたエルフがどうなるかを想像しろ。嬲られ戯れにいたぶられ最後には殺されるのだぞ。お前の妹は思うだろうな、家畜の方がまだましだと。泣き喚いて助けを乞うても腑抜けの兄は来てはくれない。妹の元に辿り着く前に殺されては意味がないだろう。それともなにか、私が先に引導を渡してやろうか。不出来な弟子を世に放つこともないな。そうしよう」

 さっきとは比べられないほどにジルの魔力が迸る。水面が波打っている。ジルは剣に水を纏わせた。水の太刀。広域に伸びる射程に逃げ場はない。ジルは本気だった。リューフは怯まないように自分を鼓舞すると、滴る血を媒介に、自分に似せた幾体もの分身を作った。高度な魔法操作に、リューフは悪戦苦闘したが、今度は気取られないように、自分を含めて魔力の流れを別々にした。ジルが猛然と振るう水の太刀に、分身たちは断ち切られた。だが、分身は例え断ち切られようとも、断面を溶け合わせ虚像を再構築出来る。足りない魔力量は知恵で補う。虚と実を交えた総攻撃。数対力のぶつかり合いだと思った。だが、足りなかったのはリューフの想像力だった。幾重にも重ねられた分身たちの刃がジルの紙一重のところで止まっていた。何故か。ジルが的確に本体のリューフの腹に深々と拳を突きたてたからだ。

「かはっ」

 腹にあった空気が皆外に出る。

「虚像を作るのはいい策だったが、真似るなら滴る血の一滴も正確に模写しろ」

 余りの一撃にリューフは立っていられなくなった。辛うじて魔力を水面に流し、沈まないようにするのがやっとだった。

「馬鹿弟子が。お前の甘さは死んでも治らなそうだな。失ってからでは遅いんだ。怒れ、リューフ。憎しみの炎に焼かれろ。そうでなければ殺意の刃にお前は絡め取られてしまう」

「恩義のある先生に憎しみを抱くことがどうしても出来ません。斬られれば痛い、傷を癒すには痛みに耐えなければなりません。そして死は虚無です、何一つ残りません。人を殺した魂がどこに向かうかを僕は里で教わりました。剣を使う時に最初に教わる教えです。憎しみで振られた剣は魂を穢し地獄へ落とします。そこで死者の蔓延る戦場で、決して終わることのない戦いを強いられ、永遠に戦い続けるそうです。天国にいったものとの再会は二度と叶いません。それが僕は怖い」

「……もういい。お前は捕らえられたエルフたちの惨状を目にしないと分からないのだろう。破門だ。荷物を纏めて去れ。二度と私の前に姿を現すな」

 リューフはまだ幼かった。心が潔癖で非情になりきれない。ジルは剣が血の油で斬れなくなるほどに人を殺してきた。そうせずにはいられなかったからだ。責任と運命がそう定まっていたと半ば諦めにも似た感情を胸中に満たしていなくては辛すぎる。確かにこんなやりきれない思いを抱えずに済むならその方が良い。しかしその道がどれほど過酷なものか。不殺の志など、絶えず戦や殺しが蔓延っている時代に、すぐに呑みこまれてしまうだろう。リューフの中に光はある。しかしその光はか弱く未熟で儚いものだ。ジルは剣を教えたことを後悔した。いっそ戦って死んでしまった方が、楽と思い知る日がリューフには必ず来る。その時、負の波動に呑み込まれない強さがあれば。

 荷物を纏めたリューフが深く頭を下げて礼をした。ジルは決別のつもりでその頭に短刀を飛刀した。微かな殺気にリューフは、ハッとして身を翻した。別れの挨拶など不用。そうジルは告げていた。リューフは悲しい気持ちで胸がいっぱいになったが、もう一度礼をしてジルの元を去った。

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