第41話 悪を創り出すこと
自分にとって、絶対的「悪の存在」を創り出すこと。会社に勤めていた時も、従業員の多くに、絶対的悪の存在はいた。例えば、無理難題を短納期で要求してくる先輩や上司など。
会社に勤めていた時の「悪の存在」は、多くの人にとっての「悪の存在」であり、その悪に対して、みんなで一致団結してやっつけよう、というより、頑張ってぎゃふんと言わせてやろう…など、そのような存在であった。
多くの人にとっての「悪の存在」は、その悪に対峙しようと、みんなで一致団結する意味で、ある意味、良い存在であったのではないかと、今になって思う。
私は、昔からオヤジを憎んでいた。高校時代から今に至るまで、誰のせいでこんなに苦しい生活をしなければならないんだ、この年齢になっても不安定で不安な生活を送る事になっているのは、オヤジのせいだ、全部アイツのせいなのだ!そう思って何十年も生活しているのは事実だ。
でも、最近、自身の精神的不安定な状態が長期化していると、別の考え方が生まれてきた。あえて、自分自身のために、「悪の存在」を常に創り出していなければならなかったのではないかと。
自分にとっての「悪の存在」を創り出すことで、オレは悪くない!悪くないんだ!だから、オレはこの世に存在して良いのだ!
私は弱い。絶対的悪に対しての憎悪の念を、自分自身が生きることを正当化して今まで生きてきた。むしろ、その憎悪の念をバネにして、自分自身を守って、逃げていたのではないか。
自分自身の卑怯さに、気づいた。全てを悪の存在としてのオヤジのせいにして、絶対悪として憎しみを持つ事で、自分自身を守っていたのだ。結局、自分自身の事しか考えていなかった。社会生活において関係を持っている周囲の人の事も考えているつもりだったが、死にたい!存在する意味がない!自分自身の事をそう思っていながら、自分自身の事を最優先、いや、むしろ自分自身の事しか考えていない、それは、「逃げ」であり、悪の存在を創り出すことで自身の正当化と、逃避の対象にしていたのであった、と。
私はズルい。卑怯だ。絶対的悪の存在であるオヤジがいなくなったら、たぶん自身の存在価値を見出すことはできないであろう。
若いうちは、良くも悪くも「ライバル」という存在で、自分自身を鼓舞し、社会に存在していることの正当化ができていたと、振り返ってみると、思う。
しかし、今、頭に来ることはたくさんあるが、障害を持ちつつ何十年も生きることに固執していた父親。年老いて、あと何年一緒にいる事ができるのか。父親がいなくなったことを考えると、自分はその後、社会にいる事の意味を見出す事ができるだろうか?
私自身も、両親も、歳をとった。時間というものは、物理学的にも一体なんであるのか、解明されていない。この世界は空間3次元と時間1次元の、時空4次元世界である。時間はその一つの次元でしかない。
時は流れる。それを早いと思うか、適度と思うか、遅いと思うか。この文書を書いている時間も、ひとつキーをタイピングしている時間も、もう戻れない過去であること。私は、この歳になると、とにかく時間の経過が早く感じる。
そう思うが故に、今現在のことに集中して先のことは考えない。そういう生き方にしたいと思っているのに、今その一瞬一瞬の積み重ねが、1分、1時間、そして1年となっていくことを感じてしまった。
私にとって、絶対的悪の存在である父親。一緒に暮らすのは、未だに辛く苦しいが、それがいつまで続くのか。続かなくなったらどうなってしまうのか。その思いに、苦しめられている。
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