第38話 慢心

 日本の暑さはひどい。そう気づいたのは、転職して炎天下での仕事に就くようになってからだ。工場内での仕事もあるが、結露の問題があるためにエアコンは無く、唸る機械からは熱が噴き出し、さらに暑さを倍増させてくれる。

 給料は安い、労働環境もお世辞にもよくない。中小企業なので一般的に言われる「パワハラ」なんてものは日常茶飯事。私がこの会社に転職して約半年。総従業員数30数名しかいないのに、既に7人が退職している。

 私がこの会社に転職したのは、自宅から近いから。そして、残業はない、との話だったからだ。両親も日に日に年老いて小さくなっていく。自分自身もいつまで動けるか分からない。難病遺伝子を組み込んだ、今やほぼ寝たきりの父親には恨みしかなかったが、最近は、自分自身が生を受けた事に対し、感謝をする事も多くなってきた。せっかく運命で家族になった訳なので、少しでも一緒にいる時間を増やしたい気持ちも強くなったと気づいた。

 この夏、炎天下での仕事であるし、とにかくマウントを取る方々が多い会社であるし、2代目婿社長は天皇だし…。結局、何をやっても叱られるのだが、パソコンを使える人もほとんどいないので、現場作業が終わってからは、社長用のプレゼンテーション資料を作成したり、品質管理もない会社なので、検査をしたり。定時で帰れることは無い。そして、誰からも感謝もされない。いつか辞めてやる、そう動き出していた。慢心だった。

 今まで、年間休日120日以上、曲がりなりにも東証一部上場企業でしか働いてこなかった自分自身の、慢心を痛感する出来事があった。

 夏場の現場で、入社時期は私とほぼ一緒だったシングルマザーの社員さんと作業する事があった。給料も少ない、ものすごく汚れる作業。そして男でも嫌がるような重量物を扱うのだが、その小柄な女性は黙々と、むしろ元気に仕事をしていた。

 「みんな不満しか言わないし結構辞めていく人が多い会社だけど、なんでそんなに頑張れるの?」との私の問いに、思いがけない言葉が返ってきた。

 今まで派遣社員でしか採用されずに働けなかったけど、この会社で正社員になる事ができ、数万円でも夏に賞与を貰えたことが、嬉しくて堪らないとの事だった。

 私自身の慢心を、痛感する話だった。コロナ禍で働ける感謝、少ない給料、休日も年間100日もない。不満しか感じていなかった自分自身が、恥ずかしかった。

 ほどんどの日本国民は、このような中小零細企業に従事している。賞与が貰えて当たり前、春闘だとか、ライフワークバランスだとか、そんなことを騒いでいるのは、約2割しかいない、選ばれたエリートな人達だ。

 私は、今は、全てを流れに任せている。やれと言われればやる、やめろ言われればやらない。しかし、やる場合は一生懸命、汗だくで頑張る。身体の限界が来るまで、倒れるまで、やる。人間、メンタルを除けば案外頑丈なもので、もう死にそうだ、と思っても、倒れることは無さそうだ。そういった事にも、気づけた。

 今まで、殆どそのような額に汗して働く経験をしてこなかった私に、本当に良い勉強の機会を与えてくれたと、この会社に感謝している。そして、不満しか感じなかったやさぐれた心、そして己の慢心、漫然と過ごしていた自分自身の傲慢さを、恥ずかしく思う。

 このような経験を知る事なく死んでいたら、それはそれで幸せな人生なのかもしれないが、私は、重要な事を学んだと感じている。

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