第37話 遺言

 母も気丈に振舞ってくれているが、時折、「お前には悪い事をした、あんな人と結婚しなければ、お前は普通に幸せな人生を送れたはずなのに…」。そんなことを口に出すようになってきた。

 そんなことは無い、謝らなければならないのは、私の方だ。こうなる事が予測で来ていたにも拘らず、私は、何もできなかった。考える事も出来なかった。現実を直視できなかった。

 もし、きちんと現実を直視し、身体が動かなくなっても、話す事ができなくなっても、「生きる術」を身につけておくべきだったのだ。

 葉月家の血統である従兄妹も、脊髄小脳変性症を発症している。従兄妹は皆結婚し、子供がいるが、正直、私は、私自身、父から受けたようなストレスや恐怖を子供に味わわせることは絶対にしたくないと思っていた。私が発症するのは、まず間違いないだろう。私は、この劣悪遺伝子を、私の代で、終わりにする。それだけは若い頃から決心していた事だ。

 それこそ、孫を見せてあげる事ができなかった。母には悪い事をした。本当に、ごめんなさい。そして、私を生み、育ててくれて、ありがとう。

 両親を看取るまで、私の身体は元気に動いていなければならない。それは神のみぞ知る世界かも知れないが、私自身、何としても、まだ発症していると認めたくはない。

 そして両親を看取った後、私がこの難病遺伝子を発症したら、自分自身の身体が動けるうちに、自死をする。他人様に迷惑を掛けない自死など無いが、生きて迷惑をかけ、皆さんの血税を、治療法もない難病に費やす事は許されるべき事ではない。それまでに、安楽死という選択が、日本でもできればそれに越したことは無いのだが…。

 これ以上、人に迷惑を掛けないよう、終活を始めている。

 

 若いうちは特に、この忌まわしい家系を憎んだ。今でも一切憎んでいないかと言えば嘘になるが、自分に人生を考える時間を与えてくれたのも事実だ。何事もなく、平和に生きたかったが、何事もない人の方が少ないのではないか。気丈に振舞っている人でも、何かしら、人に言わない(言えない)だけで、本当に平穏に暮らせている人の方が少ないのではないだろうか。私の今までの人生で出会ってきた人の中には、そういう人もいた。


 まず、両親に感謝します。ありがとう。そしてごめんなさい。

 そして、こんな状態の私と仲良くしてくれた方にも、本当に感謝します。ありがとう、そしてごめんなさい。

 やり残したことは、たくさんあるけれども、すべてやれる訳はないし、今、仮に隕石が落ちてきて、私を直撃し、この瞬間に死んだとしても、何ら大きな後悔は無い。

 ただ、親孝行ができなかったのが、一番悔やまれる。祖父母も私が高校生の時には他界してしまったので、祖父母孝行もできなかった。

 そんなの、自己満足だろ!と言われてしまうかもしれないけれど、やはり、親や先祖は私の命の源であり、一緒に笑って、美味しいものを食べて、ただただ、平穏無事に日々暮らすことができれば、それが一番の孝行だったのかも知れない。


 若い人は、両親が若いうちにいろいろ連れて行ってあげてください。人にもよるでしょうが、65歳を過ぎると、親はめっきり体力も無くなり、出かける事も難しくなってきます。

 おじいちゃんおばあちゃんがまだご健在なら、会いに行ってあげてください。孫の元気な姿を見るのが、きっと、一番の孝行だから…。


 Xデーがいつになるか分かりませんが、今は、ただただ、ごめんなさい、許してください、愛しています、そして、「ありがとう」。

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