第36話 振り返り

 人生を振り返ってみて。

 思えば、何かしら人の役に立ちたい、という想いは持っていたのだと思う。それは、家族ではなく、他人に向けてのモノであった。

 父親の事は、まだ健康な時から偏屈な性格であったので、そんなに好きでもなかった記憶がある。難病になってからは、本当に恨み、忌み嫌っていた。この人のために労力を使いたくない。目を背けたい。そう思って、家族ではない、他の人の役に立ちたいという気持ちになったのかも知れない。

 しかし、家族の不幸は自分に降りかかってくる。これは、他人に対しても同じことだが、人の不幸を願っているようでは、そのしっぺ返しは結局のところ、自分に返ってくるのだ。ことのほか、家族の不幸は、ダイレクトに自分の不幸に直結する。お金の面でも、精神面でも、辛くなるのは自分自身だ。今思えば、もっと優しく接してあげれば良かったと思う。そうすれば、万が一にも、もう少し良好な親子関係が築けたのかも知れない。

 他人に対しても不幸を祈ると、周り周って自分に返ってくる。特に会社で上司に腹が立ったとしても、その人が居なくなればよい(タヒれ!)と願っても、イライラしている間、ずっと自分自身が疲れてしまう。本当にタヒってしまったら、その仕事や責任が自分に降りかかる事もある。

 どうしても許せない事はある。でも、それを毎日ずっと不幸を願うことに費やすのは、私はやめた。どうしても許せない人は、1人いる。でも、あまり考えない。

 自己啓発の本などには、「自分自身が幸せになることが、その人にとっての最大の復讐だ!」と目にすることもあるが、その労力も、残り時間の少ない私から言わせれば、疲れる。

 自分が死ぬ直前まで、その人を恨んでいるかどうか。大体どうでも良くなっているのではないか?それでも、アイツだけには復讐を、と思うのであれば、その時行動すればよい。


 私は、特に専門的なスキルを持っていなかったので、モノづくりで人の役に立ちたい、と思ってメーカーに就職した。しかし、自分自身を大切にできない人間が、他人の喜びなど考えること自体、おこがましいというか、無理な話だった。自己犠牲の上に成り立つ、他の人への貢献などあり得ない。自分が壊れてしまっては、それこそ周囲の人の迷惑になるのだから。


 前職では精神という取り返しのつかない健康を失ったが、その後、落ち着いてきてからは生き方を完全に変える事ができた。これは、不幸中の幸いと言えるのか分からないが、大きなきっかけだった。

 今を生きる。今この瞬間に死んでも、一切の後悔が無いと言えば噓になるが、まあまあ良い人生だったなぁ。そう思えるような日々を送る事ができた。

 あとは、両親を看取るまで、私の健康が維持されること、難病遺伝子が完全に発動しない事を祈るのみだ。


 世の中は矛盾だからけ。それを真に受けていたら自分が壊れてしまう。自分なりに落としどころをつけて納得するしかない。

 「自分らしく」、「自分らしさ」…曲げられないポリシーは残し、あまりこだわらないようにする。がんじがらめになっては、自分自身も疲れる。周囲の人も、難しい人だと嫌うかもしれない。

 人に嫌われるのを恐れる。大体の人は、そうだと思う。「協調性の有無」など、私の時代には通知表に書かれていた。社会に出る以上、ある程度の協調性は大切だ。企業に属するのであれば、一人で仕事をするわけではない。コミュニケーションも必要になる。

 そこで、「誰からも嫌われないように」と八方美人になろうとする。そして、無理をして病むこともある。

 誰からも嫌われない、は、あり得ない。ある一定数の人は、必ず嫌ってくる。八方美人にいろいろな人に気を遣う。その行動自体を面白く思わない人もいる。「パレートの法則」。8割2割の法則とも、2-6-2の法則とも呼ばれる。例えば「社会の富の8割は、2割の富裕層によって占められている」。「社会の富の8割(6割上位、2割中位・合計8割)は、2割の富裕層によって占められる」。人間関係も同様である。全員に好かれようとしても、最大で8割の人は行為を持ってくれるが、2割は嫌う人もいる。

 出る杭は打たれる、出すぎる杭は打たれない、と聞く事もあるが、よほどのメンタルと能力がある人でない限り、出すぎる杭として、自分自身がインフルエンサーとなり、自分の主張を頑として曲げずに生きることはできない。そういう人は、自分が嫌われる事など、恐れもしないだろうし、何とでも言ってろ、くらいに思うくらいか、それすらも気にしないか、だろう。


 「誰からも嫌われない人生は無い」


 今まで根を詰めてきたけど、少しでも楽に、楽しく生きる。そうしてもいいんだ。そう思えるようになった。それが闘病で得た唯一の良い考え方なのかも知れない。

 生まれてからの一生を振り返ったら、それは辛い思いの方が多いだろう。でも死ぬ瞬間に、「まあ、そんなに悪い人生でもなかったなぁ」、と思えれば、それで良いのではないだろうか、と考えるようになった。

 明石家さんまさんの言葉で、「生まれてきた時は丸裸、死ぬときにパンツ1枚でも履いていればもうけもん」というような内容を聞いたことがある。全くその通りだなぁ、と、共感した。

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