第29話 終わりの始まり

 2020年。災難な年だ。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の全世界的蔓延、九州各地に台風などの自然災害、東京オリンピックの延期(恐らく2021年も開催されないだろう)。

 SNSを中心として拡散された都市伝説では、大友克洋氏の漫画「AKIRA」(1982年~週刊ヤングマガジン連載:講談社)がまさに現在の世界状況を予言していると震撼しているようだ。

 葉月家においても、2020年は、終わりの始まりの年となった。

 まず、父親は完全に不動状態となった。口だけは憎まれ口だけは叩く。家族の疲労困憊は限界に達している。そして、母親も、長きにわたる介護、そして父の完全不動状態により、完全に付きっきりの介護となった。

 息抜きをする時間もない、買い物に行くこともままならない、相当なストレスを抱えていたのだろう。

 母親も、先日、原因不明の目眩と嘔吐に襲われ、緊急入院となった。新型コロナウイルスによるものではなく、疲労によるものだったようだ。病院は新型コロナ対策で、入院病棟も「ハザード4」と大きく張り紙がしてある。

 母の病状は、今は落ち着き、家で安静にするようになったが、父親の態度は変わらない。入院の際も、開口一番に発した言葉が、「俺のトイレや飯はどうなるんだ!」「早くケアマネージャーに連絡して施設を手配させろ!」

 家で安静にしていなければならない母も、父の怒号で、介護せざるを得ない状況だ。一番大変なのは、トイレだ。重い体を車いすに乗せてトイレに連れて行く。そこからの排泄行為から何から何まで、父は何一つ動けず、できないのだ。私も数回やったことがあるが、大変だ。しかし、父は私が介護することを拒絶する。男のプライドなのだろうか。

 母の病気を心配する気配はない。父親は、あんな状態でも、生きることへの執着は、私たちよりも強い。何をするわけでも無い。何をしたいわけでも無い。何ができるでもない。寝たきり状態であっても、人間というものは、そこまでして生きたいのだろうか?まわりの私たちが、死にたくなる気持ちだ。

 介護施設に入れるにしても、まずはショートステイ。1日1万円はしないが、近い金額は掛かる。

 特別養護老人ホーム。こちらも色々と探しているが、空きが出たとしても、個室では、私の父の場合、月に26~30万円近くかかる。特別養護老人ホームで、だ。要介護4~5となると、すべて施設の人に頼らざるを得ない。フルオプション価格となってしまうのだ。

 4人部屋でも、月16~20万円。ケアマネージャーの話では、4人部屋になると、認知症の部屋になると言う。意識がはっきりしている葉月父には、まだ可哀そうであると、勧めない。それを聞いている父親本人も、当然嫌がる。

 父は、43歳で脊髄小脳変性症を発症、50歳でリタイア。以後、少し動ける状態であっても、何一つ、することはなかった。ただ、テレビを見るだけ、そして証券会社や銀行の投資信託の電話が掛かってきては勝手に契約し、知識がないのだから当然の如く、元本割れ。自分自身の老後の資産を食い潰していた。

 正直、特別養護老人ホームの4人部屋であっても、我が家には支払う金銭的余裕は無い。かといって、このまま在宅介護を継続させることも不可能だ。そして私自身も、会社でのストレスに加え、家でも心が休まることが無い。仕事だって、コロナ不景気だ。休務ばかり、仕事も押し付けあい。人間的な仕事はできない。うつ病再発の予兆を感じる。毎日、吐いている。

 年齢的にも、私自身、難病が発症してもおかしくない年齢となった不安も重なる。誰も助けてはくれない。唯一思いつく方法としては、一家離散、自己破産。そして父親は国の援助で施設に入れてもらう。

 国の援助すなわち皆さんの血税だ。自己破産して生活補助を受けたとしても、それも皆さんの血税から賄われる事になる。罪悪感で踏み切る決意は、まだできない。

 いろいろと県や市、ケアマネージャーなどに相談しても、最適な答えは無い。どこかで我慢、いや、落としどころを決めないと、生きることはできない。

 

 人間として生まれたからには、幸せに人生を終わらせたかった。そう思うのが普通だろう。しかし、生きることは、やはり苦悩の連続であり、それを乗り切ると、幸せが待っているかというと、そうとも言い切れないと感じてきた。


 統計的には、男性の寿命は81.41歳、女性は87.45歳(2019年)。これを基準として考えて、あと何年介護が続くか、それにかかる費用はどれくらいか、算定する方法もあるが、全く以て根拠がない。あくまで、統計の話であり、計算通りに行くわけがない。

 父の性格だ。生きる事に関する執着は人一倍凄い。健康食品も自分一人で食べている。一例では、我々は安物の牛乳でも、父はカルシウムたっぷりの高い牛乳を要求して飲んでいる。その他、数えきれないほど、健康には気を遣っている。難病以外の物理的な体の健康には人一倍気を遣い、長生き生活を送っている。

 何しろ、父はストレスを感じない人だ。人間、ストレスが無いと120歳までは生きることができると聞く。

 私や母の方が、先に死んでしまうのではないか。その不安がよぎる。介護というものは、どうにもストレスがたまるものだ。

 我が家は、父の性格で親戚からは勘当されている状態、私も兄妹も居ない。相談できる人も居なければ、介護分担もできない。まあ、親戚や兄弟がいても、別家庭を持った時点で他人だ、という話も聞くが。

 介護者がいろいろと抱え込んでしまって、おかしくなってしまうのは良く聞く話であり、良くわかる。身を持って体験している。

 終わりの始まり。2020年はまさに、その年となった。

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