第24話 友

 長期間にわたる休職の間、完全に行き場を失っていた時、助けてくれたのは、友であった。私はこのような性格だ。友などほとんどいない。ただ、少しの人数であっても、友は友であった。

 最も私を助けてくれたのは、高校時代の友だ。私にとって高校の時は、黒歴史、暗黒時代であったが、部活が一緒だった友がいた。

 当時、携帯電話が普及していない狭間の時代であったので、連絡など一切取れる状態では無かったが、たまたま、彼の会社が出展していた展示会に、私(元気だった時)がその展示会に見学に行った際に、偶然にも再会したことがきっかけだった。

 それからは、SNSなどでたまに連絡をとったりした。彼は社長なので、忙しいのに、私が休職し、その後病状が悪化してからは、毎日のようにLINEをくれたり、休みの日には、海に、車で連れて行ってくれたりもした。

 彼は、私の父の病の事も知っていたので、家に居るばかりでは、それこそ気が紛れることが無いと、気を遣ってくれていた。

 彼は仏法にも造詣がある人だったので、いろいろな話を聞かせてくれた。私は、宗教の類は一切やっていないし、初詣に行く程度の、本当に、日本人の無宗教を代表するような人間だ。

 しかし、勉強になった。やはり太古の昔から、人は悩み、苦しみ、そこで様々な考えが生まれたのだろう。今の世のように、疫病や飢饉など、自分は何のために生まれてきたのか、苦しむために生まれてきたのだろうか…そのような考えは、昨日今日生まれた訳ではない。昔の方が、もっともっと厳しかったはずだ。

 もう動けない、私がそんな状態の時も、彼は毎日のようにSNSで励ましてくれた。彼の存在も、居なければ今の私の存在も無かっただろう。

 

 友とは、不思議なものだ。つい最近までつるんでいた仲間と思っていた人は、いざ私が精神的に病んだと聞くと、一目散に去っていった。

 仕方ない、気味が悪いだろうし、特に職場の仲間となると、まだあいつと関わっているのか、という目でも見られるのだろう。

 昔の友は、やっぱり、とても大切だ。私は、たまたま高校自体の友人と再会した事、そしてSNSの普及に助けられた。

 この友との再会は、縁、というか、私を助けてくれる、何か必然的なものがあったのではないか、と感じる程であった。

 不思議な事はある。そして、悪い事ばかりではない。私は宗教の類は未だに未知の領域であるが、悪い意味ではなく、私は生かされている、いや、生かせてもらっている、そう思った。

 運命と宿命。古来中国でも、姓名判断による改名などにより、運命を変えることはできる。しかし、宿命は変えることはできない。

 この宿命を、いかに自分のものとして、乗り越えられるか、否か。それが生涯、私に課せられた宿題のように、今は感じている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る