第21話 「オランダへようこそ」

 私は復職できず、病状は悪化の一途だった。唯一、会社で私に理解を示してくれた恩人がいる。私が中途入社でこの会社に入った時、最初にお世話になった方だ。

 会社に内緒で、メールをしてくれたり、陰で週一ペースで会ってくれた。年配の方だ。この会社の表と裏をすべて知っている人。そして、こうやって潰れていく人を多く見てきた人だ。

 出掛ける気力もない自分の病状ではあったが、その恩人と話をしているだけで、「社会と繋がっている」と思えた。家や病院だけでは、社会との繋がりは感じない。


 その恩人は、わざわざ、Wordで、「オランダへようこそ」をタイピングして、印刷して私に渡してくれた。

 「オランダへようこそ」。知っている方はご存じの通り、アメリカ人作家のエミリー・パール・キングスレイによって1987年に書かれた、「障がいのある子を育てる」ということについてのエッセイだ。

 日本でも、2017年放送のテレビドラマ「コウノドリ(2nd season)」で話題にもなった詩であると思う。

 私は、この恩人に心から感謝した。そして、その印刷してくれた紙を、母にも見せた。泣いていた。この歳で、泣かせてしまったが、

 「会社にこんな良い人が、たった一人でもいてくれて、良かったじゃない…」

 全くその通りだ。感謝しかなかった…。その恩人がいなければ、私は今、ここに存在しているか、分からない。



        「オランダへようこそ(原文・日本語訳)」


私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と聞かれる事があります。


そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、


それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。


赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。


例えば、旅先はイタリア。山ほどガイドブックを買い込み、楽しい計画を立てる。


コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語も


覚えるかもしれない。とてもワクワクします。


そして、何か月も待ち望んだその日がついにやってきます。


荷物を積み込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。


そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。


「オランダへようこそ!」


「オランダ!?」


「オランダってどういうこと??私は、イタリア行きの手続きをし、イタリアにいる


はずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」


でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここ


にいなくてはなりません。ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよご


れた嫌な場所につれてこられてきた訳ではないということ。


ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。


だから、あなたは新しいガイドブックを買いにかなくちゃ。それから、今まで知らな


かった新しい言葉を覚えないとね。そうすればきっと、これまであったことのない人


たちとの新しい出会いがあるはず。


ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。


イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもし


れない。


でも、


しばらくそこにいて、呼吸を整えて、まわりを見渡してみると、オランダには風車が


あり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気づくはず。


でも、


まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。


そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。


きっと、あなたはこの先ずっと「私もイタリアに行くはずだった。そのつもりだった


のに」と、言うのでしょう。


心の痛みは決して、決して、消えることはありません。だって、失った夢はあまりに


大きすぎるから。


でも、


イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴ら


しさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。



作:エミリー・パール・キングスリー/ 訳:伊波貴美子






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