第18話 再犯への道…社会人大学院

 仕事は忙しかった。でも、それ以上に、働けることが嬉しかった。そして、またみんなと同じ土俵に立ちたいと思ってしまった。


「みんなと同じになる必要はないのに…」


 その頃は、そのような思考に至らなかった。


 ちょっとでも休職した遅れを取り戻そう、会社に貢献できるように働こう、サラリーマンとしては、当然の思いと焦りだったのかもしれない。

 今になって思えば、一番致命的だったのは、夜間土日の社会人大学院に通った事だ。経営の事など、勉強をしたかったとの思いからだった。

 直属の上司には相談し、ある程度の仕事の調整をしてもらう事もあった。当然、会社指示ではないので、自費で、自己責任で、業務に支障を起こさない事、これは念を押された。

 仕事は忙しい、そのあとに夜学。大学院のレポートは、それはもう社会人向けなので、かなりきちんとしたものを仕上げなければならない。周りは、誰もが聞いたことのある有名企業の社員さんや管理職の方、はたまた社長さんまで。

 この学びが無ければ、当然、一生お目にかかれない人達ばかりで、その時は大変刺激的に学んでいた。夜もレポートでさらに睡眠時間は無くなった。

 振り返ってみても、色々な方との交流、ディスカッションは有意義であったが、とてもキツイという思いが一番だ。今だったら、絶対にやっていない。やれない。


 そして2年間学び、無事、社会人大学院を修了。しかし、その事は、会社の人から見たら、目の上のタンコブ以外の、何物でもなかったと分かった。

 会社での立ち位置は、さらに厳しいものとなった。会社の力になれれば、と学んだはずであるのに、何ひとつ、役立つことは無かった。言い換えれば、発言させてもらえなくなった。

 もし、「ここをこうやったら効率が上がりませんか?」などと言おうものなら、「だったらやって見せてみろよ、この病人が!」

 罵声が飛ぶことも多々。次第に、自分でも、精神状態がまた悪くなってきている事に気づいた。

 体の調子が悪くなると、「ヒポコン」のような症状となった。自分は不治の病なのではないか?死ぬのではないか?

 ※ヒポコン=ヒポコンドリー性基調者

 (自分が不治の病であるという妄想に取りつかれる病気)


 全く周りが見えなくなった。父母の介護どころか、自分自身の面倒も、また看る事が出来なくなった。

 そして、極めつけは、この状態でのパワーハラスメント。K課長の失態の責任を、すべて押し付けられて、取らされる事となった。

 「コイツは精神病で休んでいたので、このようなミスをしたのです。管理が行き届いておりませんでした。申し訳ございません。」

 平然と開き直るK課長。


 私は何もやっていない。むしろ、無謀なK課長の失態を、営業の人に連れられて、代わりに謝罪していた。

 そして、とうとう、K課長の不良商品販売が関西地区まで広がり、それを電話口で受けた私は、会社で気絶してしまった。救急搬送されてしまった。

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