第16話 初犯から再犯への道

 最初、私がうつ病診断されたことはショックであった。また一つ、不安要素というか、明らかなる病気が追加されたことになった。

 一生、投薬治療を行うのか…。最初の休職期間中に感じたのは、自身の病気の症状の心配ではなく、今後の心配だった。うつ病の診察は、健康保険が使えると言っても、普通の風邪などと違い、やはりそこそこの治療費がかかる。そして、薬もそこそこ高い。

 薬も、一か月分などと処方される訳ではなく、やはり医師との対面診察を月に数回行うことにより、私の処方された薬の場合、2週間分しか処方されなかった。

 

 でも、「最初」の休職では、その程度のお金の心配しかしていなかった。一生これだけの治療費が掛かるのか、早く復職して収入を得なければならない。自分だけではない。両親の年金だって、国が65歳になってから支給にすれば多少は多く貰える、という政策をやった時期と重なる。

 父親はもちろん50歳で仕事を辞めて、生活に支障の出る障害になっているので、

60歳で支給してもらうようになった。しかし、定年まで勤めていないので、その額は一桁万円、障害年金を合わせても、両親が暮らせる金額ではなかった。

 せっかく実家に帰ってきたのに、私は何をやっているのだ。親の面倒を見るどころか、親に面倒を見てもらう病気になってしまった…。

 とにかく焦っていた。インターネットからいろいろな本で、うつ病について調べまくった。しかし、信憑性のある情報は、想像以上に少なかった。

 どう考えても、今の診察、西洋医学での投薬治療しか、ない。寛解?まで時間はかかるが、確実なのは、治療を続けるしかない。


 しかし、まだ、その時はうつ病の本当の恐ろしさを知らなかった。


 「最初」の休職は、約半年だった。自分自身も、過労による疲れが抜けたせいか、働ける気分になった。むしろ、働かないと落ち着かない状態だった。時間が無くてやれなかった事は休職期間中にできた。映画鑑賞や秋葉原、神保町散策、聖地巡礼も楽しめた。

 当時の主治医からも、復職しても大丈夫、と診断書を貰い、会社に提出、復帰となった。だが、会社はまだメンタル不調になった社員を受け入れる態勢は整っていなかった。事実、会社にはメンタル不調の社員は、私の知る限りでも十人以上はいたが、どの人も現役バリバリだった人がこの部署に?という窓際に追いやられていた。

 今でこそ、大手広告代理店の過労自殺で「働き方改革」という名ばかり政策が進められているが、当時は名ばかりでも、そのような動きは無かった。

 まさに「腫れ物」。会社辞めてくれればよかったのに。そのような空気はひしひしと感じた。

 そして、その空気と、これから挽回せねば、という焦りが、その後の人生を大きく狂わせた。それは、現在にも至る。

 

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