第13話 第一の病

 リーマンショック後は、とにかく、我武者羅に働いた。どうして、という理由もないのだが、他の同僚、上司、皆、忙しかったからだ。

 不景気で製品は売れない現状の中、上層部は、すぐに新商品を開発すれば、経営を立ち直せると判断したのだろう。

 しかし、二回のリストラで、人はかなり減ってしまった。しかも優秀な人ほど、早くこの会社の本質を見抜いて辞めていた。残った私たちは、同じことをするにも、多大な時間と労力を必要とした。いや、それでも同じレベルには達していなかっただろう。

 我々設計開発者は、製品ラインナップ全てのコストダウンの嵐・嵐・嵐。根本から構造を変更する能力者は、もはやこの会社には残っていなかったので、パッと見て無駄だと思われるところ、重箱の隅をつつくような小っちゃい設計変更まで、毎日、みんな夜中まで実施していた。全員野球の、インパール作戦だ。

 こうなると、家には寝に帰るだけだ。帰宅が深夜2時、早朝5時には会社に出発。休日も大体出勤だった。家族と顔を合わせることは殆どない。正直、一緒に暮らしているのに、父母の安否は、会社に行く前に寝室を見て、吐息が聞こえるかどうか、くらいの確認になっていた。何のために実家に戻ってきたのだろうか…。

 しかし、このリーマンショックの不景気で新しい雇用をするような会社は、かなりのハイクラス転職となり、スキルも求められる。私のような歳になれば、管理職経験なども優遇される。当然、中途採用で万年ヒラ社員の私は、現状での転職は考えられず、辛くても、この会社にしがみつくしかなかった。

 早々に裁量労働制となり、月にみなし残業代は30時間分しかもらえない。しかし実際は、自分をはじめ周りの設計開発者も、月平均120~140時間の残業。今は働き方改革で過労死ラインが80時間と言われているので、その異常さが良くわかる。

 

 そして、約半年くらいだろうか、私の体調は徐々におかしくなってきた。最初は左耳が聞こえなくなった。そして、胃痛。帯状疱疹、咳が止まらない、咀嚼障害。血便。極めつけは、右手の痺れ、だ。

 手の痺れは、仕事に支障が出るのももちろんだが、通勤での自家用車運転にもかかわる。さすがに脳神経外科に行って、MRI検査をする事になった。

 脳神経外科。とうとう、自分もこの診療科を受診する事になったか…。もし、脳の萎縮などが原因であったら…。

 当時、最新鋭のMRIを備えた病院へ行った。いざ撮影すると決まったら、不安な事しか頭に浮かばない。予約をし、一週間後、脳のMRI撮影をする事になった。

 両親には、最近体の調子が悪いという話は少ししたが、疲れがたまっているから、と説明し、何がどうおかしいとは、伝えなかった。説明したところで、父は冷徹なので何も感じないだろうが、父の介護を負っている母には、余計な心配はかけたくなかった。このまま息子まで介護になったら、なんて心配をかけてしてしまったら、目も当てられない。

 MRIの最新機種は、短時間且つ、今までのような洞窟に入るような圧迫感がない装置だった。しかし、頭を固定されて自由が利かないのは苦痛でもあったし、その時間は不安しか感じていなかったので、実時間よりも長く感じたのを、未だによく覚えている。

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