第12話 リーマンショック

 2009年、リーマンショックが世界を襲った。例外に漏れず、私の勤務する会社も大打撃を受けた。重工系のメーカーであった為、一台数億円はする産業用機械を製造していた。当然、全世界同時株安と景気の悪化だ。設備投資が出来る企業は、世界中探しても、まず無い現実だった。

 そして、「早期退職」という名の、リストラが始まった。リストラはリーマンショックの時の2009年と、2011年の2回に渡って実施された。私は、まだ中途で入社して間もなかった事もあり、何とか「肩たたき」は免れることはできたが、せっかく入社した地元の拠点が、統廃合で無くなってしまった。

 片道40㎞以上、電車も通っていない私の町からは、車で通うしかない距離の拠点に吸収されてしまった。そこに毎日、通う事になったのだ。

 早くも、自分の計画とズレ始めてきた。まず、車を買わなければいけなくなった。自転車通勤にしていたので、愛車は地元に戻った際に泣く泣く売却したのだが、再び、往復約90㎞の通勤で使う車を探すことになった。さすがに軽自動車は怖いので(当時の軽は、今の軽と違って安全装備があまり無い)新車は買えないので、取りあえず、車いすも積める、排気量の小さなミニバンを購入した。

 車は好きだし、ドライブも好きであったが、さすがに毎日の通勤は、しばらく経っても到底慣れるものでは無かった。高速道路ならまだしも、一般道の信号の多い道。朝5時半出発。そして仕事終わりで帰宅すると午前様だ。この頃は、サービス残業になっていた。会社は不景気、早期退職しなかった私のような人達は、暗黙の了解で、定時にタイムカードを切り、再び職場に戻った。

 早期退職で、優秀な人が沢山去ってしまった。しかし仕事量は同じだ。機械は売れなくても、設計開発は進めなければならない。睡眠時間は一日3時間程度、月の残業時間は140時間ほどであった(サービス残業なので残業代は出ない)。

 この頃には、もはや自分自身の事で精いっぱいになってしまっていた。遊びにも行けない、お金もない、息が抜けない。家族とは当然すれ違いの生活。

 貯金もできない。車は数年で10万kmを超え、メンテナンス代も大変だ。会社からはガソリン代しか支給されないが、エンジンオイル、タイヤ、その他故障も、さすがに優秀な国産車であっても、多少なりとも大小さまざま、症状は出てくる。

 この拠点になって、もし、今、自分に脊髄小脳変性症が発現したら、通勤することは不可能であった。自動車を運転する事は、出来ない。職場は当然バリアフリーになっていない。解雇されるだろうという恐怖。そういった心配も出てきた。過労と心労。そして老々介護の葉月家。

 嫌な負のオーラが徐々に沸き上がっている感じであった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る