第9話 生涯、唯一の恋

 一人暮らしを始めて数年経った。実家には、盆と正月に帰るかどうか位になった。一人の時間を満喫できた。父がいない事は、こんなに精神的に楽になるとは思ってもいなかった。同僚とも打ち解けてきて、仕事も何となく順調、私の父が難病で実家に置いてきている、なんて事は誰にも言わず、「一人」の生活を満喫していた。自炊や掃除洗濯などの家事も、それほど苦に思わなかった。

 しかし、会社の先輩と仲良くなると、キャバクラに連れまわされたり、面倒な事もあった。若かりし頃の自分は、精力旺盛かというと、そんな事は全くなく、何で気を使って、知らない女性と話をして、酒を飲んで、挙句、たくさんの金を払わねばならぬのだ…。楽しいと思ったことは無かった。性風俗など以ての外だ。

 まあ、自分は家庭を築こうとは思っていなかったので、女性と言うか、人間にあまり興味が無かったのだろう。当時は、出会い系サイトなども盛んであり、「ネット婚」などもあった頃だが、興味はなかった。家庭を不幸にする「難病遺伝子」の家系だ。普通に天寿を全うできると思っていないし、何よりも、身体が不自由になったら、家族を巻き込むことは明白だからだ。

 しかし、一人暮らしをはじめて3年くらい経ったころであろうか。自分が入社した当時からアルバイトにいた同世代の女性から声をかけられた。普通の若い女性であれば、もっと綺麗なショップなり店員なり、いろいろ日の当たる仕事はあるのに、あえて工場でコツコツとまじめに働いていた。同じ職場になった時、聞いたことがある。何でこの工場で製造の仕事なの?

 答えは意外であった。高校卒業後、すぐに修行して美容師をしていたそうだ。そこで出会った美容師仲間の人と結婚、一児を授かったそうだが、旦那の金遣いの荒さとDVで離婚。女手一つで幼い子を育てるには、時間が決まっている工場勤務が都合がよい、との事であった。

 皆さん、いつも普通にふるまっているけど、悩みがあるのだなぁ、とそこで気づかされた。それ以降、その女性とは仕事以外の雑談もするようになっていった。お互い楽しかった事、辛かったことなど、日常の他愛のない事ばかりであったが。

 母子家庭で支援を受けていて男の影があると支援を打ち切られる事もあると聞いていたので、遊びに行ったり、食事に行ったりという事は無かったが、メールはするようになった。

 そして、とうとう、自分の家族、父親の話をする事になってしまった。つい、心から漏れてしまった、という感覚だ。しかし、反応は意外だった。「もし葉月君のお父さんに会う事があったら、私なら仲良くできるかも。私もまだ若いけど、色々経験してるからね!」

 衝撃的で、心が揺らいでしまった。普通なら、「あ~それは嫌だね、面倒だね」という反応だと思ったからだ。

 ああ、こういう人も、世の中に入るのだなぁ、と、少し感動のような、目頭が熱くなる感じであった。正直、これが私の最初で最後の「初恋」であったのかも知れない。

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