第8話 衝突

 私は社会人となり、新入社員として覚えなければならないことは非常に多かった。それは、社会人としてのマナーはもちろんの事であるが、仕事内容、仕事に対する姿勢、同僚や上司との関係…。多岐に渡る。

 今までの学生生活であれば、大勢の同級生、先輩、後輩、先生、など、多くの横の繋がりがあった中での縦社会であったが、会社は、数少ない同期、しかし同じ職場には配属されない、その部署で、自分一人で、相談に親身に乗って下さる先輩ができる出来る訳もなく、最初の3か月は特に、とても厳しかった。毎日が疲労困憊、それは体力的でもあり、気を遣う精神的なものでもあった。

 当時は、実家から通勤していた。片道1時間の自動車通勤であった。完全週休二日制の会社であったので、基本的に休日出勤がない限りは、土日は休むことができた。土日のどちらかは泥のように眠り、どちらかは買い物など、自分の用を済ませる。

 父は、50代で退職してから、何一つ、全く以て何一つとして何もしようとはしなかった。これ程までにやる気のない人であるとは思っていなかった。パソコンは買っても三日坊主。字も書けなくなるから、なぞり書きの本を買ってきてもやらない、新聞も読まない、基礎体力は必要であるから、筋トレはするようにと言っても何もしない。毎朝起きて、ぼーっと座って転寝しながらテレビを一日中見ているだけ。

 そして、私の貴重な土日に、自分の用を済ませに行こうとすると、「あれを買ってこい」や、「市に提出する障害者の申請用紙を書いておけ」、など、とにかく命令口調だ。基本的には母がやっていたが、まあ、うちの母も口はきついので、何も言わない私にどんどん用事を言ってくるようであった。

 とにかく、この父は、頑固でやる気がない。ボランティアで毎週来てくださっていた人にも、「葉月(父)さん、少しは何かを頑張っている姿を見せないと、見ている家族だって辛い気持ちになりますよ…」と言ってくださっても、「何を頑張るんだ!」と声を荒げる始末。ボランティアの方も、「葉月(父)さんの様な方は、見たことが無いですよ…」と呆れていた。ボランティアの人への感謝の気持ちすら、持ち合わせていなかったのだろう。俺は障害者だ!何もしなくていい!国が面倒を見てくれる!そんな事ばかり、吐いていた。

 そして、私も仕事が忙しくなり、残業などで帰りが遅くなると、当然父は寝ているのであるが、土日の父からの命令は続いた。土日、夕飯の食卓を囲んでいる時、いつものように用事を言いつける父に対して、「いい加減、すこしでも自分でできる事は、チャレンジしようとする気はないのか?」と言ったところ、「お前は誰の家に住んでいるんだ!出て行け!」となり、こちらとしては願ったり叶ったり、母には申し訳ないが、勤務先の近くのアパートの引っ越した。

 正直、父の存在は、ただ腹が立つ、という事もあるが、将来の自分も、あんな人間になってしまうのか?

 将来の自分を見ているようで恐怖でもあった。その時決めたことは、私は家族はもたないようにしよう、という事だ。母や子は、父の介護要員でしかない。父もそれが当然と思っている。そんな不幸せな家庭を築くことは考えられなかった。葉月家を襲う忌々しい遺伝子は、私の代で終わりにするべきだ。そう考えた。

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