第4話 大学受験

 大学受験の年だ。祖父母が1月初めに他界した。祖父は以前より癌で闘病しており、意識不明の状態だった。祖母は意識ははっきりしていたが、心臓の大動脈瘤が破裂し、ちょうど正月であったため、輸血の車の到着が遅れ、亡くなってしまった。

 祖母が亡くなった次の日、祖父は意識不明であるのに、祖母の死を知ったかのように、亡くなった。

 仲の良い自慢の祖父母だった。私もとても可愛がってもらった。

 その翌週に、私はセンター試験だった。大惨敗だった。祖父母の葬儀などの件は関係ないが、悲しい時期ではあった。

 父も葬儀には車いすで参列した。父が泣く姿は私が生まれて、初めて見た。

 さすがにその時は親戚従兄弟と顔を合わせる機会となったが、気まずかった。従兄弟は、東大から日銀をはじめとした有名銀行へ、一橋から公認会計士へ、誰もが耳にしたことのある大手商社へ、千葉大から大手製薬会社の研究員へ…そのような話ばかり聞かされた。

 というか、伯父伯母も、自分の子供たちを自慢したかったのだろう。「マコトくんは将来楽しみね~」なんて、思ってもいない、心無い事を言われて。

 そして、1月半ばのセンター試験後、大学本試験が始まる2月、3月の間に、父は会社を退職した。さすがに会社も、治らない病人を雇うほど甘くない。今のような障害者雇用など無い時代だ。ましてや父は職人、デスクワークもできない。

 父はその退職金のほとんどを使って、漢方薬に嵌っていった。藁をもつかむ気持ちだったのだろう。歩いたり立つ事がままならないので、自室で窓やドアを締め切り、高い漢方薬をいろいろと買っては煮立てて飲んでいる様子だった。

 そして、それが祟ってか、これまた難病の天疱瘡を患った。密室で換気もせず、漢方薬を煮立たせていたからなのか?原因は不明だったが、また、大学病院行きだ。

 天疱瘡はひどく、大学病院に行ったら、皮膚科医局の全員が見学に来たり、症例として撮影に来る、サンプルとして皮膚を採取する。それほど、顔から足先まで、全身水膨れのグロテスクな状態だった。

 根本治療法はない。天疱瘡も難病指定の病気だ。ステロイド系の塗り薬を渡されるだけだ。水泡といっても、水疱瘡のようなものではない。直径2センチはある、しかも白濁した体液が溜まり、全身に広がっていた。

 もちろん、潰れればその白濁した液体は破裂して漏れる。下着はひどい汚れであった。洗濯するのは、母だ。

 最初のうちは、母が父に薬を塗っていたが、やはり父の口調や態度が悪いため、すぐに喧嘩になった。そして私が塗る事になったのだが…。全身、数えきれないほどの、水膨れ。正直、私も気分が悪くなるレベルだった。父の口調や態度は腹立たしいものであったが、仕方ない。自分で塗る事が出来ないのだから…。

 そんな状態で、大学受験を迎えたのであった。

 父は会社を辞めた。そして父は退職金の殆どを漢方薬に使った。私は路頭に迷った。学費はどうなる?奨学金は借りるとして、アルバイトをやったとしても学費は足りるのか?受験の不安に加え、余計なカネの問題も重くのしかかった。

 発狂寸前だったと思う。どうしたらよいのか、自分で判断する事ができなかった。楽しい深夜ラジオを聞きながしながら勉強していたはずなのに、気づいたら涙が出ていることも多かった。

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