次章 幻の花
2-1 木漏れ日色の来訪者
【次章 幻の花】
「彼」が来たのはそれから半年が過ぎた頃のことだった。「彼」はオレよりも六つ下、つまり八歳の、見るからに儚げな印象を宿した少年だった。彼は無理して笑っているような笑みをその顔に貼り付けていた。
この村では滅多に外部からのアシェラルが来ることはない。聞いたところによると他のアシェラルは他の里にもいるのだそうだが、秘匿された特別なこの村に、そういった「外部」が来ることは稀だ。だからオレは驚いた。「外部」の人間が来たのを知って。
族長さまから聞いた話によると、「彼」の両親はこの村の出なのだが、ある時好奇心の赴くままに二人して駆け落ち同然にこの村を出て、そのまま帰らなかったらしい。それから長い時が過ぎて戻ってきたのは二人の骨と、この少年。二人は人間に殺されて、その前に生まれて二人によって命を譲られた「彼」のみが帰ることが出来たという。
「本来ならば外部のアシェラルをこの村に入れることは許されないが、この少年の場合は特別だ。入れてやらなければアシェラルが廃る。我らは鬼の心を持っているというわけでは、決してない」
「彼」は両親の死の間際にこの村までの道のりを聞かされ、それを頼りにたった一人で辿り着いたらしい。大したものだとオレは思いつつも、その悲惨な過去に思いを馳せた。
「彼」の名を、エクセリオ・アシェラリムという。
アシェラリム。それはアシェラルの中でも一部の者しか名乗れない、特殊な血筋の高貴な苗字。苗字に「アシェラル」を冠することが出来るのはほんの一握りの者だけ。オレだってメルジア・アリファヌスだ、そんなに高貴な苗字じゃない。
エクセリオの父は現族長さまの、非常に仲の良い弟だったらしい。明るく良く笑う人で、それでいて気紛れ。その妻となった人はこの村で生まれ育ったアシェラルの一般人。いつも穏やかで優しくて、水の魔法が使えたらしい。二人は幼いころからの知り合いで、ともに「外の世界」に憧れていたという。
やって来た新入りとその周辺について得られたのはそんな情報だ。族長さまは弟の死を知るなり、人前で号泣してしまった。それほど仲が良かったのだろう。
そしてオレは今日も今日とて、「救世主」としての、定められた仕事に勤しむ――、
筈だったのに。
「危ないよ!」
声。
突き飛ばされた身体。
何か重いものが落ちてきたみたいな大きな落下音。何だ、何があった?
振り返ったオレは、見た。先程までオレがいた場所に落ちてきたらしい巨大な木材と、その後ろに立つ黄金の影を。そして黄金の影の隣に立つ、全く同じ姿の存在を。
「何もなくてよかった。怪我はない?」
そう問いかけてきた少年は、最近話題の、
「……エクセリオ・アシェラリム?」
「そうさ、それが僕の名前。気軽にエクセルって呼んでいいよ?」
明るく無邪気に笑った黄金。彼がオレを助けてくれたのだろうか? オレはまじまじと落ちてきた木材とエクセリオの華奢な体を見た。
無理だ。彼みたいな弱々しい人間があの状況でオレを助け、自分も一切怪我を負わないで平然としていられるなんて絶対に無理だ。
オレは彼の隣に立つ、彼と全くそっくりな人影を見た。それはエクセリオと酷似した外見を持っていた。こいつはいったい誰なんだ? エクセリオに双子がいたという話も聞いたことが無い。
オレは疑問を解消するべく、エクセリオに問いかける。
「助けてくれてありがとう。ところでそいつは誰だ? あんたの双子か?」
双子の訳が無いと知りつつも、ついついそう訊いてしまう。そう訊かざるを得ない。
するとエクセリオは、得意がるように笑うのだった。
「これ? これは僕の幻影。僕は幻影使いなの。僕にそっくりでしょ?」
彼が踊るように手を振れば、まるで人間のように動き出す「それ」。
「しかもこいつは触れるの。そして物を動かすことも出来るんだ。君を助けたのは、僕が作りだしたこの幻影さ?」
実体のある幻影。唐突にそんな言葉が浮かんだ。
オレはその力を知って愕然とした。
こいつは――こいつの、力は。
様々なことに応用できるだろう。さっきみたいな人助け以外にも、こんな精度で人を再現できるのならば普通に人を騙せる。
無邪気に笑うエクセリオ。しかし彼は凄まじいほどの力をその身に宿していた。
いや、まだわからない。中には短期間で力を失う魔導士だっているんだ。エクセリオのこの力はもしかして、束の間の夢なのかもしれない。実際、人の身に余る力を持つ者のほとんどは幼少期にその力を開花させ、大人になるにつれてその力を失っていく。十歳になる頃にはほとんどみんな無くなる。エクセリオもそんなものなのかもしれない。だが時に、ごく稀に。その力を失わずに十歳を迎え、そのまま力を持ったまま成長していく者たちがいる。それはほんの一握りだが確かに存在する。そしてそういった者たちは皆、二十歳を迎える前に必ず何らかの原因で死ぬ。人の身に余る力に対して、運命の女神が制裁を下すのだとか。
そんな彼らは皆、こう呼ばれる。
――「神憑き」と。
神のとり憑いた子は圧倒的な力を約束されるが、その代わり未来を約束されない――。
オレはエクセリオが前者だと信じる。アシェラルに神憑きなど聞いたことが無い。どうせあの力も十歳になる頃には確実に消える。何も恐れることはない。
そう思い至って、オレは己の内に宿した恐怖に気が付いた。
アシェラルの族長候補は一人きり。それは一度決まると滅多なことでは変わらない。が、変わる例外があるのだ。それは、村に族長候補を凌ぐほどの才能が現れた時。族長と村の者全員の判断による多数決で決められ、そうやって族長候補が交代することもある。前に候補交代が起きたのは五十年前だと聞いている。つまり滅多にない訳だが。
要はオレの座も地位も絶対ではないということだ。そしてオレは、今の座を失うことが非常に怖い。今の座を失ったらきっと、オレは「救世主」でいられなくなる。「救世主」以外の生き方を知らないオレが「救世主」の座を失ったらオレは……オレは、どうなる……?
だがまだエクセリオが神憑きと決まったわけじゃない。だが彼が神憑きであった場合、オレは確実に落とされる。堕とされるのだ、絶対に墜とされる。
オレは目の前の少年のどこまでも無邪気な瞳を見た。彼はオレに危惧を抱かれていることには気づかないだろう。彼は思考の海に入ったオレを、不思議そうに見つめてくる。
まぁ、まだ決まったわけじゃあ、ないか。
オレは偽りの笑みを張り付けて少年に言った。
「ありがとう」
そして逃げるようにしてその場を立ち去った。
最初はただの不憫な少年としか思えなかったのに、その力を知った途端、オレには彼がどうしようもない壁に思えてきたのだった。
(大丈夫だ、まだ決まったわけじゃない)
そう自分を叱咤するも。
二年後、少年が十歳になる日のことを、怖くて怖くて仕方がなく思っている自分がいた。
◇
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