ワールドカップの夜に
石屋 秀晴
第1話(1話完結)
「何してんだおまえ」
少女は、通りがかった少年からそう声をかけられて驚きの表情で凍りついた。そしてすぐに、「おまえって何よ」と睨み返した。
「……何、してたんでしょうか。方条美夜って人」
「何だっていいじゃない。ナントカナントカって人」
二人の間に険悪で、尖った沈黙が下りた。美夜は睨んでいた目を逸らし、足早に歩道を歩き始めた。その隣に耕野は並んだ。
「何怒ってんだよおまえ。それとな、俺の名前は大隈耕野な。オオクマコウヤ。ドウゾヨロシク」
「はぁ、いえ別に怒ってませんけど。ただちょっとうざいだけ。それとあたしミヨ。ミヤじゃなくて」
「へー。あー、んで、……なあ、何か埋めてたよなおまえ。そこのマンションの植え込みのとこにさ」
美夜は答えない。だが少しだけ耳が熱かった。中学の頃、週に3回家に来てた、ただそれだけの家庭教師の大学2年生。かわいい彼女がいてリア充らしくてずっと聞いていたくなるような声で、先日不意に会った際にどこかの駅前の露店で買ったんじゃないのと思うくらいのイヤリングを、なんとなくでくれた人。そういうのなら正直、なんにもないほうがよかった。
「おい、あれ」
「ちょっと。しつこいよ」
「じゃなくて。あれだよ」
耕野は顎で、道の先でかがんでいる人影を示した。人影は手に持ったスプレーボトルで、電柱の根元に何かを噴霧している。
「あれ、たしか、春日って人じゃない?」
「だよな。……おーい!」
耕野が声をあげると、人影はゆっくりとこちらに顔を向けた。
「春日だよな、おまえ。俺知ってる? 大隈。同じクラス」
「知ってるよ」
「何、してるの?」
「さっきん」
「……は?」
異口同音で困惑する美夜と耕野に、春日は手にした物を見せた。
「パストリーゼ77スプレーヘッド付500ml入り。って言って殺菌用アルコール製剤だよ。超強力な」
春日は言いながら、ぶらぶらと歩き始める。
「えっと、なんで、道端の殺菌なんかしてるの?」
「さあ。暇だから?」
答えながら春日は、さしかかったゴミの集積所めがけてプシュプシュと薬剤を振り撒いた。辺りにはいかにも潔癖な臭気が満ちた。
「ちょっと貸してみ」
そう請われて、春日は耕野の手にスプレーを渡した。耕野は、近くの壁に付着していた、誰かが吐いた黄色い痰に向かって大量の薬剤を浴びせた。
「なんか、楽しいなこれ。あれだろ、今めっちゃ死んでんだろ、汚いバイキンが」
「うん」
「『ウワー!』『ギャー!』つって」
「うん」
「ちょっと、あたしにも」
「いいよそれ、使っても。まだあるから」
そう言って春日がリュックの中を見せると、どっと場が沸いた。
三人は手に手にスプレーを持ち、人影が途絶え、静まり返った街路で、『汚いとこ探し』を始めた。ぬるぬると光る側溝や、こってりとした吐瀉物や、ハエのたかる犬の糞などを、大騒ぎしながら薬剤まみれにして歩いた。
「殺菌ズだな俺たち」
「だっさ」
「除菌ズ?」
「滅菌ズ?」
「何でもいいよ」美夜が笑った。
「滅菌·オン!」
唐突にポーズ付きで春日が叫び、美夜と耕野は笑った。その声は無人の街に反響し、遠くまでよく響いた。
ワールドカップの夜に 石屋 秀晴 @5-gatsu
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