愛すべきおばあちゃん
篠原 皐月
ちょっとした落とし穴
大学が初めての春休みに突入した直後、娘の律が暇なのを見てとった佳江は、自分の実家に届け物をするように彼女に言いつけた。
言われた律は高三の夏以降は受験で、大学に入学してからは新しい友人達との交流やバイトに明け暮れて母の実家を訪れていなかった事を思い出し、素直に頷いた。
「おばあちゃん、久しぶり。あれ? おじいちゃんは?」
手土産持参で隣県の母の実家を訪れた律だったが、てっきり満面の笑みで出迎えると思っていた祖父が不在だった事に首を傾げた。すると祖母の雅代が、溜め息交じりに告げてくる。
「いらっしゃい。近くまでちょっと出ているの。戻るまで30分位待っていてくれる? 私だけ律に会ったなんて言ったら、絶対に拗ねて後が大変だもの」
「大丈夫。ちゃんとおじいちゃんにも会ってから帰るよ」
来訪する日時は予め伝えておいたのに、おじいちゃんは相変わらず自由奔放だなと律が苦笑いをしていると、居間に移動して向かい合って座った雅代が、お茶に続いて折り畳んだ書類を差し出す。
「律。忘れないうちに、これを渡しておくわ。帰る時に持っていって頂戴」
「何、これ?」
「今度、シンガポールに行ってくるから。その工程表と旅行会社の緊急連絡先の、留守宅控えなの」
夫婦二人暮らしの祖父母は、旅行時には子供達の中で一番近くに住んでいる律の母を緊急連絡先に指定していた。これまでにも同様の物を受け取っている事を知っていた律は、軽く開いて中身を確認してから頷く。
「分かった。お母さんに渡しておく。それにしても……、またおじいちゃんと行ってくるの?」
「ええ」
「二人とも、本当に元気だよね……。それにおじいちゃんが定年退職してから、4年か5年おき位で海外旅行していない?」
お茶を飲みながら律がしみじみとした口調で指摘すると、雅代が少し考え込んでから言い出す。
「そうね……。確かにこれまでの3回は、4年に一度のペースで海外に行っていたわね。でもそろそろ海外は止めて、国内をゆっくり回るようにしようかしら?」
「それもそうだよね。二人とも、もう七十を越えているし。海外で何かあった時や体調を崩してしまった時が怖いよね」
「それもそうだけど、国内旅行だったら4年毎じゃなくて2年毎位にできそうだし」
それを聞いた律は、ふと疑問に思った事をそのまま口にした。
「え? どうして旅行の間隔が短くなるの?」
「旅行費用を、これで貯めているからよ」
「これって……」
立ち上がった雅代が近くの棚から取り出してテーブルに持ってきた代物を見て、律は呆気に取られた。そんな孫娘に、雅代が笑顔で説明を加える。
「500円玉を入れて満杯になると、50万円になっている貯金箱よ。これだと密閉されていて缶切りで開けないといけないから、途中で少しだけ抜き出す事ができなくて、しっかり貯まるのよね」
「ええと……、これに毎日、500円玉を一枚ずつ入れているの?」
「毎日入れたら三年かからずに貯まる筈なんだけど、お財布に500円玉が無い時は入れていないから。どうしても満杯になるまで、4年近くかかっちゃうのよね。でも気軽に続けるのが、成就のコツよ?」
ドヤ顔でにこやかに解説してくる雅代に対し、律は少々控え目に、しかし冷静に突っ込みを入れた。
「それは分かったけど……。確かに国内旅行にすれば費用は安くなるから、同じ額で2回旅行に行けるようになるかもしれないけど、これまで通りこれに500円玉を入れて満タンに貯めてから開けるつもりなら、やっぱり4年に1回のペースで出掛ける事にならないかな?」
「……あら?」
「『あら?』じゃないと思う」
キョトンとした顔で雅代から見つめられた律は、激しく脱力して肩を落とした。そのまま数秒経過してから、雅代が沈黙を破る。
「……律」
「何?」
「500円玉で、25万円貯められる貯金箱ってあるかしら?」
そんな事を大真面目に問われてしまった律は、思わず笑ってしまった。
「あったかな……。探してみて、あったら買ってプレゼントするね」
「ありがとう。お願いね」
それで満足したのか、雅代は先程までとは同じ穏やかな笑顔になって、近況を語り出した。律はそれに相槌を打ちながら(本当におばあちゃんは、しっかりしているのか抜けているのか、今一つ分からない所があるから……。でもせっかちで俺様気質のおじいちゃんとは、合っているのかもしれないな。できるなら、こんな風に年を取りたいよね)と、微笑ましく思いながら祖母を見守っていた。
愛すべきおばあちゃん 篠原 皐月 @satsuki-s
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