最終話 風の住む街

 リーズ達が精霊界に帰って、およそ半年が経った。


 サフィアとアメジアは、再びあの薬屋で二人での生活を続けていた。


 アメジアは引越しをしようと提案したのだが、サフィアがそれを拒否したのだ。


 最初は渋っていたアメジア。

 しかし「アメジアを頼りにしている街の人達がいるんだよ」というサフィアの言葉にアメジアは降参し、引越しの話はなかったことになったのだった。


 リーズと会った時と、変わらぬ生活が戻ってきた。


 ただ、以前より変わった点が一つだけあった。

 サフィアは時々、夜に散歩をするようになっていたのだ。


 散歩と言っても普通の散歩ではなく、空の散歩だ。


 サフィアは、やはり人前に出ることは避けていた。


 もし、転んで血が出るような事態にでもなったりしたら――。


 その時のことを考えると、やはり外出は避けたいと二人の見解は一致していた。


 しかし、ずっと部屋に閉じ篭ったままの生活は、サフィアにとってもアメジアにとっても辛い――。

 ということで、サフィアは自由に出し入れできるようになった背中の羽を活用して、夜のエレオニアの街を飛び回るようになっていたのだ。


 夜ならば仮に姿を見られてしまったとしても、大きな鷹と勘違いされる程度で済むだろう、とアメジアが許可したのだ。

 それでもサフィアは念のため、かなり上空を飛ぶことにしていた。






 夜の生温かい風が全身を撫でる。


 今日の月は満月。

 淡い光を地に落とし続けるその月を目に焼き付けた後、サフィアは円に背を向けた。


 見下ろすと、真下は海。

 夜の海は月の光を受けていても、まるで全てを飲み込む黒のようだ。


 あの揺らめきに、何度吸い込まれそうになったかわからない。

 海は少し苦手かも、とサフィアは思った。

 それは彼女の中に存在するトルスティの魂が、そう思わせているのだろうか。

 当然、サフィアがそれを知る由もないが。


 サフィアは顔を上げ、街に視線を移す。


 昼の間は太陽の光を受け、眩く輝いていたオレンジ色の屋根も、今はすっかり眠りに落ちている。

 昼間の鮮やかな色彩とは全く違う、落ち着いた色合い。

 サフィアはこの色が好きだった。


 窓から外の景色を見つめるだけだった日々。

 この建物の向こうには何があるのだろうと、何度想像を巡らせたことだろう。


 その彼女の想像以上に外の世界は広く、美しかった。


 アメジアは夜しか外に出してあげられなくて申し訳ない、ということを言っていたけれど、サフィアの方こそ、アメジアに申し訳ない気持ちを抱いていた。


 だってこうして空の上から街を見下ろすことができるのは、背中に羽がある自分だけの特権なのだから。


『人間』に対して少しだけサフィアが罪悪感を抱いたその時、彼女の目の前に人影が立ち塞がった。

 急に現れた人影にサフィアはおののき、空中で静止する。


(え――。この姿は……)


 空で会った人影は、ふさふさした耳、そして馬のような尻尾持っていて――。


「リーズ!?」

「よっ! やっと見つけた」


 空色の瞳を目一杯大きくして驚愕するサフィアに対し、リーズは片手を上げ、軽い調子で挨拶をしてきた。


 突然現れた風の精霊に、サフィアはただ驚くことしかできない。


「ど、どうして、ここに?」


「いや、薬屋に行ったんだけどさ。アメジアがサフィアは今は外出中だって教えてくれて。それで追いかけてきたんだよ」


「そ、そういう意味じゃなくて! どうしてこっちの世界にいるかって聞いているの!」


 微妙にずれた返答をするリーズに、たまらずサフィアは声を大きくしていた。


「あぁ。実はだな……」


 リーズは小麦色の頭をがしがしと掻きながら、何から説明したものか、とぶつぶつ呟き、視線を宙にやる。


「ここの地域に臨時で来ていた風の精霊が、他の地域に異動になってさ。それで次のこの地域を担当する風の精霊に、俺が選ばれたんだよ」


 ブロルのことを知らないサフィアは、半分はリーズの言っている意味が理解できなかった。

 しかし、その半分で充分だった。


 リーズが、この地域の担当の風の精霊になった。


 それはサフィアにとって、とても嬉しい知らせだった。これからは風が吹くたび、彼の存在を感じることになるだろう。


「でも、精霊って人間に姿を見せたらだめなんでしょ? い、いいの?」


 キョロキョロと首を回しながら、サフィアは困惑する。

 彼女は他の精霊の視線を気にしていた。


「あぁ。他の精霊のことは気にすんな。大丈夫大丈夫」


 リーズはそんなサフィアの心情を読み取ったように、パタパタと手を横に振った。

 そして右手の指を三本立てた、変なブイサインを作って見せた。


「……?」

「精霊憲法第三条、人間に姿を見せるべからず」


 疑問符を頭に浮かべるサフィアに、リーズは抑揚のない声で静かに告げる。

 それを聞いても意味がわからず、ただ口をぽかんと開けるばかりのサフィア。


 やはり、人間に姿を見せたらだめなんじゃないか。


 そんなことを考える彼女の目を見つめながら、リーズはさらに続けた。


「でも、サフィアは『人間』じゃない。つまりお前には姿を見せても違法じゃないし、いつ会いに来ても問題ないってわけだ」


 リーズはそこまで言うと、三本立てていた指を二本に減らして、悪戯っぽくニッと笑ったのだった。


     了

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なぜ彼女は突然姿を消したのか? 福山陽士 @piyorin92

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