四年に一度の恋
花陽炎
四年に一度の恋
僕の暮らすこの国では、数年前から友人や恋人同士の文通が流行っている。
きっかけとなったのは自国の王子が『美しい字を書く女性は心も美しいから私は
好きだ』とポロリ発言したことにより。
彼の妻の座を狙っていた令嬢方がそれに鋭く反応して噂が広まり、いつの間にか
貴族間だけで流行っていたものが国民の間にも伝染していた。
代々その手紙やら荷物やらを運んできた僕の家は当然…忙しくなる。
成人を迎える前から『家業を手伝え』と親に散々こき使われてきて嫌になっていた
ところへ、その気持ちに拍車をかけるような仕事量の倍増。
否――倍々増だろうか。
だから僕は、成人した暁には『家を出て行く!』とハッキリ宣言して外の世界へ
旅立つはずだった。
「よお!またあの家に行くのか?」
「お疲れ様です。……はい。あそこの担当だけは譲れないんで」
「譲れないも何も、あの家は気難しいってんで有名だからなー。誰も行きたがらない
のをお前が行ってくれて、むしろ感謝してるぜ」
「そう……でしょうか」
数多くの手紙や荷物を配るのに当たって、地域の区分ごとそれぞれに担当の人間が
ぐるぐると回って家の場所や人の顔を覚えておく。
その方が後々の効率は良くなるし、親しくしておけば不在の日や時間帯を教えて
くれることもある。
準じてただ事を進めているだけなのに気づけば僕の担当する区域は貴族の町屋敷が
ズラリと並ぶ方面へと変わっているし、それのみに止まらずこういった『気難しい』
と仲間内でのみ評されている家への配達も増えた。
だとしても仕事である以上は普段から決まっている対応を変える必要は無いのだし
先方も至って普通に対応してくれる。
一体何がそう『気難しい』のか、今でも僕には理解できない。
そういった意味も含め僕は理由がわからないといったふうに小首を傾げれば、同僚は
いつものように苦笑して背を叩いてくる。
「んまあ、これからも頼むわ!」
「はあ」
追ってヒリヒリと痛んでくる背中を庇いつつ、僕は同僚の満面の笑みに見送られ
ながら配達へと静かに職場を後にした。
***
僕には毎日、決まった時間に決まった家へ郵便物を届けに行く仕事がある。
もはや習慣と言ってしまってもいいくらいなのだが、先方がわざわざ指定してきて
いるのだから仕方ない。そしてそれが――例の気難しい家だ。
この国で名高いお家柄らしい大きな屋敷を飽きずに眺めながら門の方へと向かえば
よく知った顔が視界に入る。
軽く手を振ってやれば、その表情はとても愛らしいものへと姿を変えてこちらへと
駆け寄り僕のすぐ目の前で立ち止まった。
「今日も時間通り!貴方って本当に凄いのねっ」
「こんにちは。今日も一時間前から待っていたんですか?」
「えっ……ち、違うわよ。昨日の貴方に言われた通り、ちゃんと十分前にホールへ
降りてきて、扉を開けたのは五分前だもの」
「そうですか。その割には足元がおぼつかない様子ですが」
「違うの!こ、これは朝のレッスンが大変で、その影響がっ」
僕が楽しそうに女性の挙動を観察して突っ込めば、彼女はたちまち視線を反らして
言葉を重ねる。
嘘を吐くのが下手な可愛い彼女は僕の大切な恋人。
彼女も僕のことを慕ってくれている両想いで、何より有難いことに彼女の両親は
貴族には珍しい身分にあまり拘らない種類の人間だ。
だからこうして隠すこともせず堂々と逢って仲を深められる。
「はいはい。そういうことにしておきましょう……今日は、こちらのお手紙が届いて
おります」
「もうっ……ありがとう。仕事はまだ…忙しいの?」
「ええ、忙しいです。どこぞの王子サマが早く伴侶を決めてくれれば少しは静かに
なってくれるかもしれませんが」
「そんなこと言ってはダメよ。お陰で仕事に困らないんだもの」
「おや。いいんですか?僕が忙しいとなれば、貴女と過ごせる時間も少なくなるって
ことですよ?」
「う……そ、それは……やだ、けど……」
口籠もって悩んでしまう彼女も可愛いから、僕はついつい意地悪を言ってしまう。
僕が意地悪を言えば、そのうち彼女は建前を崩して本音を語る。
「ごめんなさい。本当は、貴方ともっと一緒にいたいの。お手紙がたくさん来れば
貴方と一日に何度も会えたりしないかなって……思ったりしたの」
毎日こうして顔が合ってはいても実際はほんの数分の間しか会話を交わせないし、
お互いにそれが寂しいとも思っている。
敢えて正論で突っ込むことですぐに切り返す余地を与えず、悩んで迷った末に辿り
着く彼女の本音が素直すぎてとても愛しい。
しゅんとして寂しがる彼女の頭を優しく撫でて僕は微笑む。
「近いうちに時間が作れそうなんです。だから、今度一緒にどちらかへ出掛けに
行きませんか」
「……ほんとう?今よりずっと、長く一緒にいられる?」
「はい。一日中、僕を独り占めできますよ」
「嬉しいわ。約束。絶対に絶対だからね?」
「はい。絶対の絶対です」
クスクスと小さく笑って答えれば、彼女は嬉しさのあまり僕に抱き着いてくる。
ふわりと香る花の香りと彼女自身の優しいほのかな甘い匂いに心は緩やかに熱を
帯びて温かく灯り、すぐに冷えてしまわないようにと身を寄せたくなる思いから
そっと抱き返す。
時間にしたら数分と短かったかもしれない。
それでも僅かに満たされたような感覚に満足しながら、僕は抱き合いの離れ際には
決まって彼女の額にキスをする。
恥ずかしそうにはにかむ顔もまた、言葉にできないほど可愛い。
「また明日。同じ時間に」
「うん。お仕事頑張ってね。私――待ってるから」
他の所へ向かうのに僕は何度も振り返っては彼女に手を振り別れを惜しむ。
彼女もまた、同じように手を振って送り出してくれる。
僕たちはまだ幸せ。幸せで、あれるんだ。
***
翌日の同じ時間。扉の前に、彼女の姿は無かった。
花壇の手入れをしている侍女に手紙の配達で来たことを伝えれば、侍女は少し顔を
曇らせてから渋々といった感じで彼女を呼びに屋敷へ引っ込む。
数分待って、ゆっくりと慣れない手つきで扉を開けて出て来た彼女は。
「あの……えっと、こんにちは。初めて見る方ですね。私に、何か」
表情も仕草も昨日と全く同じなのに、彼女は別人のようだった。
僕は『ああ。そうか』と一人納得して表情を綻ばせる。
「初めまして。この度、こちらの方へ新しく担当になった者です。貴女のことは
僕の父から話を聞いていまして……一度、ご挨拶をと思いまして」
「あ、そ、そうでしたか。ごめんなさい。私、あまり外の人とお話をしたことが
無くて……」
「でしたら、僕と少し話をしませんか」
「貴方と、ですか?」
「はい。是非とも貴女とお話したいことがあるんです」
「わかりました。よろしく……お願いします」
目の前の彼女は間違い無く、僕の知っている彼女だ。
昨日とは打って変わって他人行儀になってしまったのは――病気だから。
どの医師に診せても『治療方法が無い』と言われた原因不明な後天性の記憶障害。
問診から彼女が10歳頃までの記憶を憶えているのに対し、それ以降の記憶は綺麗に
失われているのだという。
おおよそ4年に一度の頻度で起こるそれは不定期で予測もできない。
だからこうして、以前の彼女とは唐突に別れを告げることになる。
だとしても。僕は。
***
季節は巡って、あれから一年が経った。
以前の彼女との恋が終わって、僕はまた、今の彼女と恋をする。
あの時と同じことを話して、同じことで笑って、同じことで幸せを感じる。
記憶を失ってしまう前と全く同じ反応をする彼女がとても愛しくてとても辛い。
それでも彼女を諦められないのは、きっと彼女が変わらず僕を愛してくれるから。
だから……何度だって構わない。
失ったのなら、もう一度初めからやり直せばいい。
4年に一度の、辛くて甘い恋を。
四年に一度の恋 花陽炎 @seekbell
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