罪の花

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

罪の花

 凍えた月が、誰もいない雪原を青白く染めていた。


 私以外、生き物の気配がまったくしない鬱蒼とした雑木林。枯れた色を慰めるように降り積もる雪の白は、けれどその美しさとは逆に鋭いまでの静寂と孤独を上塗りしていくようにも思えた。



 ざくり、ざくりと。



 まっさらな雪を犯す足跡が、深夜の凍えた月光に浮き彫りにされている。


 吐く息は白く、空気は肌を刺すように冷たい。だと言うのに、私の体は熱を持ったように火照っている。

 その理由は、重く足を取られる雪の中を歩いてきたからだけではない事を、私は十分に理解していた。



 ざくり、ざくりと。



 二十年前も、こうして君とここに来た時のことを、今でも鮮明に思い出す。

 私はまだ二十三歳で、大人の仲間入りをしたばかりの子供だった。

 慣れない仕事に愚痴をこぼし、気の合う友人と毎晩のように飲み明かし、美しいだけの君を飽きることなく抱いていた。若さゆえに勢いがあり、怖いもの知らずの大胆さも相まって、己の未熟な精神には気付く事ができなかった。



 私は愚かだった。




 月が翳る。

 唯一の光源を奪われてなお、青白く仄かに闇を彩る白い雪原。立ち並ぶ木立の向こう、少しだけ闇の深い場所に「それ」はあった。



 真白い雪の上。

 見たこともない、真紅の小さな花が咲いていた。



 鼓動が跳ね上がる。

 何となく予想はしていたものの、いざその現実を目の当たりにすると、私の胸は痛いくらいに早鐘を打ち始めた。噛み合わない歯が、滑稽なくらいにかたかた鳴った。




 これは、罪の花だ。

 二十年前に犯した、私の罪を浮き彫りにする罪過の花。





 四年に一度しか訪れない日を記念日にしよう。

 そう言って君を連れ出したのは、ちょうど二十年前の今日だった。体を冷やしたくないと言って嫌がっていた君に、あの手この手で必死になって嘘をついた。あの頃の私は、冷静な判断など出来なかったのだ。現実を否定し、そこから逃げることばかりに執着した。

 その結果、もっとも愚かで稚拙な手段を選んでしまったのだ。



 記憶は時間と共に薄れゆくものだと、誰かが言っていた。

 けれど私の脳裏に刻まれた光景はどれだけ時間が経っても色褪せてはくれず、逆により鮮やかな色彩を纏って夢の中にまで侵食してきた。そしてそれは私の中だけでなく、君の眠る冷たいこの場所にまで現れ始めたのだ。



 微かに流れる風に、真紅の花がさわさわと揺れている。



 君をこの場所に埋めて帰ったあの日から四年後、私の足は再びこの地を踏みしめた。

 誰にも汚されていないまっさらな雪の上に、見たことのない小さな赤い花が群生していた。その形はほっそりとした二本の足のようだった。


 その更に四年後。花は風に揺らめくスカートの形を成していた。


 次の四年後。花はふくよかな胸を思わせる上半身を模った。


 そしてまた四年が過ぎ、腹部を大事そうに触る二本の腕が咲いた。



 ごうっと一層強く風が吹いた。

 再び顔を隠した月光の代わりに、黒い空から白い雪が舞い落ちる。突如として吹き荒ぶ風に、赤い花が悲鳴のようにさざめいた。



 ああ、雪が、花が踊っている。

 風に弄ばれ、狂ったように舞っている。




 ――今年はもう目にしなくても、花が何を模すのか分かっていた。




 穢される事を厭うかのような真っ白い雪原。

 そこに咲く、鮮血を思わせる赤い花。

 風に揺れ、弔歌の如くさざめき合う。




 風に紛れて、遠くで赤子の泣き声がしたような気がした。

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