弦音に弾かれて

狭倉朏

扉を開くは誰がために

「うちで飼育するくだんから予言があった。扉が再び開く」


 弾弓だんぐう制矢せいやの言葉に水取もんどりあずさは深くため息をついた。


 長く垂らした黒髪が青白い顔にかかる。

 赤い唇が動く。


「分かりました」


 精神の底から沸き上がるわだかまりを抑えて梓はうなずいた。

 制矢は梓の顔を穿うがつように見たが、言葉を続けた。


「これでほぼ確定した。扉の周期は4年に1度……今年はなんとかぬえを捕れた……しかし、その次は……そのまた次は……」

「そうですね」


 次第に苦痛に歪んでいく制矢の表情とは裏腹に、梓は表情を崩さず再び頷いた。


 梓は制矢を眺める。

 精悍な顔つきとガタイの良さ。屈強で壮健な26歳の男。

 自分よりも10も年上のこの男のことを、梓は10年近く慕っていた。


「……あれから4年、か」

「はい」


 制矢は苦々しく呟いた。

 梓が思い出すのは4年前。姉が扉の向こうに消えたときのこと。



 梓の姉、水取弦音つるねは扉の巫女だった。

 水取家と弾弓家は代々扉を管理していた。

 水取家は巫女を、弾弓家は狩人をつとめてきた。

 扉は帝都の地中にある。

 昔から彼らは扉の向こうに「悪いもの」を放り込んできた。

「悪いもの」とは人の手に負えない悪鬼羅刹、魑魅魍魎、あやかしのたぐいだった。


 しかし扉は一度、その存在を人から閉ざした。

 地中トンネルが崩れ、ここ百年近くの間、扉に到達することができなかったのだ。

 人はそれでも困らなかった。

 悪鬼羅刹、魑魅魍魎、あやかしは文明の光に追われて姿を隠していた。

 年に一回、ちょっとした小物が見つかるくらいであり、弾弓家の狩人はそれらを難なく仕留めることが出来た。


 それでも地中トンネルを掘り進めたのは科学技術で「それができるようになったから」であった。

 しかしそれが過ちの始まりであった。


 最初に扉の発掘に成功したのは20年前、梓の生まれる前のことだ。

 その時、発掘作業に従事していた幾人かが扉に呑み込まれた。


 水取家と弾弓家から当時の巫女と狩人が派遣され、巫女の祈祷により扉はその戸を閉じた。


 弾弓家の狩人はあやかしを探すようになった。


 扉が発掘された4年後、今から16年前、弾弓家が捕らえたあやかしは扉に放り込まれた。

 毛むくじゃらで顔が人面。見た目は猿で鳥の鳴き声を発するあやかしだったという。


 それで扉は閉じた。

 水取家と弾弓家は胸をなで下ろした。

 あやかしさえ用意すれば扉は鎮まる。

 それは光明であるように思えた。


 しかし12年前に悲劇は起こった。

 弾弓家が用意できたのは小鬼であった。


 小鬼では、足りなかった。


 基準は未だに不明だが、扉は一定量の贄を要求する。

 当時の水取家の巫女は梓と弦音の母、弓美ゆみだった。

 弓美は扉に呑み込まれた。

 それで扉は閉じた。


 8年前には弾弓家は血眼になってあやかしを探し出した。

 真っ黒で巨大な入道だったという。


 そして4年前も、弾弓家の用意したあやかしは足りなかった。

 弾弓家は小さな付喪神しか捕らえられなかった。

 そして梓の姉、水取弦音は扉に呑み込まれた。


「……弦姉つるねえ


 梓は覚えている。頭にこびりついて離れない。微笑みながら扉の暗闇の中に溶け込んでいく姉の姿。


「今年は鵺がいる」


 制矢は繰り返した。

 鵺は狩人である制矢が捕らえてきた大物だった。


「何も心配は要らない。そうしたら4年間また俺は探しに行く。だからどうか君は君の役目を果たしてくれ。待っててくれ。梓ちゃん」

「……はい」


 梓はうなずくようにうつむいた。




 そしてその日は来た。


 扉の前に梓は座る。衣装は巫女服。

 制矢はその横に控える。狩衣姿である。


 制矢の足元には檻があり、その中には鵺がいる。

 梓が鵺を見るのは今日が初めてであった。

 頭は猿、体は狸、尾は蛇、四肢は虎のようであった。


「……鵺」


 今回、扉の向こうに送り込むあやかし。


 母や姉が行った向こう側に行くもの。


「……ああ……」


 梓は言葉にならない呻きを小さく漏らした。

 呻きを呑み込み扉を見つめる。

 音が聞こえる。4年前にも聞こえた音。こちらを呼ぶような何か。


 梓は深く息を吸った。


「……くる」

「うん」


 制矢が小さくうなずいた。


 扉が開いていく。

 暗闇が扉の中に、現れる。

 渦巻く暗闇。底の見えない空間。それがそこにある。


 梓は立ち上がる。

 頭の中で音楽を奏でる。

 ここに楽隊は連れてこられない。

 だから一人で舞うほかない。


 制矢が鵺の檻の錠を開く音がする。


 鵺を扉に追い立てる。

 鵺は逆らうこともなく扉へと向かった。


 制矢が安心しきった息を吐く。


 梓は舞を止めない。

 扉が閉じるまでは止めない。


 しかし、鵺が消えた暗闇の向こうに何かが浮かび上がってきた。

 そして、扉は、閉じない。


「……くそっ!?」


 制矢の焦った声。

 ああ、珍しい。梓は少しだけそう思った。


 暗闇に浮かび上がる白い靄。

 閉じる気配のない扉。


「ああ……私じゃ!」 


 水取梓は扉の巫女ではない。

 母は扉の巫女だった。姉は扉の巫女だった。

 梓は扉の巫女にはなれなかった。


 彼女は扉の巫女ではない。母と姉のように扉の開閉を感知できない。


 扉を閉じることができない。


「ああ……ああ……!」


 白い靄が形を作っていく。

 その形はどこか見覚えがあった。


「つ……」


「弦音!」


 制矢が叫ぶ。

 手を伸ばす。

 駆けていく。


 暗闇の中に浮かび上がる姉の似姿へ飛び込んでいく。


「待って! 制矢さんお願い待って!!」


 梓は必死で叫んだ。こんな風に声を荒げるのはいつ以来だろうか。

 思い出すとこの4年間でそんなことはなかった。

 梓はそのまま制矢の背中にすがりついた。

 制矢の体は力強く進み、梓は引きずられていく。


「あなたをあちらにやるくらいなら、私があっちに行く!!」

「……梓ちゃん、すまない」


 制矢は強く梓の体を突き飛ばした。


「制矢さん! 弦姉!! お母さん!!!」


 手を伸ばしても届かない。扉の向こうに制矢が溶け込んでいく。


「行かないで……どうして……行かないでよ……」


 扉が閉じていく。制矢の姿が消えていく。

 扉の前にはすすり泣く梓一人が残された。




「あれから四年、ですか」


 弾弓嚆矢こうしがコーヒーを煎れる。

 梓はそれをそのまま飲む。

 苦く濃かった。


「……そうね」

「今年は大物が捕れましたよ!」


 嚆矢は制矢の甥である。今年14になる。

 制矢とは似ても似つかない丸い朗らかな笑顔を梓は眺める。


「……ありがとう」


 水取家には今、巫女がいる。

 梓の従姉妹が扉の動向を感知できるようになっていた。


 弾弓家が捕らえたあやかしは大物だった。

 あやかしと巫女。それさえ揃っていれば扉など恐るるにたらない。


「それでは報告は以上です。僕はこれで失礼しますね、梓さん。また今度!」

「……ええ、待っているわ」


 嚆矢が去り、ひとりになって、梓は弦音に弾かれ消えてしまった人のことを思った。

 永遠の片思いをしていた相手のことを思う。

 そばにいてはくれなかった、いつでもあやかしを追いかけどこかに行ってしまっていた人を思う。


 今年をやり過ごしてもまた4年後が来る。何度でもくる。

 その時、この世界からは誰が消え去るのだろう。


 いいや、誰か、ではない。


「その時は……私が」


 置いていかれてしまった自分が、今度こそ追いつくのだ。

 惚れていた男と、その恋人だった姉、そして顔も思い出せない母。


 皆に追いつくその日まで、水取梓は時を待つ。

 4年に1度の再会の機会を待ち続ける。

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弦音に弾かれて 狭倉朏 @Hazakura_Mikaduki

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