二月二十九日の誕生日

明音

二月二十九日の誕生日

僕は、生き物と会話ができた。

「できた」というのも、それは子供の時だけで、成人してからはめっきり声など聞こえてこない。


それは物心ついた時からだった。

父子家庭の一人っ子だった僕は保育園に通っていたんだけれど、引っ込み思案だったので周りの子と上手く馴染めず、いつも先生のそばでアリと戯れていた。その先生の顔などはもう全然覚えていないけど、なぜかアリの姿だけは未だにはっきり焼き付いている。きっとこれは後遺症だ。

そんなとき、突然だった。そのアリの声が聞こえてきたのは。


「早く降ろしてよー」

「…へ?」

「帰りたいよぉ」

「·····」


三歳の僕には、誰が何を言ったのか分からなかった。あまりに唐突だったから、石のように固まってしまった。


「先生?」

「んー?どうしたの?」

「僕、何か持ってる?」

「え?それなら、そのアリさん持ってるじゃない」

「アリさん?…あっ!」

「ちょっと、どこ行くのー?」


先生のそばを離れて、草むらの方に走った。鬼ごっこしている人や三輪車で遊ぶ人なんて微塵も気にせず、アリを落とさないように全力で。

いつも同じアリと戯れていた。ずいぶん前にここの草むらで見つけて、それからカバンやらポケットやらに閉じ込めては手に乗せてして遊んでいた。

勝手に唯一の友達だと思っていたけど、それは間違っていたみたいだ。


「ごめんねえ、一人ぼっちにして」


葉っぱの上に降ろしてあげた。すると、目が合ったような気がして、また声が聞こえた。


「ありがとう」


嬉しかった。誰かに「ありがとう」って言われたのは久しぶりだったから。


それからも度々、飼っている亀や花にとまる蝶の声が聞こえた。僕が声を掛けると返してくれることもあった。おかげで変な奴だと気持ち悪がられたけど、悲しかったり苛ついたりはしなかった。




四歳の誕生日。二月二十九日。そう、僕はうるう年の、四年に一度しか来ない日に生まれた。そしてその日が、お母さんの死んだ日でもある。


「お誕生日おめでとう」

「ありがとう、お父さん」

「いつも一人ぼっちにさせてごめんね」

「いいんだ、僕、友達たくさんいるもん!」

「そうか!それはよかった!」


元々身体の弱かった母は、出産と同時に命を落としたと聞いている。父はそれ以上を未だに話そうとはしない。再婚もせず男手ひとつで育ててくれた父には本当に感謝している。


「今日は早く迎えに来るから、一緒にケーキ食べような!」

「うん!」


朝そう言って門で降ろしてくれた父の車が見えなくなると、僕はいつも通り下駄箱に向かった。

その時だった。


「ねえねえ」

「ん?だーれ?」

「こっちだよ、門の方」

「んん…?あっ、いた!猫さんだ!」


優しい声をしていた。保育園の先生や他の子のお母さんと似ている。


「猫さん、中には入らないの?」

「入らないわ」

「え?なんで?一緒に遊ぼうよ」

「今日はあなたに会いに来たの」

「どういうこと?」

「まだナイショよ」

「ええ、意地悪な猫さんだなあ」

「ごめんね、いつか教えてあげるから」

「本当?ゼッタイだよ?」

「ええ、約束するわ」

「じゃあね、今日はきっと昨日より早く門を出るよ」

「分かったわ、お誕生日おめでとう」

「ありがとう!!」


靴を脱いで、中に入った。振り向くと、もうその猫の姿は無かった。


「…あれ?なんで猫さん、僕が誕生日だって知ってたんだろう?」


まあいいや。保育園が終わったら門でまた会える。そのときに聞こう。

そう思って、お父さんの車に乗るまで周りを見ていたけれど、結局その猫は現れなかった。

再び会ったのは、なんとアパートの前だった。


「あれ?猫さん!」

「ダメだよ、野良猫には触っちゃいけないよ」

「大丈夫だよ!あの猫さんは、いい猫さんだから」

「いい猫さん?どうして?」

「朝も会って、お話したんだ!ちょっと待ってて!」

「あっ、ちょっと!」


走って猫のところまで行くと、僕が話しかける前に


「お父さんにダメって言われてたじゃない」


少し強めの口調で、近づくなと制された。


「どうして?いいでしょ?それに僕、聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」

「どうして僕が今日、誕生日だって知ってるの?」

「それは…」

「それは?」

「朝、お父さんがケーキを食べましょって言ってたでしょう?」

「あ、うん、言ってた」

「それを聞いていたのよ、だから誕生日だと思ったの」

「そっか!そうだったんだね」

「ほら、お父さんが待ってるわよ」

「うん!ありがとう猫さん!」


この日を最後に、しばらく猫には会えなかった。姿や声だけでもと探したけれど、全く見つからなかった。



そうしてまた、その日がやってきた。二月二十九日。四年に一度しか来ない僕の誕生日。八歳になった。

懐かしい声、今度は昼間に聞こえてきた。


「久しぶり」

「…んん?」


土曜日だったので、その時間まで寝ていた僕は、誰の声だか思い出せなかった。


「起きて、あのよ」

「猫さん…?…えっ!?猫さんっ!?」

「おはよう」

「え、あ、おはよう」

「大きくなったね」

「う、うん…」

「お誕生日おめでとう」

「ありがとう…」

「お父さんは?」

「仕事だよ、夕方には帰るって」

「じゃあ、それまで遊びましょ?」

「ほんと!?今度はいいの?」

「お父さんにはナイショよ」

「やった!」


僕は飛び起きて、ご飯も食べずに外へ出た。

別に何をしたわけでもなく、ただ喋りながら戯れていただけだったけれど、どこか懐かしい感じで心地よかった。


「どうしてまた来てくれたの?」

「決まってるじゃない」

「誕生日だから?」

「そうよ、四年に一度の誕生日だから」

「君、名前はあるの?」

「名前は…ナイショ」

「ええ、また?」

「それも面白いでしょう?」

「じゃあ、うるちゃんって呼んでもいい?」

「うるちゃん?」

「うるう年の、うるちゃん!」

「ふふふ、そうね、うるう年にしか来ないものね」

「もっと遊びに来てよ」

「それは出来ないわ」

「どうしてさ、僕はいつでもいいのに」

「時々だから、楽しいこともあるのよ」

「お父さんと出掛けるのと同じ?」

「そうね、だから良い子でお父さんのこと待つのよ」

「うん!約束するよ!」



次の誕生日、僕が十二歳になる日も、うるちゃんはやって来た。

それが楽しみで、誕生日が年だって全然嫌な気はしなかった。「時々だから、楽しいこと」だと思って、待ち遠しいことは素敵なものなんだと思うようにした。


「良い子で待てた?」

「もちろん!あと一ヶ月で卒業だもん」

「お誕生日と卒業、おめでとう」

「ありがとう」

「部活は何に入るの?」

「迷ってるんだけど、サッカーをやりたいなって」

「いいじゃない」

「出来るかなあ、先輩が怖かったらどうしよう」

「大丈夫よ、謙虚で素直に、挨拶をきちんとすれば大丈夫」

「本当?」

「本当よ」

「分かった、約束する、頑張るよ!」

「頑張ってね、応援してるわ」



そして、十六歳の誕生日。

もう、うるちゃんは来ないと思った。猫の寿命は長くても十五、六年。いくら長生きな猫だったとしても、さすがに無理なんじゃないかと思っていた。

でも、四度目の誕生日も、うるちゃんは来た。


「お誕生日おめでとう」

「ありがとう、うるちゃん」

「高校一年生?」

「もうすぐ二年になるよ」

「サッカー、続けてるの?」

「うん、補欠だけど頑張ってる」

「すごいじゃない」

「でも、このまま続けていいのかなって悩んでる」

「努力はいつか、形が違っても報われるわ」

「本当?」

「本当よ、だから出来る限り続けてみたら?」

「そうだね、続けるよ、約束する」

「頑張ってね」

「だから、うるちゃんも約束して?絶対に次も来るって」

「…分かったわ、約束するね」


うるちゃんの手を握った。ずっと探していたような、でも触れたことがあるような、そんな感じだった。



大学生になった僕は、成人式を終えた辺りからそわそわしていた。うるちゃん、大丈夫かな。存命だろうか…。


「ただいま」

「お帰り、お疲れ様」

「うん」

「誕生日おめでとう」


この日に父から貰った時計は、今も大切に身に付けている。この時計を見る度、あの日のことを鮮明に思い出せるんだ。


「ちょっと外出てるね」

「寒いから、すぐ戻ってこいよ」

「うん」


必死でうるちゃんを探した。会いたい。会えるなら、今日が最後。そんな予感がしていた。もう会えないのかもしれない。でも、探した。


「こんばんは」


後ろから、微かに声がする。

飛ぶ虫や、鳥や花、木や飼い犬の声の隙間に、探していた声が聞こえた。


「うるちゃん…」

「お誕生日と成人、おめでとう」

「…ありがとう」

「探してくれてたの?」

「そうだよ、ずっと会いたかったんだ」

「今日はね、伝えたいことがあるの」

「なに?」

「初めて会った日、私あなたの誕生日を知っていたでしょ?」

「うん、お父さんとの会話でそう思ったって…」

「あれ、違うの」

「えっ」

「本当はね、最初から知っていたの」

「それは、その…」

「あなたはもう立派な大人よ、素敵に成長してくれたわ」


勝手に涙が零れ出す。もう、顔が見えない。


「生まれてきてくれて、ありがとう

うるちゃん、とっても嬉しいわ」

「うるちゃん、じゃないんでしょ…?」

「ふふふ、ナイショよ」


びしょ濡れの酷い僕の顔を拭うように、頬を擦り寄せて、ぼわんと消えてしまった。どこを見ても、もう姿はない。

一人、泣き崩れた僕が、そこで最後に聞いたのは


「愛してるわ」


と言う、僕の大好きな声だった。




今日は四年に一度、六回目の誕生日。

遠くの方で声が聞こえたような気がした。


「お誕生日おめでとう」

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