第四十四話:水も滴る


 一日でもお風呂に入れない日があると段々とイライラしてくる。そういうわけで、私――シア・ダルフィーエ・シアラはリーナさんに頼み込んで近場の水浴び場を紹介してもらっていた。彼女は不承不承といった様子だったが、村のラッビヤ人に場所を訊いて一緒に向かうことにした。

 思った通りの、池というか小川というか、そんな場所だった。周りは自然で溢れている。周りを囲う木には瑞々しい果物がなり、小動物がその間を通り過ぎてゆく。リーナさんはいつの間にか、水の中に入ってしまっていた。

 私もエプロンドレスのリボンを解いて、服を水際の石の上に並べてゆく。足先を入れると水は不思議と温かかった。池には濁りがなく、透明度が高くて底を泳ぐ小魚まで薄っすらと見えてくる。手で水を掬って身体に掛けると幾分かすっきりした。どれを取ってもまるでおとぎ話の挿絵のような光景だ。

 その音さえなければ。


「……?」


 茂みの中で何かがさっと動く音がする。リーナさんも気づいたようで顔を向けて様子を伺っていた。音からして、小動物のようなものではないことは明らかだった。布と布が擦れる音、その気配は完全に人間のものだ。

 音のする方へ背を向けて、リーナさんに問いかける。


「村の男衆というのはいつもこういうものなのですか」

「……? いや、見に来るのことは少ない。それがイーストラルトの教えを戦うから」

「なるほど、ではリーナさんは水の中に隠れていて下さい」

「なぜ?」


 不思議そうに首を傾げる彼女に私は微笑みかけた。


「“連邦”では誰しも他人に軽々しく身体を見せないものなんですよ」


 そういってから私は背後を警戒した。相手もこちらの様子を伺っているようだ。悪趣味だ、いたいけな少女が二人だけで水浴びしているところを凝視するとは。


「乙女の水浴びを覗くなんてマナー違反ですよ」


 背後に聞こえるようにわざと少し声を張った。

 相手方は気づかれたと分かったのか、その姿を表した。全部で三人。中央の一人を囲む二人はフードを深く被り込んでいて、その顔は窺い知ることができない。特徴的な黒服とマントは彼らがラッビヤ人ではないことをまざまざと表していた。

 真ん中のキザそうな男が髪をかき上げて顔を向ける。こちらを軽蔑しているような視線がいやに頭に来た。


「幼女に欲情する趣味は無いもんでね」

「政府の異能保持者ケートニアーを幼女呼ばわりとは舐められたものですね」

「生憎こちらとしては君が何処所属だろうと気にならない」

「なるほど、これくらいでは動揺しないというわけですね。さすが、過激派シェルケン・ヴァルトルの方」

「ほう……」


 キザ男は感心したように息を吐く。

 本当に居るとは思わなかったが、あれだけ特徴的な服装をするのはシェルケンくらいだ。そして例の情報が事実なのであれば穏健派であるはずがない。ここまで来ると村の様子も気になってくる。

 浴びた水が腰の曲線を伝う。木漏れ日に当てられて濡れた肌が艶かしく輝いていた。そんな姿に男たちは一切気を緩めようとはしなかった。それが表すことは相手がその道のプロであることだ。


「そこまで分かっているなら賢い選択が出来ることを願っているよ」

「賢い選択とは?」

「両手を下げてこちらに投降しろ。媚び方によっては悪くは扱われないだろうな」

「……」


 両手を下げること――それはつまり異能保持者ケートニアーとしての戦闘を放棄することを表す。シェルケン・ヴァルトルはシェルケンの中でも半ばカルト集団化している過激派だ。捕まれば洗脳なりされてただでは帰れなくなる。

 ならば、手段は一つだけしか無い。


「分かりました。それじゃあ――」


 瞬時に姿勢を下げて、池の水を弾き飛ばした。飛び散る水の間に一瞬だけギザ男の驚いた目が見える。それを睨みつけながら呟く。


「――少しだけ黙っていてもらいましょう」

「なっ……!」


 一瞬で辺りが霧に包まれる。事前に発動しておいた能力ウェールフープの効果だ。視程は一気に下る。手元も見えない状況に男たちは困惑していた。何故分かるか? 一々説明しなくても分かるだろう、私が言語翻訳庁の特殊部隊員だからだ。

 左手を気配の感じる方へと翳す。彼らの首元にスパークを生じさせて気絶させた。


「ぐはっ!?」

「リーナさん、動かないでいて下さいね」


 視程が無いために相手が肯定したのかは確認できない。だが、言うだけ無駄ではないだろう。反撃が来る可能性に備えなければならない。急いで水辺に上がり、服を探る。見つけたエプロンドレスを掴んだところで背後に気配を感じた。


「ざぁ~んねぇ~ん!」


 一瞬で霧が晴れる。背後に立つのは先程のギザ男だ。こちらに翳す手の先には見ているだけで吸い込まれそうになるような黒い不定形の塊がうごめいていた。


「シェルケンは連邦軍とも君たちとも違うんだよ。それだけで倒されるわけがないだろ?」

「くっ……! 貴方も能力者ケートニアーだったんですね」

「君は危険だ。ここで消えてもらう」


 ギザ男が手に力を込め、黒い不定形の塊をこちらにぶつけようとしたところで奇妙な違和感を覚えた。まだ二人の気配を感じる。気絶している奴らとは別の二人がこちらを見ている。

 そんな感触がした瞬間、目の前に居たギザ男は首元から血を吹き出して倒れた。


「かはっ……誰、だ!?」


 二発目が頭に、三発目が胸に入ると男は言葉を発する暇もなく事切れた。能力者ケートニアーは銃弾では死なない。紛れもなく銀の弾丸フェンテウェルフェの類だろう。

 気づけば森に響き渡る打ち付けるような音、かすかに漂う独特な硝煙の匂いが漂う。匂いのする方に目を向けるとタールさんとヴィライヤ調査官が銃口を事切れたギザ男に向けていた。


「ヴィライヤ先生、タールさん……」

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