第三十二話:机戦と寂しさ


 自分の宿舎に帰ってくると部屋の中はしんとしていた。リーナはまだ寝ているのだろうか。そう思ったところ、木片がぶつかり合う小さな音がした。リビングにまで入るとタールとシアが向かい合って座っていた。俯いている様子はまるでお見合いの風景だ。気の合わない二人が何をしてこうなったのか。その答えは彼らの目の前に視線を落とすことで分かった。

 格子状に区切りが書かれた布の上に木片が幾つか並んでいる。その木片には角張った文字――燐帝字母リンツクラーが書かれている。燐帝字母リンツクラーは今リパライン語に使われているデュテュスン・リパーシェとは異なり発音を表さない。似たような単語を表すため、複数の言語の間で共通の文字として古代から使われてきた。そして、それが使われているボードゲームと言えば数が限られる。

 これは机戦セーケだ。またの名を発祥民族の名をとって牌族将棋ペーゲード・セーケとも言う。


机戦セーケをやってるのか?」

「ああ、こいつがやりたいって言ってきたからよお」


 タールは顔だけこちらに向けて答える。彼の付き合ってやってるとでも言いたげな言葉遣いに不満を覚えたのか、シアはむっとして眉間を寄せた。


「暇つぶしに詰め机戦アルヴァイコ・セーケをやってたら、机戦セーケを知りたいと言ってきたんです。私はお手合わせに付き合ってあげてるだけなんですが」

「三回中三回俺が勝ったんだよな。初めてなのに」

「見てて下さい、ヴィライヤ先生。今度は完璧に私が勝ちますから……!」


 シアは目の前のタールを指差してそう言い放った。対するタールは何戦でも行けるといった様子だ。らしくもなくシアはタールに犬のように唸っていた。キャラ崩壊を起こすほどに負けず嫌いということらしい。


「がるる……!」

「やめろよ、机戦セーケが可哀想だろ」


 俺の制止を聞くと、シアは思い出したかのように表情と仕草を元に戻した。一瞬のうちにお淑やかで清楚な少女が出来上がる。タールはその変わりようを見て、目を見張って驚いていた。化けの皮なんて今まで幾らでも剥がれてきただろうに。彼女も一々殊勝なものだと思う。

 シアは一つ咳払いをしてから先を続けた。


「ヴィライヤ先生、ラネーメ人みたいなことを言いますね」

「小学生の頃は机戦セーケクラブに通ってたからね。ラネーメのおっさん達に囲まれて色々と長話を聞かされたもんだよ」

「ラネーメの人ってそんなに喋るのか?」

「ま、ラネーメのスイッチ早口で捲し立てる人という慣用句もあるしな」


 タールは納得したように首を縦に振った。

 脳内にはっきりとイミカの顔が浮かんだことは秘密だ。今頃、時間との勝負に呻いているところだろうか。驚異のスピードで裁縫していく彼女の姿を想像したところで袖が引っ張られる感覚を覚えた。テーブルの方を見ていたのでそれまで気づかなかったが、いつの間にか目の前にリーナが居た。

 照明に当てられて艶やかに光沢を示す銀髪が頭頂から小麦色の肌の首元を通って背中へと垂れていた。いつ見ても綺麗な髪だと思う。リパラオネ人のそれとは少し違う水色の瞳がこちらを見つめている。その目元は何故か少し不機嫌そうだった。


「アレン、おかえり」

「お、おう。ただいま」


 挨拶を返したのにリーナは未だに俺の服の袖を掴んだままだ。それだけなら、まだしも彼女は力を入れて袖を引っ張ってきた。リーナの体格からしてそこまで強い力ではない。しかし、何を伝えたいのだろう。不満そうな顔色からしてじゃれてきているというわけでもない。

 俺が訊く前に彼女の唇は動いた。


「私を置いていった。何故?」

「何故って、えーっとだな……イミカのところに行ってたんだよ」

「なんで、起こさなかった? 私も行った。」

「寝てるのを起こすのは可哀想だと思ったんだよ。それにシアだって用事が終わり次第帰ってくるから良いだろ」


 いつの間にか居ることが当然になっている同居人――シア・ダルフィーエ・シアラはこちらに顔を向け、きょとんとして首を傾げた。二人は机戦セーケに集中していてこちらの話が聞こえてなかったようだ。

 リーナはそれを聞いてもむっとした表情を変えなかった。


「ここは公営の宿舎だし、戸締まりだってしっかりして行ったんだぞ?」

「いきなり居なくならないで」

「なんでそこまで」

「何か分からない……でも、アレンが居ないと怖くて、寂しくなるから」

「あっ……」


 俺と彼女の間に沈黙が訪れる。リーナの声色は俺に不安と憤りが混じったような複雑なものを感じさせた。しかし、袖を掴む彼女の手からは力が抜けていた。するりと抜け落ちるように袖から手が離れる。顔を背けるように彼女は俯いた。


「ごめんなさい。私はワガママ言った」

「いや、俺も断りを入れておくべきだったな。すまない」

「……」


 居た堪れない空気になってしまった。そんなところで俺は手を強く打ち合わせて切り替えた。机戦セーケをやっていた二人も大きな音に驚いてこちらに注目する。明日はもっと大きなイベントがある。しんみりしている場合ではない。


「よし、皆。明日はパーティーに行くぞ」

「ぱーてぃーってなんだ? 下着ぱんてぃー?」

「なるほど、考え方の違いは空耳にまで影響しているんですね」

「それ褒めてる?」

「ええ、下劣さで言えば二重丸ですね」


 うるさい二人を無視して、俺はリーナの肩を掴む。


「イミカから服を受け取ってきたんだ。明日のパーティーで着て見せてくれないか?」


 リーナはこちらをぽかんと見上げていたが、ややあって頬を赤らめながら小さく「うん」と返答した。

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