第二十九話:後ろめたさ


 焦っていた。

 並べられたパイプ椅子に横長のテーブル、寄せ集めで出来た会議室にただ一人で立って刺さるような視線を受けている。席に座っているのは危機言語調査班の班長、その上の課長や部長クラスも居る。それに良く見ると言語特務局長、言語翻訳庁長官まで居る。一体俺は何をしでかしたというのだろう。脂汗が背中に滲んでいた。まるで炎天下に放置されていたように頬が火照っている。下着が肌にひっついて気持ちが悪い。


「アレン・ヴィライヤ言語調査官の処遇についてですが」


 それは感情を感じさせない、絶対零度の声色だった。誰が言い出したのかは分からない。視線を巡らしても、彼らは一人も口を開いてはいない。こんな重大そうな会議を腹話術の練習にでも使っているらしい。

 班長がこちらを睨みつけ、人差し指を向けてきた。何かを愚痴るように口がもごもごと動いている。何かを喋っているように見えるが、今度は声が聞こえない。


「誘拐はあかんでしょう」


 何処からか声が聞こえる。それは班長の唇の動きとはまったく違うことを言っている。それに中央政府の人間が話すような言葉遣いではなかった。それはデュイン北方あたりで話されるデュイン北洋方言だ。そんな奇妙なことが起こっていても何故か心持ちは平然としていた。

 しかし、一体何の話だ。誘拐と見なされるようなことは一つしかしていない。きっとリーナのことだろう。だが、何故ここまで大事になった?


「暴行の傷跡もあります。本人は否定していますが虐待を受けた年少者の特徴として――」


 それは違う。それはキャンプに居た奴らがリーナを酷い目に合わせた時についた傷だ。勘違いも甚だしい。俺はただリーナを助けたくて。

 声に出して反論していると思ったが声が全く出てこなかった。言語特務局長と言語翻訳庁長官が同時に立ち上がる。残った役職の者達に何かを指し示して会議室を出ていいこうとする。軽蔑した視線をこちらに向けていた。そして、彼らは去り際に俺の方に振り返った。その無機質で機械的な動作に恐怖を感じる。だが、もっと驚いたのはその時だけ彼らの唇と聞こえる言葉がシンクしていたということだった。


「平和には犠牲が付きものなのだ。君は豚箱送りになるだろうが、理解してくれ。無理やりにでもな」


 そんな。

 何で俺がこんな目に合わねばならないんだ。何も分からなかったというのに! そもそも最初から言語特務局は俺を騙していたじゃないか。なんて奴らだ。


「あの先住民はキャンプに戻せ。シュフイシュコに邪魔をされるなら、長官権限で通しておけ」


 やめろ。俺はどうなってもいい。だが、彼女には手を触れるな! せっかくあんなに明るくなったというのにまた地獄に戻すつもりか。

 口を動かしてもパクパクと動いた感覚がするだけだった。自分の声が聞こえない。それに局長も長官も立ち止まってはくれなかった。会議室の白いドアが無慈悲に閉じてゆく。

 待て、待ってくれ。もう一回話を聞いてくれ。真実は――




「がはっ……はっはっはっ……っ!」


 気づくとソファの上に居た。緊迫した会議室ではなく、穏やかな昼の自室の中だ。目が痛くなるような照明ではなく、カーテン越しの柔らかな光が部屋の中に充満している。

 とにかく息が上がって苦しい。背中がびっしょりと汗で濡れていた。胸元にある文法調査票を持ち上げて床に投げる。これだけでも肺が押されて苦しい気がしていた。

 気づくと目の前にはリーナの顔があった。息が掛かるほどの近さだ。驚いてびくっと震える。彼女は瞬いて水色の瞳をこちらに向けた。


「大丈夫、アレン」

「だ、大丈夫……だ。夢だったのか」

「夢?」


 リーナは首を傾げて、不思議そうにしていた。

 次に俺の異常に気づいたのはタールだった。ふとこちらを見たかと思えば、カッカッカと笑い出した。


「何がおかしい」

「そんな変な所で寝てるから昼寝で体調を崩すんだぞ」

「いや……」


 元々、あまり夢を見るような人間ではない。最後に夢を見た日は覚えていない。久しぶりの夢は悪趣味過ぎる夢だった。

 彼らに夢の内容を打ち明けることは躊躇われた。個人的なことだし、内容を言ってしまえば、何か後ろめたいことがあるのではないかと勘ぐられるからだ。タールやリーナ、それにシアを信用していないわけではない。だが、センシティヴな事実はできる限り個人のものにしておいたほうが良い。リーナを守るためには必要なことだ。


「良い夢だった?」

「うん? ああ、えーっと……そうだな……」

「?」


 言い淀む俺をリーナは不思議そうに見てきた。

 自明過ぎて気づかなかったことが一つある。そもそも連邦人の間では自分の夢を他人に明かすことはあまりしない。他人に訊くことも憚られるのだが、リーナが普通に訊いてきたということはラッビヤの人々にはそういった先入観は無いらしい。あちらのタブーがこちらに理解出来ないのであれば、逆も然りだろう。

 微妙な空気になったところでシアがこちらに手招きをしてきた。テーブルにはリパラオネ料理が幾つか並んでいる。どうやらリーナは彼女に食卓に呼ぶように言いつけられていたらしい。


「ふうーっ……」


 息を吐きながらソファから立ち上がって、俺は食卓へと向かった。今日一日は何もせずゆったり過ごそうと心に決めて。

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