第二十八話:褒め上手
「ぷっ! 何だよ、その髪!」
「なんですか、この前髪っ!?」
「パーマにでも掛けようとして失敗したのか?」
「殺しますよ!?」
「真に受けてやんの! 傑作だぜ、ぎゃははははは!!」
シアのチリチリになった前髪を人差し指で指して笑うのはタールだ。笑い過ぎでいきなりぶっ倒れるのではないかというほどに笑っていた。シアは悪態に動じないそんな彼を恨めしそうに睨みつけていた。
俺達は何とかニスッティラダウとバネクリャンを作ることに成功し、完成した菓子は何処の役人が来ようと不満を言わせないであろう仕上がりになった。レーシュネはほくほくした顔でそれらを行政庁に持って帰っていった。一件落着といったところだ。
そうして、俺達三人は無事家に帰ることが出来たのだが、彼女に起こった悲劇をシアが理解するのは時間の問題だった。手を洗おうと洗面台に立った彼女が悲鳴を上げ、何かと思って駆け寄ってきたタールが彼女の前髪を確認して今に至る。
俺は彼を指差す。
「タール。笑わないでやってくれ」
「でもよお、良家のメイドみたいのが前髪だけチリチリになってるのを見て笑わないやつが居るか?」
「構いませんよ。笑っていられるのも今のうちです。あなたの髪もチリチリにして差し上げましょう」
シアは手に力を込め始める。一秒もしないうちにバチバチとショートの音が聞こえた。手と手の間で電流を操作して、放電しているらしい。こんなくだらないことで
彼女を止めに入ろうとした瞬間、シアの背後に居たリーナが彼女の肩を叩いた。
「シア、その髪可愛い」
「えっ? そ、そうですか……?」
「わんぽいんと? になってる思う」
シアはそれを聞いてむず痒そうに身体を捩らせた。リーナのいきなりの褒め言葉に怒りも忘れて困惑しているようだ。
いつの間にかシアの手と手の間の放電は止まっていた。
「本当ですか、それなら良いんですが……」
「うん、もっと自身を待ってあるべき」
「それを言うなら、“自信を持つべき”だな」
リーナのリパライン語の間違いを修正すると彼女は「あぁ、うん」と頷いた。いつの間に「ワンポイント」とかいう言葉を覚えたのだろうか。彼女のリパライン語能力の向上は素晴らしいが、これでラッビヤ語を忘れるようならある程度、考慮の余地がある。もちろんキャンプに戻すなどという最悪の選択を除いて、だが。
リーナの言葉を聞いたシアはしばらく黙って考えるような顔をしていた。幾度か自分に言い聞かせるように頷くと顔を上げてタールの方を向いた。
「今日のところは許しておいてあげます」
「あ? え?」
「私の寛容さに感謝しておくことですね」
「えぇ……?」
シアは手を拭くとそのまま部屋の奥に去ってゆく。恐らく昼飯の準備でも始めるのだろう。その背中は機嫌を直してるように見えた。タールは唐突に変わった彼女の態度に混乱している様子だ。彼は腕を組んでシアの背中を暫く注視していたが「良く分からんが、まあ良いか」と言って元いたところへと戻っていってしまった。
「ナイスだぞ、リーナ」
リーナはきょとんとした表情でこちらを見つめた。
「ないす? 良かった? 何が?」
「あー、いや、なんでもない。こっちの話だ」
「うん……?」
どうやら意図してシアを褒めたわけではないらしい。つくづく、リーナは純粋な人間だと感じさせられる。世の中、ピュアな人間ほど酷い目に遭うのかもしれないと思うと寂しいものがある。リーナは見様見真似で手を洗っていた。こうやって連邦人の慣習に慣れていくうちに自分の文化を忘れていくのだろうか。それでは、今リーナをここに居させているのは果たして良いことなのだろうか。段々と自分のやっていることが正しいのか、間違っているのか分からなくなってくる。
ともかく、何かが純粋なうちに調査を進めるべきという気がする。俺はリビングに戻って書類棚にほっぽり出された文法調査票を取り上げた。ソファに寝そべり調査票を見ながら、次の質問に何が必要かを考える。
最初に訊いたのは指示詞による等式文だった。だから、もう既に「これ・あれは~だ」というのは言えるようになっている。調査票の次の内容は人称詞を主語とする等式文となっている。「私・あなた・彼は~だ」といった次第の文だ。ただ、もう既に「ダルン ~?」で「あなたは~か?」であるというのは分かっている。「ダルン」というのは「ダル-ン」に分解できるだろう。「ン」は主語の標識で、一般的な指示詞の等式文の形式に適合する。
問題は「ダル」≒「あなた」以外の人称詞が現れた時にどのような文章になるかだ。等式文の形式「A-ム B-ン (ニル)」の謎はまだ解けていないが、進んでいけば分かるかもしれない。
そんなことを考えたところであくびが一つ出てきた。今日は午前だけで大分疲れが溜まってしまったようだ。眠気が襲ってくる。目蓋が重い。
大きく息を吐いて全身の力を抜いた。一気に眠気が意識をさらってゆく。睡魔からは逃げられない。俺は昼飯が出来るまで、そのまま昼寝することにした。
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